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執筆者の写真これぽーと

横浜美術館:ヨコハマ・ポリフォニーとトライアローグ(岡田蘭子、定光寧々、南島興)

これぽーとは毎週日曜日に最新記事を公開してきましたので、今回が2020年最後の記事になります。本記事は内覧会への招待をいただいたことをきっかけとして、横浜美術館のコレクション展を、ご一緒に鑑賞した岡田蘭子、定光寧々、南島興の三人で語り尽くした鼎談です。年末のお時間のある時に読んでいたいただければと思います。(南島)

 

南島興(以下、南) 今日は、横浜美術館で開催中のコレクション展「ヨコハマ・ポリフォニー:1910年代から60年代の横浜と美術」について、話していきたいと思います。同時開催の愛知県美術館、富山県美術館、横浜美術館のコレクションで構成された企画展「トライアローグ:20世紀西洋美術コレクション」に合わせて、三人で語っていきたいと思います。それでは、岡田蘭子さんと定光寧々さん、よろしくお願いします。


岡田蘭子(以下、岡) よろしくお願いします。


定光寧々(以下、定) ・・・


南 あれ、トライローグ(3者による会談)の予定が。


岡 定光さんまだ来てないですね。


南 そうですね。トライアローグだ!と意気込んで始めたのに、いきなりですが、このトークはダイアローグ(対談)での船出となるようです。。じゃあ、定光さんが来るまでに、本展の概要をざっと振り返っておきましょう。

 ヨコハマ・ポリフォニー展は、横浜美術館が長期休館に入る前の最後の展覧会となります。1910年代から1960年代の60年間に横浜を磁場に生まれたアートシーンを年代順に振り返る構成です。全10章で、まず序章ではポール・セザンヌと有島生馬の肖像画の比較を通して、明治における西洋美術への憧れの一端を示します。第一章では、現在でも活動を続ける横浜美術協会の創設に携わった川村信雄ら前衛的な洋画家を、第二章では、横浜港からフランスへと旅立った藤田嗣治や長谷川潔らの作品を紹介していました。第三章では、1923年の関東大震災の被災風景や復興の過程を描いた作品を、第四章では、新版画運動を先導した版元・渡辺庄三郎と協働した作家の版画を展示して、つづく第五章でも、横浜に生まれて、文明開化を主題に制作し続けた川上澄生の版画を見ることができました。第六章では、


定 (接続中)


岡 あ。


南 お。


定 すみません。遅れました。。


南 定光さん、こんばんは。これでやっとトライアローグになりましたね。とりあえず、ヨコハマ・ポリフォニー展の説明続けますね。第六章では、横浜美術協会で全国の美術団体に先駆けて発足した写真部に着目して、横浜ゆかりの写真家の作品を展示しています。第七章では、横浜市の森村学園の前身の学校出身で、ともにNYで活躍した岡田謙三とイサム・ノグチの絵画と彫刻を、第八章では「もの派」を中心に後進を育成した斎藤義重のインスタレーションが円形の展示室で展開されています。そして、第九章では、横浜美術協会が第二次世界大戦の敗戦後に開催したハマ展出品作家の作品が、最後の第十章では、1964年の横浜市民ギャラリー開設に合わせて、開催されるようになった現代作家を紹介する「今日の作家展」の出展作家による作品が展示されています。またそれらとは別に、横浜で窯を開いた宮川香山の真葛焼(まくずやき)と横浜生まれの林敬二の絵画の特集展示もありましたね。以上で、概要の説明は終わりになります。どうしましょうか、まずは、話のとっかかりとして、岡田さんが気になった作品などあればお聞きしてみたいです。


岡 概要説明ありがとうございます。私は、第三章で展示されていた、関東大震災の様子を描いた織田觀潮の版画が非常に気になりました。大地の揺れを表現した作品はそれほど多くはないと思っています。大地だけでなく、ぐねんと歪んだ橋からは関東大震災の壮絶さが伝わってきました。被害の程度は、東京が大きいイメージでいました。しかし、よくよく考えてみたら、横浜は山が多く、丘陵地帯での被害があったのではと、《相州片瀬川附近「大正震火災木版画集」より》(1923-1924)から読み取れたのが面白いな思いました。


南 そうですね。僕は悲惨さというよりは、地面が生き生きしているなと感じました。それは画面の構成だけでなくて、印象的な色彩対比の効果もあって、実際には揺れがおさまったあとに描いているのだろうけど、見た印象としてはまさにいま蠢いている。だから、本作はアニメーション的なというか、ダイナミックに動く大地のもっている人間には如何ともしがたい活力を写し取っていると思いました。


岡 はい、余震すらポップというか、絵本的な表現でしたよね。最近、原爆資料や戦争をテーマにした作品にふれる機会が個人的に多く、そういったモノを読んだり、見たりすると、言葉にできない気持ちになります。でも、織田觀潮の版画は、同じ被害を描いた作品なのに印象が違いました。非常にすんなりと被害の様子を受け止められというか。


南 織田の作品は最初の壁を回った所に展示されていますが、その手前にはフュウザン会に属していた岸田劉生が取り上げられていました。岸田劉生には織田と似たを描いた作品《道路と土手と塀(切通之写生)》がありますが、それはそれで変わった作品ですけど、織田の地面はすごく生き生きとしてますよね。もちろん、そのせいで、私たちの生活のインフラは壊滅しかねないのですが、それでも大地はお構いなくアニメイトする。定光さんはどう見ましたか?


定 私は未来に向けた明るさはあんまり感じなくて、青空教室を描いた作品にはそれを感じますが、ほかの作品に関しては、いまの人が考える被災と当時の被災との間にギャップがあることが一枚の作品に込められている気がしました。たとえば、画面奥の海は波があまり立っておらず、穏やかな感じに対して、手前は建物が崩れて人が住めなくなった風景が対比されていたり、色のコントラストが強調されている作品でも、色彩の明るさに対して、そこで描かれている崩れた街並みというモティーフとのアンバランスさがありました。


南 なるほど。僕が言った明るさというのは、未来に向けた明るさというより、地面が揺れ動いてしまうどうしようもなさに直面したときに、「これはしゃーないな」という、ある種の諦めにも似た現状を受け入れる明るさでした。だから、それはここから明るい未来に向かって頑張っていましょうという意味とは少し異なります。向こうには静まった海があって、手前には廃墟はあって、という強烈なコントラストを前にあっけらかんとしている、いや、あっけらかんとできる冷静さのようなものですね。


岡 織田が記録としても残すことを見据えていたのかは分かりませんが、未来の人に伝えようとするなかで、この絵本的な表現が出てきたのだと思います。多くの場合、被災の現状を悲惨に受け止めたものは、その瞬間は強く印象に残るけれど、継続的には辛いものなので記憶には残らない。しかし、織田の作品はそうした悲惨さと距離があるので、長く見れたのだと思いました。


南 そうですね、震災を伝える表現には難しさが伴いますよね。単に事実を伝えれば、後世に残るのかと言ったら、そうでもなかったりします。例えば、水俣病といったら、何を思い浮かべますか?といったら、多くの人は石牟礼道子の『苦界浄土』を思い浮かべるはずです。でも、あの本は事実を正確に記録したルポルタージュではなくて、多分に石牟礼自身の創作が含まれているものです。今日の価値観からすれば、倫理的には問題があるのかもしれない。しかし、そうした表現によって、水俣病の被害が後世の我々に伝えることができてしまう。事実を積み上げていく仕事は大事なんだけれど、それだけでは後世の人々には届かないという問題もあって、そこでは創作=フィクションの力がどこかで必要になるのでしょうね。それは、いま起きている現実と距離を取るための作法であるはずです。話を戻すと、織田の作品はその距離の取り方によって、現在の我々にも見れるものになっているのかもしれませんね。


定 悲惨さの表現だけで留まっていないということですよね。


南 そうですね。それにしても三人そろって目に止まったということは、織田觀潮もなかなかやりますね。何の気ない小品といえば、小品ですけど、やっぱり印象には残りましたね。では、次は定光さんが個人的に気になった作品はありましたか?


定 ちょっと時間もらえますか?


南 じゃあ、僕が時間を繋いでおきますね(笑)。いまは大地の「揺れ」にフォーカスした作品を見てきましたけど、美術作品における大地とその可変性という観点にずらすと、イサム・ノグチの作品でも重要な役割を果たしていると思いました。イサム・ノグチの彫刻はいくつかのパーツの組み合わせで出来ています。幼児期に受けたモンテッソーリ教育の影響もあるのかもしれませんが、彼の彫刻は、子ども向けの知育玩具のように可変的であるがゆえに、文字通り揺れます。それは近代彫刻が理念とする不動性に対する否でありますし、身体にぶらさがる腕や足のように重力を素直に受け入れた彫刻にも見えます。織田が大地の揺れによって我々の生活基盤が覆される様子を写し取っていたとすれば、イサム・ノグチにとっての揺れとは、彫刻という媒体とは何であるのか?そしてそこで中心的に扱われてきた人間の身体を捉えようとした際に必要とされた仕掛けなんでしょうね。さて、定光さんいかかですか?


定 はい。自分にとって新しい発見というわけではないのですが、私は印象派が好きなので、セザンヌの絵が良かったです。


南 夫人の像ですか?


定 いえ、風景画の《ガルダンヌから見たサント=ヴィクトワール山》の方です。展示室入ってすぐの位置にありますし、日本人にも馴染みがあるので、キャッチーだったと思います。展示意図としては、有島生馬がセザンヌを紹介する流れで、両者の夫人画の比較がされていました。このセザンヌの絵画にも、私は地面の揺れのような「動的」な要素を感じ取りました。文字通りの「写実」的な絵画というわけではないけれど、木や山肌、草たちが風に影響を受けてなびいているような一瞬を描いています。もちろん、一瞬を捉える静止画なのだけど、どこか動画のような、長い時間を感じられるようなところがセザンヌの絵画の魅力ではないでしょうか。


南 まさにその点はセザンヌの真骨頂ですね。一般的な意味で写実的に描く方法とは全く別の仕方で、セザンヌは風景を生き生きと描いています。その時ポイントとなるのは、彼の筆触ですよね。線と色を統合する筆触を、ある意味ではセザンヌは再発明することで、彼が呼ぶところの「感覚」を再現しようとしています。我々が見ている世界は、不安定なものであってすぐ移り変わってしまうものではあるけれど、そこに限りなく近づくように努力しました。定光さんが感じた「揺れる」感覚は、したがって筆触や余白の効果によって演出された、我々が世界を見ている、その知覚自体の揺れ動きかもしれませんね。あと付け加えれば、セザンヌが描き続けたサント=ヴィクトワール山はたしか石灰岩でできた山で、朝と昼と夜とによってけっこう色が変わるみたいなんですよね。つまり、実際に色がゆらめく。この変化もセザンヌがサント=ヴィクトワール山をモティーフに選んだ理由の一つなのかなと思ったりします。


定 素描が重視されてきた時代の流れの中で、どう描くかもそうですけど、結局何を捉えたいのかっていうのを問い直したときに、線と影とか、色とかを別々に分けて考えるのではなくて、筆触というものを使っていくことが彼の中で最善の策だったのかなと思いました。また、セザンヌは人物画も描くと思うんですけど、自然を対象としながらも結局掴めないものに対して、変わっていく中でも変わらないものを掴もうとしていたのかなと思ったりとか、核に迫っていこうとする姿勢が魅力的だと思います。


南 その通りですね。そして、まさにそこが印象派とセザンヌの違いですよね。印象派を突き詰めていくと、具体的な世界は胡散霧消していかざるを得ません。視力の衰えも一因ではありますが、モネがそうであったように世界から堅固さが失われて、光のきらめきだけが残る状態に行き着いてしまいます。この印象派の帰結からいかに対象の形や堅固さを取り戻すのか、これがセザンヌにとっての重要な課題の一つとなりました。ルノワールが晩年に豊満な裸体像を描き始めたのも、モチベーションは似たところにあるでしょうね。特にセザンヌは異常に生真面目でもって、世界を世界足らしめている核を強く求めていきます。


定 形への、ある意味での固執ではないですけど、人間が、自分がどう捉えるかということを一生懸命絵に落とし込もうとしていたっていうのが面白いですね。


南 このあたりは彫刻家のジャコメッティも同じ問題設定をもっていると思いますが、今回は出展されていないので、話を戻しましょう(笑)。ここまでは、第1章にセザンヌの風景画から始めて、織田觀潮の関東大震災のシリーズがあり、イサム・ノグチの彫刻もありと、それぞれ何が揺れているのかは、全然異なるけど、三者三様の「揺れ」を見ることができましたね。


岡 ちょっと「揺れる」とは関係なさそうな話をしても良いですか(笑)


南 どうぞ、自由なトライアローグなので。


岡 一部屋丸ごとつかって展示していた、第8章の斎藤義重さんの作品です。何をもってして組み立て再現とするのか、やや疑問を持ちました。本作に限らずですが、インスタレーション全般における、作家以外の人が組み立て、異なる場所で組み立てた場合の「違い」を、どこまで許容するのかなと。私たちはどう解釈して見たら良いのだろうとなりました。


南 そこは作家によっても考え方が違うと思います。斎藤義重がどうかはわからないですけど、作家自身の指示書があるのかないかということでもあります。横浜美術館の展示室は円形だったので、インスタレーションはたいぶ見え方が変わりますよね。なので、あの展示が作家本人とは別の学芸員なりキュレーターの意図によって作品の解釈というものが良くも悪くも少し変えられてしまうというのは当然あると思うし、そこの倫理観が問われる部分はありますね。逆に、斎藤自身がなんでもいいよと言っている可能性もありますが。


岡 (笑)


南 どんなところでも私の作品は私の作品になる、そういう言い方もできる気がします。とはいえ、斎藤が影響を与えたと言われているもの派や菅木志雄の作品の場合は、ものと空間の関係が重要なので、その慎重な手つきから言うと、斎藤のあの展示はどうなんだろう?展示の責任の主体はどこにあるのかは不明瞭ですね。作家自身にあるのか、学芸員自身にあるのか。


岡 空間とものの関係の大事な要素であるバランスの部分を、指示書はあれど作家以外の手でおこなっていたのだとすれば、ますます何を見せられているのかがわからないというのが正直な感想です。たしかに記録的なものはありましたが、違いを許容して作品を価値づけるための前提の話までは伝わってこなかったなと思います。「揺れる」からはズレてしまいましたか(笑)


南 でも、「揺れる」という意味では、物理的に作品の見え方が変わるというのがインスタレーションにはその宿命としてありますね。見え方自体は場所とか時代によって揺れるというか変わらざるを得ない。あとは、それを作家がどこまで許容するかというところですね。

 さて、だいぶお話しましたが、まだ触れられてないのは、戦後〜現代の展示室ですね。ハマ展があって、そのあとは現代美術。なにかあったらお願いします。

定 荒川修作が個人的に好きなんですけど、でも第10章「今日(こんにち)の作家展」に置かれていた剣みたいな作品《作品》については、どう受け止めればいいのかがわからなかったです。

南 棺桶的なものに入ってた作品かな。

定 そうです。荒川修作のテーマ・死への抵抗とかを踏まえても、難しいなと・・・。

南 そもそも荒川修作にどう関心があるんですか?

定 三鷹市の天命反転住宅に行きたいなと思っていて。

南 良いところですよね。

定 荒川修作は作品の在り方や姿勢が好きな芸術家のひとりで、ヘレン・ケラーの影響を受けた頃から面白いなと思ってきました。目が見えない、声が聞こえないなかでどういうふうに世界を感覚していくのか。声を出すときも口に手を入れることで、体を媒介とした感覚によって世界を知覚していたことに、人間らしさというよりは、生き物らしさというのを感じたりします。言葉を習得するとなると人間に寄ってきますが、人間である以前に、生命体として感覚を研ぎ澄まして世界と接続する、体と空間の関係性に行き着いたところが好きです。今回の作品に対しては、荒川の空間を重視するような作品ではないものと出会ったのが初めてだったので、建築以外での表現方法を、どう受け止めたら良いかがわからなかったんです。

南 なるほど。三鷹の天命反転住宅も、岐阜の養老天命反転地も、自分自身が気づいていない身体操作に気づかせていくことで、人間の身体の拡張を実感させる、建築でありランドアートですね。荒川自身は死なないと言いつつ、死んだわけですけども、身体を拡張し続けることによって、ある意味では死なないのかもしれない。荒川には、そうした大型作品とは別に、今回展示されたような小作品や絵画がありますね。思うに、自ら作品をつくって棺桶に入れるということは、死を再演しているように見えます。死を模倣するということは、その時点ではその人は生きているということで、死を再演できなくなったときにその人は死んでいるということになります。横尾忠則の作品も同じ展示室にありましたけど、死をあらかじめリプレイしておくという考えは、横尾にもありますね。横尾に関しては「死を擬態する」という言い方を、本人あるいは批評家がしていたと思います。そこでは割腹自殺を選んだ三島由紀夫に対して、生き続ける自分も意識されているはずです。横尾は生き続けるために死に続けている。そして、死を擬態した彼のポスターは無数に頒布されていき、死が無限に分散化していきます。だから、荒川修作の棺桶シリーズを考えるときは、なかに入るモチーフがそれぞれ違えども、大枠でいうと死を再演することで生きながえることを証明していると言えるのではないでしょうか。

定 すごく納得しました。

南 荒川修作自体も色々言葉を残しているし、それなりに研究もあるので、調べたらもっと言えると思いますが、個人的にはそういうことだと思っています。そういえば、三鷹の天命反転住宅を毎年一週間ぐらい借りて止まっている人が知り合いにいて、良かったら行ってみてください。人を招いてごはんを食べたり、イベントを催したりしています。

定 はい(笑)いまの南島さんのお話を聞いて、荒川修作には良い意味での図太さを感じてしまいました。

南 良くも悪くも、荒川本人は揺れないです(笑)。でも、実際に三鷹の天命反転住宅や岐阜の養老天命反転地に行くと、我々の身体は揺れるというか、粉々にされる。

定 直接、行ったことないですけれど、地面が土踏まずの形になっていたり、自分の外側を通じて自分の内面の新しさに気づくというのが、自分がいままで出会ったことがない感覚だなと聞いてて思いました。荒川修作の作品は、作品を享受するわたしたちの価値感とか、建築であれば身体や感覚を揺れ動かしてくれる作品ばかりですよね。

南 まさに我々の身体が物理的に揺れざるをえないわけですが、逆に捉えると「ふつうに歩けるとはどういうことなんだろう?」という疑問も湧いてきます。天命反転住宅や養老天命反転地は出た瞬間に普段の日常動作に意識が働く。だから、荒川の作品は、出たあとに始まるというか、その鑑賞/体験の時間自体が反転していると言えるかもしれません。我々の生活自体が荒川修作によって規定されるというか、影響を受けざる負えない。本展に出品されていた作品が死という問題を扱っているコンセプチュアルな作品だとすれば、それを身体に訴えかける形に変換すると、天命反転住宅や養老天命反転地のような物理的な揺れ動きがある作品になると思います。

南 ところで、今回開催中の企画展「トライアローグ」展も、日本の三つの美術館の所蔵品からなるコレクション展なので。そちらにも少し言及しておきたいと思います。

 僕自身は、直接に常設展とは関係はありませんが、ベルギーのシュルレアリストのポール・デルヴォーの3つの大作は圧巻だと思いました。日本ではシュルレアリスムといえば、マグリット的な錯視絵画がイメージされやすいです。というのも、印象派や東京都現代美術館でのオラファー・エリアソン展も含めて、目でみて面白いと思わせる作品に人気が集まりますが、そうした「知覚原理主義」的なものにマグリットも登録されているからです。しかし、それがシュルレアリスム全体では当然ありません。ポール・デルヴォーの大作の展示は、マグリットではないベルギーのシュルレアリストの作品として、これもシュルレアリスムなんだなと、知覚原理主義とはまた別のかたちで見せられている気がしました。ちょうどいま、金沢21世紀美術館ではベルギー・シュルレアリスムの流れを継ぐ現代作家ミヒャエル・ボレマンスの展示が行われています。その祖先であるところのポール・デルヴォーの作品と合わせてみることで、マグリットだけでは見えてこないシュルレアリスムの姿を考えられると思います。定光さんは、いかかですか?

定 今回の常設展示は、横浜美術館だからこそできる展示だなと思いました。日本や横浜を舞台にした絵画がある一方で、港町で日本の外側との出入りや交流が多かった場所ということで、西洋絵画とかの並びもあって、横浜という地域性が垣間見えたなと思いました。

南 そうですよね。人がなぜ常設展を見ようと思うのかといえば、その土地ならではのものが見れるからであって、企画展の場合はそうではないです。それこそ旅行したときに美術館に行くとして、企画展と常設展のどちらを見るか選択を迫られた場合は、僕なら常設展を見たいなと思います。常設展はそこでしか見れないものだからです。それは展示品がその土地と何らかの関連があるからですね。今回であれば、1910年代から1960年代まで、関東大震災などと紐付けたいろんな表現を展示して、横浜でのストーリーを見せながら横浜という場所とここで展示されている作品との関係を提示すれば、人はコレクション展を見る動機づけになると思います。逆にそれがなければ、行く動機がないと思いますね。

 といったところで、お時間が来てしまいました。この辺でダイアローグで始まったトライアローグは終わりとしたいと思います。今日は岡田さん、定光さんありがとうございました。

岡・定 ありがとうございました!

 

会場・会期

横浜美術館「ヨコハマ・ポリフォニー:1910年代から60年代の横浜と美術」展

2020年11月14日から2021年2月28日まで(日)

 

執筆者

岡田蘭子

1985年生まれ。女子美術大学大学院美術研究科修士課程修了。都内IT企業勤務。趣味は美術鑑賞。美術と生活の接点となる取り組みに関心があり、その一環として美術鑑賞を楽しむ人を増やす活動に賛助したい想いがあり、「これぽーと」に参画。


定光寧々

2000年生まれ。慶應義塾大学文学部美学美術史学専攻在学中。専門は西洋美術史ながら、最近の関心は身体論やビデオゲーム。グラフィックを中心としてデザイナーとしても活動中。


南島興

1994年生まれ。東京藝術大学美術研究科博士課程在籍。20世紀美術史を研究。旅行誌を擬態する批評誌「ロカスト」編集部。ウェブ版美術手帖、アートコレクターズ、文春オンラインなどに寄稿。全国の美術館常設展レビュー企画「これぽーと」代表。



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