これぽーとを主宰している南島です。今週は、レビューの使い方会議の第8回目です。以下、説明に続いて、本文になります。
突然ですが、前から少し疑問だったことがあります。毎月のように展覧会が開かれて、それに対するレビューがさまざまなメディアで公開されている。けれど、展覧会が終わったあとのレビューや、一度読まれた後のレビューはどこへと行ってしまうのか。書籍であれば、何度も読み直されることや本棚にしまっておいて、その時々で読み返されるということがありますが、展覧会のレビューで、それもネット公開のものは、なかなかそうはなりにくいと思います。どうしても一回の使い切り感が否めません。
これはもったいないことだなと前から思っていました。本来、レビューは展覧会が終わったあとやその展覧会の存在すらも忘れられたあとにこそ、それがどんな展覧会であったのかを記録した資料として重要な意味を帯びてくるはずだからです。
こういった問題意識からこれぽーとでは断続的に、南島がこれまで公開されたレビューを僕なりに紹介していくことにしました。題して「レビューの使い方会議」。試しにではありますが、この場でレビューの「使い方」をいろいろ見つけ出していきます。レビューを書いていただいたみなさんのためにも、読んでいただける方々のためにも、主宰者である自分には、それを発見していく責務があると思っています。
第8回目となる今回は、2020年10月に公開された石川県輪島漆芸美術館と三菱一号館美術館「Café 1894」のレビュー記事をご紹介いたします。
このレビューは展示されている作品そのものではなく、展示の手法に着目したものです。何気なく配置されたかのようにみえるガラスケースや解説パネルには、作品への理解を深めることができるように、また展示全体としてもある流れを意識させるような工夫が加えられているのです。よく考えてみれば、展覧会とは作品が置かれていて、それを鑑賞者は見ているのだ、という全体は正確ではないわけですよね。なぜなら、実際には会場には解説パネルがあり、仮設の壁が設置され、ある作品や資料の場合には展示用のケースに収めされ、照明が作品や展示室ごとに調整されます。その他にも細部を見ていけば、きりがないほど、ある一つの展覧会は作品以外の要素から成立していることが分かってきます。たとえば、そうした作品以外のいくつの要素で出来上がっているのか数えてみるという展覧会の見方もできるはずです。それに、それらの要素はよく見れば、概ね目に見えるものであるはずです。岡田さんのレビューを読んで、もしレビューを書くことを通して、展覧会とはなにか?と考えるのなら、作品をよく見せるために準備された、いわば、他なる展示物たちに着目してみる必要もあるのかもしれないと思いました。ぜひ、ご一読ください。
これぽーとで初めてのミュージアムカフェのレビューになります。前々から美術館に付帯する施設として、ミュージアムショップとカフェはどこかで取り上げたいと考えていました。というのも、ショップやカフェも収蔵庫にまた収蔵庫に収められた作品たちとは別の形で常設されていると言えるからです。常に見ることのできるコレクションが美術館と人々の距離を縮め、ショップやカフェが人々にとって居心地のよい場所に変えてくれます。また、じっさいにメニューにコレクションを模したものが考案されたりすることもあります。カフェはコレクションそのものではありませんが、美術館を親しみのある場所にし、またコレクションを人々に伝えるためのメディアとしても機能する力を秘めているのです。名なしのコラムニストさんは、その一回目として三菱一号館美術館のカフェ「Café 1894」についてレビューされています。展覧会のレビューとは異なって、ご自身の過去の出来事と結びついて語る手法が取られている点に「食」を伴うカフェレビューらしさが感じ取れると思います。これはそれ以降のカフェレビューにも共通する特徴です。さて、あなたにはどんな思い出がミュージアムカフェにありますか?
・執筆者プロフィール
南島興
1994年生まれ。東京藝術大学大学院美術研究科修士課程修了(西洋美術史)。これぽーと主宰。美術手帖、アートコレクターズ、文春オンラインなどに寄稿。旅する批評誌「LOCUST」編集部。https://twitter.com/muik99
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