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市立小樽美術館・北海道立近代美術館 : 小樽と札幌のイチハラ、またはそれ以外のイチハラをめぐって(堀江理人)

 あなたは一原有徳(イチハラ アリノリ)をご存知だろうか?小樽を拠点に活動した地方版画家である。彼の作品だけが常設される施設があるぐらいには、北海道の美術を語る上で重要視されている。そして2020年は彼の節目の年であった。その回顧展が札幌と小樽で同時期に開催された。そこで市立小樽美術館で開催された「没後一〇年・生誕一一〇年・再体験・一原有徳」と北海道立近代美術館コレクション展を取り上げたい。

 一原有徳の作品を多数所蔵する市立小樽美術館は、もともと彼が定年まで働いていた旧小樽地方貯金局である。のちに小樽市分庁舎となり、1978年に市立小樽文学館として開館。翌年市立小樽美術館が開館、一つの建物の中に文学館と美術館が存在し、経歴とともにユニークな施設となっている。文学館は小樽ゆかりの小説家、詩人などの著書や資料、美術館は小樽ゆかりの美術家の作品を中心にそれぞれ収蔵・展示を行っている。小樽を拠点に活動を続けた一原の常設展示が行われている一原有徳記念ホールは2011年に開設した。

 今回の展示「没後一〇年・生誕一一〇年・再体験・一原有徳」は企画展示ではあるが、一原の常設展示を含めた展示であるため、常設展示を中心に企画展に触れつつレビューしたい。


 階段を登って2階の企画展示室では〈その版画は、世界をうつす〉と題し、「うつす」、「つくる」、「つづける」、「さがす」、「みる」の5つのパートに分かれている。入口に入るとすぐ目の前に、ステンレスをバーナーで焼いたり、穴をあけ蛍光塗料を塗った大作《ComZon 1992-Ⅱ》(1992年)が出迎えてくれる。進んでいくと、一原の代表的な暗く不穏なモノタイプが並べられている。その作品と共に、一原が実際に使っていたバーナーや電動ドリルなどが置かれ、作品がどのように作られたかを紹介している。5つのキーワードやこうした見せ方から一原の制作行為そのものに注目する展示構成となっている。そして奥まったところにまた大型の作品「ComZon」のシリーズと《ブラックホール》(2001年)が白い壁を覆いつくし、黒い画面に吸い込まれるようである。

 3階に行くと〈版画の時代の版画の鬼才〉と題されている。またこの一原有徳記念ホールには、狭く雑多な一原のアトリエを再現した部屋があり、あの奇妙で不穏なモノタイプが作られた現場を再体験することができる。2階と同様に「版画以前 1950年代まで」、「版画ブームの夜明け 1950年代」、「衝撃のデビュー 1960年代」、「版画の70年代 1970年代」、「「概念は時代とともに変わる」 1780年代」の5つのパートが設けられ、年代順に一原の軌跡をたどる王道の回顧展となっている。職場の同僚で、一原に絵を描くきっかけを与えた画家の須田三代治の小品も、一原の油彩と共に展示されている。展示室の構造も2階と似ており、奥まったところもあるのだが、3階では壁が黒く、小さめの小品とドローイング、大判紙8枚で構成された《チョックストーン》(年代不詳)が並べられている。それはまるで2階の構造をネガポジ反転したかのようになっている。写し取ったり、反転させる版表現そのものを、展示室が写し取っている。おり、先の《ブラックホール》の中から世界を覗いているかのようである。

 また全体としてキャプションの多くが、一原自身の言葉から引用していた点も印象的だ。一原と小樽というドメスティックな関係性に自覚的で、かなり掘り下げられた展示だったといえる。

 これにゆるやかに繋がると感じられるのが、北海道立近代美術館のコレクション展である。


 北海道立近代美術館は、札幌のほぼ中心部に1977年に開館した。明治以降の北海道の美術だけでなくガラス工芸、パスキンを中心とするエコール・ド・パリの作品なども積極的に収集・展示を行うという変わった特徴を持つ。今回のコレクション展は1階は「池田良二展」、「一原有徳展」、2階は「日本のガラス–江戸から現代まで–」を開催しており、1階と2階とでは共通性がなく、分断されている印象があり、小樽美術館とは対照的だ。

 そもそもなぜ池田と一原なのだろうか?美大出身のエリートである池田と17歳から働き始めた一原という経歴も違えば、年代も違う二人。その理由は美術館側から何も明示されておらず、なぜなのか考えながら入口に入ると「池田良二展」がはじまる。池田良二は今の根室市で生まれ、武蔵野美術大学で油彩を学んだのち銅版画を独学し、フォトエッチングを中心に制作をしている。会場には、アントニ・タピエスから影響を受けた荒い筆跡とフォトエッチングが融合した初期の作品から2004年から開始した円環をテーマにした近作まで年代順に並べられていた。


 池田良二展を出ると道近美の吹き抜けになっている一番大きいホールが「一原有徳展」となっている。目に飛び込んでくるのは、白い壁一面に48枚の大判紙とそれと同じ長さを持つ細長い焼き付けられたステンレス版を組み合わせた大作《HMMA》(2001)である。その前には代表作である円筒形に巻かれた巨大な版画《COM ZOM 1992-1》(1992)が鎮座している。この円筒形の版画の後ろに横長の版画があるという構図は80年代にはすでに行われており、同じ会場にその序章ともいえる《SON・ZON》(1960+1979)も置かれている。また一原自身が個展の際に多様な表情の版画作品を壁いっぱいに余白なく展示したことから、本展でも同時期の作品をそれに倣って展示したとある。一原の代表作且つ大作を中心に広いホールを活かした見応えのある展示構成となっていた。しかし市立小樽美術館のようなそれぞれの年代のシリーズ作品がある程度の量でもって紹介されているわけではなく、モノタイプ、金属凸版、オブジェといった一原の表現の幅広さに注目し、それぞれの表現による代表作を展示した印象を持つ。また市立小樽美術館が一原の言葉が中心だったのに対して、道近美には一原の言葉は一切なく、美術評論家の中原佑介や児童文学者の友田多喜雄の言葉を作品理解の手がかりとしていた。

 それでもなお、なぜこ二人なのか疑問だ。そこで一原の言葉ではなく、中原や友田の言葉を作品理解の一助としていた点から考えてみたい。このことから言えることは、一原への複数の視点、興味深いのは、2階へつづく階段を上った時である。1階の展示の様子が見下ろせるのだが、《SON・ZON》のなかが空洞になっていることに気づくことができる。その空洞、円の形は一原作品でよく使われるモチーフであり、そこで池田の真っ暗な画面の中に卵や焔が円を描くように置かれた「円環」のシリーズがゆるやかに繋がるように思えた。制作行為と年代ごとによる仕事に注目した回顧展とした小樽美術館とは違い、池田良二という一原とは経歴から対照的な版画家と相対化して見せることで、一原に対する新しい見方を提示しようとしているのかもしれない。

 話はかわるが、昨年札幌国際芸術祭2020が中止となり、札幌市内の美術館で札幌ミュージアム・アート・フェア2020-21なるものが行われた。コロナ禍における道内の美術家の支援、アートマーケットの活性化が謳われたが、美術館でアートフェアを行うという、美術館の意義を揺るがしかねない危険な行為であったといえる。国際芸術祭が中止になってしまったからこそ、所蔵されている地域の美術家、作品を紹介するまたとない機会であったはずだ。そうならなかったのはコレクションへの軽視、活用の貧しさを指摘せざるを得ない。

今回一原は紹介されたが、まだまだ掘り返すべき作家、作品はまだあるはずだ。また一原のような地域に根ざし、働きながらも何かをつくる者は道内に限らず大勢いるはずで、生活している。その意味で知られざる「イチハラ」は我々の近くに必ず存在する。ギャラリーに所属する者だけが、美術館に所蔵されている者だけが、美術家ひいては表現者なのだろうか。一原を考えるということは、眼前にあるコレクションの外側にいる「イチハラ」の存在を考えることに繋がるといえるのではないだろうか。

(画像はすべて筆者撮影)

会場・会期

・市立小樽美術館

一原有徳記念ホール「特別展 没後一〇年 生誕一一〇年 再体験・一原有徳」

2021年1月9日から3月7日まで


・北海道立近代美術館

コレクション展

2021年2月27日から4月4日まで

・執筆者プロフィール

堀江理人(ほりえみちと)

1995年、熊がよく出る方の札幌市生まれ。武蔵野美術大学通信教育課程卒業、新芸術校6期。ドメスティックな歴史(家族史、洋画史、北海道史等々)と家族になり、それらを介護しようと試みるペインター。北海道在住。