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執筆者の写真これぽーと

インターメディアテク:空間を残す、事物を顕す(楊 光耀)

 「これぽーと」とは、美術館の常設展に対するレビューのプラットフォームである。今までに多くの美術関係者・愛好者によって多くのレビューが投稿されてきた。このプラットフォームはこれまでの美術品が現存するうちに書かれた貴重な記録であると同時にこれからの書き手の発掘でもある、重要な試みである。投稿者は全国各地の美術館をめぐり、いずれ日本全国の常設展のレビューが揃う日も近いだろう。  

 

 しかし、それだけでは揃い切らないピースがあるように思える。「常設展」を見る時の体験は必ずしも美術館の中だけで完結するものではないように思えるからだ。


 そこで本稿では、今までの「これぽーと」の方向性に対して少し軸を振ってみる。すなわち、美術館のみならず博物館について書くことである。そもそも美術館と博物館も起源は同一で物品を収集しており、どちらもMuseumである。美術館だけにとどまらない「常設展」のレビューをそれこそ収集するための博物館Museumとしての「これぽーと」とでもいえようか。


 さて、手始めに東京駅前にあるインターメディアテクを訪れる。元東京中央郵便局、現KITTEの2階3階に位置する、東京大学総合博物館の展示施設である。東京駅前に位置し、インターメディアテクと称するだけあって、ずいぶん洗練された博物館である。


 KITTE低層部の瀟洒な白いタイルのファサードは、かつて近代建築の名手であった建築家吉田鉄郎(※1)による設計だ。インターメディアテクを語る上で、本建築は切っても切り離せない。東京中央郵便局を新たにKITTEとして再開発する際に、貴重な建築であったことから建築保存論争が生じた。紆余曲折あったものの、結果的に東京駅側のファサード含めた表側の空間が保存され、そこにインターメディアテクが作られたからである。


 すなわち、インターメディアテクそのものが過去の建築空間が保存されて、改築を加えながらも使用されている。同語反復的に、博物館を作ることは同時にそれ自身を展示することでもあるのだ。


 インターメディアテクに入ると、まずエントランスに巨大な白い階段があり、標本が飾ってある。階段は遠近法が操作され、過去と未来の事物の間のさまざまなパースペクティブを象徴するかのようである。



 展示室へ入ると、往年の名建築の分厚い骨格が残された贅沢な空間の中に、展示品が陳列されている。展示品は写真撮影禁止だが、その理由が「来館者がそれぞれの展示品をご自分の目でご覧ください」とある。もちろん展示品の保護が目的にあるが、表向きにそう説明することで、来館者にしっかり観察眼を養って欲しいといった館側の思いが込められている。



 ところせましと並べられた各々の展示品は、圧倒的な物質の情報量を持っている。化石や植物や鉱物の表面の持つ自然の構造、骨董品や機械や模型の作る人工の美学。まじまじとひとつひとつ凝視すると、キャプションを読まずとも、めまいのするような事物の世界に引き込まれていく。情報の解像度とよく言うが、ここの現物の解像度に勝るものはないだろう。


 展示品は小さな標本から大きな化石まで、様々な大きさのものがあり、それを格納する展示什器も大小様々ある。統一されているようで、それぞれ個別の形や造りを持っている。一部の什器は、実は元の東京中央郵便局の窓枠を溶接して再構成したもので、入子状にそれ自体も展示品であると言える。よく見ると表面の錆や塗装の剥がれた跡からは、什器そのものの内包する時間性が感じられる。建築保存には様々なレイヤーや段階があるが、こういった工夫も保存に寄与している。


 インターメディアテクを考える上で、現代の情報社会における博物館であること、都心の超一等地に無料公開される博物館であること、総合大学の博物館であること、といった様々なインターメディアテクの特徴が、常設展の意味をより拡張することになる。


 まず、現代の情報社会における博物館について考えると、限られた空間の中で、増大し続ける情報や事物をいかに収集して保存するか、博物館の役割が変容している。本館では、巨大な保管庫であったかつての博物館から、いつでも事物を取り出し可能で、情報や体験を編集・運用する博物館へ変化している。その時に研究施設の拡充やデジタル・アーカイブの整備のみならず、来館者のワークショップや出版、展示空間そのものの表現と言った、相互的で学際的な博物館になっている。インターメディアテクという「インター」の「あいだ」はまさにそれを表している。


 都心の超一等地に無料公開される博物館であること、は先述したような建築保存の背景を交えながら、KITTEの利用者だけでなく、東京駅や周辺のオフィスの利用者に対しても、日常的に、博物館に触れる機会を増やす。そのため来館者が安定的に一定数いて、来館者を特別に想定することなく、研究と連続した常設展や企画展を企画することが可能になる。


 総合大学の博物館であること、からは、社会のかつて姿をアーカイブすることにもなる。その姿は東京大学と東京藝術大学の前身である東京美術学校の関係にまで遡る。理学部や医学部といった学部で、稠密に描かれた生物や人体の構造の標本画が教材になっていた。それを描くことのできる画力を持っていたのが東京美術学校の学生であり、学生の画力の向上は、当時の生物学や医学の発展につながった。それらの標本画は常設で展示され、展示品を通して事物の歴史のみならず、当時の社会における学問と芸術の関係までもが浮かび上がる。また現在でも学内の各専攻の持つ資料を、入れ替わりで企画展を行なっている。


 事物が溢れかえる今の世の中で、こうした静止した時間の中に定められた、かつての事物を静かに見つめる空間は貴重である。多くの事物がめまぐるしく変化し。本物か紛い物か区別が付かない中で、不変であり続ける事物の起源を辿り、その時間や存在をあらわす資料は、博物館ならではの常設展である。もっとも、ここにずっといると、事物の奥深さに飲み込まれてしまいそうで、そこからどうやって現実に戻るかを考える必要ではあるが。


※1:吉田 鉄郎(よしだ てつろう、1894年5月18日 - 1956年9月8日):日本の建築家。庭園研究家としても知られる。多くのモダニズムの名作建築を作った。中でも逓信建築(郵便局)を数多く作った。代表作:東京中央郵便局著書(1933年一部保存)大阪中央郵便局(1939年現存せず)。著作『日本の住宅』(1935年)

 

会場・会期

 

・執筆者プロフィール

楊 光耀(やん・こうよう)

1993年生まれ、東京大学工学系研究科建築学専攻修士課程修了。現在、建築設計事務所勤務。都市研究会Urban Exercise主催。専門は建築理論、都市計画。

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