これぽーとを主宰している南島です。今週は、レビューの使い方会議の第13回目です。以下、説明に続いて、本文になります。
前から少し疑問だったことがあります。毎月のように展覧会が開かれて、それに対するレビューがさまざまなメディアで公開されている。けれど、展覧会が終わったあとのレビューや、一度読まれた後のレビューはどこへ行ってしまうのか。書籍であれば、何度も読み直されることや本棚にしまっておいて、その時々で読み返されるということがありますが、展覧会のレビューで、それもネット公開のものは、なかなかそうはなりにくいと思います。どうしても一回の使い切り感が否めません。これはもったいないことだなと前から思っていました。本来、レビューは展覧会が終わったあとやその展覧会の存在すらも忘れられたあとにこそ、それがどんな展覧会であったのかを記録した資料として重要な意味を帯びてくるはずだからです。
こういった問題意識からこれぽーとでは断続的に、南島がこれまで公開されたレビューを僕なりに紹介していくことにしました。題して「レビューの使い方会議」。試しにではありますが、この場でレビューの「使い方」をいろいろ見つけ出していきます。レビューを書いていただいたみなさんのためにも、読んでいただける方々のためにも、主宰者である自分には、それを発見していく責務があると思っています。
第13回目となる今回は、2020年12月、2021年1月に公開された東京国立近代美術館と円形劇場くらよしフィギュアミュージアムのレビュー記事をご紹介いたします。
男性彫刻的なものとは自身の身体を晒すことに恥じらいをもたず、疑いをもたないことで成立しています。それを執筆者は「男性彫刻性」と呼ぶことで、そうした彫刻観がその身体の男女差、年齢差などをこえて、適用できてしまうことを指摘しています。問題は、男性彫刻に対する考え方と展示方法であると同時に、その奥にある男性彫刻性にあるのです。もとより展覧会とは作品を晒す場所として機能してきました。晒されることのなかには、常に危機意識がある。その生存の脅かされるような状態に自らを投げ込み、その照明に当てられた身体と存在感を提示できるボディこそ展覧会に向いている、いや展覧会という中立的にみえるイベントはあらゆる作品を晒されるボディへと改変してしまう装置なのだと考えたほうがいいでしょう。常設展とは一時ではなく繰り返し同一作品を展示し、危機に晒す常設展は男性彫刻性を無批判に醸成し、より強固なものとして提示しうるシステムなのです。本レビューではこうした展覧会という形式のもつ原理的な晒されの暴力性について論じられています。
これぽーとの楽しみのひとつは、ぼくの知らなかったミュージアムについてレビューを読めることにあります。どれだけ美術メディアがあっても、その人が関心をもっているジャンルや住んでいる場所によって、入ってくる情報はまったく変わってしまいます。これぽーとでは全国の方にレビューを書いていただいているので、自然とこれまでぼくやみなさんが知らなかったようなミュージアムの、しかも常設展・コレクション展の内容を知ることができます。今回紹介するのは鳥取大学大学院の学生の方からメールをいただき執筆していただいた円形劇場くらよしフィギュアミュージアムのレビューです。くらよしフィギュアミュージアムは元小学校の円形校舎をリニューアルして2018年に出来た新しいミュージアムで、行政の進めている「まんが王国鳥取」をスローガンとした町おこしの一環として開館したそうです。レビューは本来、知らないミュージアムについて知らせるという、言われてみれば、当たり前の機能も果たせるはずです。このレビューはそんな意味でも有意義なものです。
・執筆者プロフィール
南島興
1994年生まれ。東京藝術大学大学院美術研究科修士課程修了(西洋美術史)。これぽーと主宰。美術手帖、アートコレクターズ、文春オンラインなどに寄稿。旅する批評誌「LOCUST」編集部。
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