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モリムラ@ミュージアム:作品を「着る」、そして絵画は拡張する(吉田理紗)


 大阪メトロ北加賀屋駅の出口から地上に出て、細い路地に入る。ふと、右側に視線をやると、民家の窓から女性が手をガラスにつけて、じっとこちらを見ている。彼女は本物の人間ではなく、建物の壁にペイントされた女性像である。このまちにはアートがごく自然に存在し、民家や道路沿いの壁面などに描かれた作品が点在しているのだ。


 2004年ごろから北加賀屋周辺では名村造船所大阪工場の跡地を中心に、芸術や文化の力でまちの活性化をねらう取り組みが始まった。工場の移転や高齢化で多くの空き地や空き家が生まれ、問題になっていたからだ。これらの工場や民家の跡地をリノベーションして、イベントスペースやアトリエ、デザイン事務所等に活用することで、現在は多くのアーティストやクリエイターが集まっているという。さらに、カフェやヘアサロン、ネイルサロン、ヨガスタジオもあり、まちで生活する人、まちを訪れる人の交流の場として親しまれている。


 美術家・森村泰昌の個人美術館である「モリムラ@ミュージアム」は、2018年にこの北加賀屋の地に設立された。家具屋をリノベーションした建物で、展示スペースがある2階はかつて家具のショールームだった空間で、2階にはふたつの展示室と、森村の関連図書や記事が自由に閲覧できるライブラリーとサロン、ミニシアター、ショップがある。作品の搬出入に利用している昇降機は、家具の運搬用にしつらえたものをそのまま活用しているという。私は改装前から変わらない昇降機を見て、建物がまだ家具屋であった頃の姿を想像した。


 森村は美術作品などの人物に扮して、自分自身の写真を撮る。森村のセルフポートレイト作品の題材は、ゴッホや《モナ・リザ》など多くの人になじみがある作家や作品も多い。そのため普段、現代アートを敬遠する人であっても、抵抗なく楽しめるのではないだろうか。例えば、フェルメール《牛乳を注ぐ女》をテーマにした、《フェルメール研究(わが町に何を注ぐか)》。本作は、フェルメールが描いた空間を再現したセットを作り、森村が牛乳を壺に注ぐ女性に扮して撮影されたという。オリジナル作品を知っている人であれば、一瞬本物と見紛うかもしれない。あるいは、写実的に描いた模写のようにも見える。鑑賞者はそれが写真であると知って初めて、その人物や空間の存在を実感するだろう。本作と対になって展示されていた作品《フェルメール研究(わが町に何を注ぐか/無人)》は、人物の存在をさらに強調する。同じフェルメールの作品を基にしているが、牛乳を持った女性の姿はない。そこに写っているのは、誰もいない静寂な部屋だ。


 森村はよく、オリエンタリズムやジェンダーの視点で説明される。しかし、ここ北加賀屋というまちに、この美術館、この作品がおかれていることを踏まえるなら、別の解釈もできるだろう。例えば、鑑賞者を絵画の内側に立たせるという見方だ。私たちが絵画作品を鑑賞する際、無意識のうちに絵画はそのフレームの中で完結しているように錯覚することがある。「絵画」というフレームに収まった人物は、どのような景色を見ているのだろう。作品の内側からの眺めを想像すると、おのずと描かれていない風景までもが見えてくるのではないだろうか。森村は作品を「見る」体験を、他の人物に扮することで「着る」行為に置き換える。制作の過程で題材とする作品のモチーフを分析し、その作品に近づくために自らメイクアップしたり、小物や背景を制作したりする。現代の技術をフルに活用すれば、写真データを加工して本物を再現することは可能だが、森村は最低限の合成技術を使うだけだ。つまり、CG技術を駆使して自分を本物に似せるのではなく、自分に合わせて小物の制作や化粧を施すことで、本物を自分自身に引き寄せるのだ(注1)。そして、これは制作する森村だけでなく、鑑賞者にも適用される。網膜的に「見る」ことで作品を理解したつもりになるのではなく、作品を自分に引き寄せて、身体や思考と接続することで私たちは作品を「着る」ことができるのだ。そして、私たちが森村作品を通して疑似的に作品の内側に立つことは、作品の新たな魅力を発見するひとつのきっかけとなる。


 絵画は窓のようなものだと言われてきた。矩形に取られたなかには空間があり、時間の経過がある。フレームのなかには、古くは神や美といった理想がその真ん中に坐していて、時代が下ると、民衆の生活や何気ない自然の対象が描かれるようになり、そして終いには抽象的な図柄が配される。その文脈には、ある場所のある瞬間を切り取った写真や、鑑賞者の眼を騙すトロンプ・ルイユも存在する。森村の作品を通して美術作品を「着る」ことを疑似的に体験すると、絵画の内側からの景色が広がって見える。森村作品や、北加賀屋のまちなかに点在するだまし絵のような作品を見ていると、絵画は世界のある地点の一瞬を切り取ったものにすぎないと思えてくる。モリムラミュージアムに向かう道中、北加賀屋駅近くの路地で出会った女性。私は、窓からじっとこちらを見つめる彼女と目が合った。壁に描かれた像にすぎないはずなのに、女性は確かにそこに存在していた。鑑賞方法を工夫することで、平面である絵画作品の世界を拡張することができるのだ。


 私たちが美術館など、いわゆるホワイトキューブで作品を鑑賞する際、「作品」と自分の境界線は比較的明瞭である。展示室内に作品があり、鑑賞者は少し離れた場所からそれを眺める、という形が一般的であるからだ。しかし、北加賀屋というまちは、作品と鑑賞者の境界が曖昧である。言い換えると、生活の中にアートが溶け込んでいるのだ。このまちには美術館やアートスペースだけでなく、住民と来訪者の交流の場や道路に面した壁など人々の営みに近い場所にも「作品」は存在している。だから、モリムラミュージアムが北加賀屋というまちにあることは、意義深い。森村作品を通してアートと自分の距離を縮める「着る」という行為は、アートで活性化を目指すこのまちと共鳴しているように思える。


注1:「ゴッホやレンブラントの絵とソックリのにせものをつくり出すべく、ゴッホやレンブラントに自分を合わせるのではなく、ゴッホや自分自身に引き寄せるのです」

森村泰昌『踏みはずす美術史 私がモナ・リザになったわけ』講談社、1998年、31頁

会場・会期

モリムラ@ミュージアム M@M第5回企画展「森村泰昌:二重拘束の美学

2021年4月9日から7月25日まで

・執筆者プロフィール

吉田理紗

1997年生まれ。神奈川県出身。現在は京都芸術大学大学院 芸術研究科 修士課程在籍。専門は現代美術(ネオポップ、マイクロポップ)。