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世田谷美術館分館宮本三郎記念美術館:抽象、裸婦、根(南島興)

 ピエール=オーギュスト・ルノワールが休日の晴れやかなパリを描いた印象派の絵画から後半期になると光の混沌から絵画を救い出すかのように裸婦という具体的な対象へと回帰したことはよく知られている。古代ギリシャ・ローマにおける理想的な美の探求とは別の目的のために裸婦は再び召喚されることになったのだ。再び形を取り戻し、再び「絵画」を描き始めるために。


 戦後の二度目になる渡欧を経て、宮本三郎が抱いた心情の幾らかは時期は異なれど、ルノワールにも近いものだろう。一度目の渡欧では古代美術に魅せられ、二度目は同時代の美術、すなわち抽象絵画をじかに多く目にした。そして、何より帰国後の1950年代半ばに日本美術界を席巻することになるアンフォルメルに対して、宮本はルノワールがかつてそうであったように自らの絵画の位置を見定める必要があったように感じる。


 この抽象との折り合いのなかで、浮上してくるモティーフが裸婦であり、根である。本展はボルケーゼの園やトレドの道、セーヌ河岸といった旅行先の風景画から始まるものの、そのあとは、この二つのモティーフの変奏曲として描かれた作品群によって構成されている。

風景画をぬけて初めに目にする《画室の裸婦》(1954年)は線描とかつて「立体派風」と呼ばれた面的な構成から生真面目に構築されているが、裸婦は生気を失って、まるで絵画空間のなかに投獄された囚人のように映る。これが《裸婦》(1957年)や《(うずくまる裸婦)》(1957年頃)、《(牛)》(1958年頃)、《乳牛》(1958年)になると、それらのモティーフが中原佑介の言うように抽象的な「パターン」として登場することによって、抽象的でありながら、具体的な物の観察に基づいているという進展を見せる。


 宮本自身の語ったところでは、彼にとって抽象絵画がもつそれを描く画家の国籍や人生といったアイデンティティに関わる問題群を無きものにして、のっぺりとした(今で言えば)ローカリズムの否定としてのグローバリズムに対する批判的なまなざしを有していた。この彼のしごく真っ当な抽象絵画に対する認識を踏まれば、牛や裸婦といった具体的なものによって作られるパターンが抽象的でありながら、それがたしかに宮本三郎という日本の画家によって描かれたという徴、あるいはアイデンティティの表明にとって重要な役割を担っていたとも考えられるだろう。


 ただし、こうした裸婦や牛といったある塊を持ったモティーフとは異質なものが並べられている点は見逃すべきではない。それは《(根)》(1957年頃)のことである。というのも、根とは地下空間のなかで無数に手を伸ばし、互いに交差しあい、大小異なるネットワークを張り巡らせることで、ひとつの塊から逃げ出るという運動性を宿したモティーフに思われるからだ。それが丸みを帯びて、画面を覆う裸婦や牛と並べられると、たしかな違和感を抱く。しかし、《農夫》(1957年)を見れば、根というモティーフの方がむしろ裸婦などに先行している可能性が浮上するだろう。農夫がベッドに横になり体を預けている立派な根は画面のなかにうねうねとした形からなるネットワークを形成することで、人物が安心して眠ることができる場を提供している。文字通り、人物に先行して根が画面に描き込まれているのだ。ちょうど本作は《画室の裸婦》と反転関係にある作品といえる。《画室の裸婦》が画面の左側に坐した裸の女性が平行線の組み合わせによる線的な構築によって、絵画の中にちゃんと閉じ込められていたのに対して、《農夫》は画面の左側にいる着衣の男性が背後に頑丈な根の支えを得て、無防備にでも安らかにうたた寝している。何より、描かれた人物の上下が逆さになっている点にはなかば意図的なものすら感じ取れてしまう。つまり、根のモティーフとは宮本が生きた同時代の抽象表現のなかで、作家自身の固有性の徴であると同時に絵画内のシステムの探求に引き籠ることない解放性の現れだったのではないだろうか。


 根のモティーフは具体的に根そのものが描かれかずとも、後半期の宮本の作品に見られる特徴でもある。たとえば《農夫》のすぐ横に並ぶ二作《流水 手取川》(1959年)と《水》(1960年)はクールベの波の絵を思わせるが、ここでも根の渦巻く線描が分かりやすく登場しているし、このくるんとした形の反復は晩年期にあたる二作《ヴィーナスの粧い》(1971年)と《假眠》(1974年)にも見られるものだ。特に前者には顕著で、理想美というより恋慕の思いを抱かせる甘美なヴィーナス像は農夫とは異なり絵画の奥にではなく自らの表面に根のような曲線が繰り返し描かれている。すなわち、ここで根は、《農夫》の時とは画面と人物の間から人物と鑑賞者の間に位置を変えている。そうすることで、ヴィーナスのぼやけた曖昧な存在感が際立ち、独特の華麗さが演出されているのだ。宮本の死の間近であった事実や《假眠》で描かれる洋風人形たちの姿は、不安定さに支えられた優美さに死の影が潜んでいることもまた読み取ることができるだろう。根は宮本の描く裸婦の肌がいくつかの色が揺らめいて見えるのと同様に順不同に立ち現れる色の散らしによって画面を覆い甘美と死をほのめかす、色のネットワークを張り巡らせるのに重要な役割を果たしているのだ。


 花と裸婦の画家と、よく宮本は紹介される。けれど、戦後の彼の画業を少ない点数であれ展示会場で目にすると、着目すべきは裸婦そのものではなく、彼女を甘美に見せている根的なネットワークであると分かる。またそうした妖艶な輝きとは対極に存在する土にまみれる農夫は、自らの存在を別の根的なネットワークに支えられていたことは明らかであろう。それは抽象のなかに具体的な事物をどう位置付けるかという課題への応答であるのみならず、おそらくは日本人画家としての固有性の確保とも通じるモティーフだったのである。しかしそうなれば、もはや根はただのモティーフを超え出た何かになっている。それを何と呼ぼうか。

 

会場・会期

世田谷美術館分館宮本三郎記念美術館 「宮本三郎、画家としてⅡ: 混沌を貫け、花開く絵筆 1950s-1970s」展

2021年10月16日から2022年3月13日まで

 

・執筆者プロフィール

南島興

1994年生まれ。東京藝術大学大学院美術研究科修士課程修了(西洋美術史)。これぽーと主宰。美術手帖、アートコレクターズ、文春オンラインなどに寄稿。旅する批評誌「LOCUST」編集部。https://twitter.com/muik99