9月15日、私は群馬県渋川市の伊香保に位置し小林かいち作品を唯一常設展示する保科美術館に向かっていた。見晴下でバスを降り、左手の広い坂道を上がる。しばらくして右手に入り、先ほどの道よりぐっと細くなった坂道を下る。
この道程では、両脇に連なる古いホテルや温泉宿をたくさん見ることができる。隣にも正面にも大きな温泉旅館を臨み、美術館自身も入館者用の足湯を有する保科美術館は、いかにも”温泉街の中にある美術館”なのである。敷き詰められた薄紫の厚いじゅうたん、木でできた広い階段、2階に設けられた大パノラマの展望休憩室、そういった美術館の設備も歴史ある旅館を思わせる。
1階に2つ、2階に4つの展示室が設けられ、それぞれに竹久夢二、小林かいち、友永詔三、小泉智英、松本哲男、佐々木曜の作品が展示されている。そのうちの第一展示室が小林かいちの部屋、私の来訪の目的であった。本稿ではこの部屋について詳しく記述する。
小林かいちは大正から昭和にかけて、京都「さくら井屋」で販売する絵葉書セットやレターセットの原画を描いていた。それらは当時京都に修学旅行に来た女子学生に人気を博していたそうで、ここにも女子学生同士の文通に使われた形跡のある便箋が展示されていた。
多用されるモチーフで分類された展示があり、ただ並べられた作品を鑑賞するときとは違う視点を持つことができた。大正から昭和にかけて画家は西洋的・キリスト教的なモチーフを取り入れていたそうである。かいちも「十字架」「教会」「薔薇」などを多くの作品に取り入れており、また、商用の絵であるためか当時流行していた「トランプ」「クロスワード」なども積極的に使用している。同じモチーフが違う色使い・構図で描かれているところを一度に見ることで、彼の感覚の独特さを味わうことができた。
他に特徴的な展示は版画の行程を再現したものである。当時、絵葉書セット・レターセットは版画で生産されていた。一色ずつ重ねていく工程を再現し、当時の絵葉書を再生した取り組みが展示されている。彼の作品に重要なグラデーションを刷るところは必見である。
この美術館が小林かいちの常設展を始めた2007年10月時点では、彼は正体の全く分からない「幻の画家」であった。しかし同年12月に遺族が名乗り出たために(詳しい私生活や正確な作品点数はいまだ不明であるものの)本名・性別・生没年・顔写真などが明らかになった。ゆえに今では、彼の生い立ちや当時の時代背景などを織り交ぜたキャプションを見ることができる。例えば、明るく華やかな街にある街灯の下で泣く女性を描いた作品には、かいちが繁華街・祇園の生まれであるためにそういった女性をたくさん見てきたのかもしれない、と添えられている。作品単体ももちろん素晴らしいが、作者や時代の背景を知ることで鑑賞者はまた違った見方をすることができる。ここにミュージアムの役割の一つである「調査・研究」の成果が表れているといえるのではないだろうか。
冒頭でも触れたが、この美術館は小林かいちの作品を唯一常設展示している。これまで大正・昭和美術に関する企画展の一部分としてしか彼の作品に出会えなかった私にとって、この旅は非常に意味のあるものであった。
かいち以外の画家についても、インタビュー記事・本人のコメント・年表・作品づくりに使われる道具などが作品と併せて展示されている。所在地である伊香保温泉には観光地というよりは落ち着く温泉街といった雰囲気があり、その中の落ち着いた空間で画家の人生にじっくり寄り添える、そんな美術館であった。
会場・会期
伊香保 保科美術館 常設展
・執筆者プロフィール
藤澤まりの
都立大で社会人類学を専攻し、同時に学芸員養成課程・教職課程を履修しています。隙あらばテレビを見ているテレビっ子である一方、学芸員養成課程で企画展にマスメディアが入ることによるデメリットを学んで興味を持ち始めました。地方に住んでいたこともあり大規模な企画展を見ることが多かったのですが、これぽーとをきっかけに多くの常設展を見に行きたいと思います。
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