1.もっとも身近な美術館として
京都市の市街地の北のはずれ、ちょうどイチョウ並木の紅葉がきれいな北山通の近くにある大学に通っている。現在はいわゆる理系の単科大学に分類されるらしいが、その起源にあたるのが「デザインの夜明け-京都高等工芸学校初期10年-」展の舞台の京都高等工芸学校(以下:京高工)である。その京高工の収集品を中心として、1980年に開館したのが、京都工芸繊維大学美術工芸資料館だ。本展は開学120周年を記念して、さらに美学会の全国大会と重ねる形で企画された。
在学生である筆者は、本展を3,4回に分けて鑑賞した。毎回すべての展示室を通して見つつ、その都度注目する章や作品を変えた。そんな鑑賞の総体としてレビューしたいと思う。
本展は「Ⅰ教員たちの技と芸」、「Ⅱ京都高等工芸学校 創立10周年記念会「再現」-同窓会誌『済美』第8号より」、「Ⅲ教員たちの眼-欧米の多彩なデザイン資料」、「Ⅳ京都高等工芸学校と関西美術会」、「Ⅴ初期講師作品と生徒たちの歩み」の5つの章で構成されており、およそ200点ものコレクションが並んでいる。展示作品は、京高工の教員・卒業生によって作られた作品と国内や欧米で収集された作品の2つに大別できる。彼らの手つきの分かる作品とその眼差しの先にあった作品というように。私はこれらをゆるやかに反復しつつ鑑賞を進めた。
2.京高工をめぐる手つきと目つき
まず、第一展示室に入ると右手に、横幅が2m近くの浅井忠《武士山狩図》が目に入る。サイズの問題もあるのだろうか、同館で唯一常設されているおなじみの作品だ。浅井は東京美術学校の西洋画科の教授として文部省からのパリ派遣時に、京高工初代校長の化学者・中澤岩太と出会ったことをきっかけに、帰国後に図案科の教授として京高工に着任した。
洋画家として知られる浅井だが、本展では洋画に加えて日本画、屏風、陶芸、漆芸、その他工芸品のための図案までの多様な作品が並んでいた。その一つの《浅井忠図案 梅図花生》は、浅井自らが絵付けしたものだとされている。澄んだ青色をした細長い筒状の花生(花瓶)だ。表面に描かれた図案を見てみると、枝は下から上へと細くなりながら伸び、その上部に梅花が円形に還元されて描かれている。黒一色の枝の描写からは絵画というよりシルエット(=影)のような雰囲気を感じ取った。単色のベタ塗りと縦長の形状は、第3章以降で数多く展開される近代フランスのポスターに描かれた動きのある女性のシルエットに近い印象を受ける。
このように図案制作では、モチーフの形状や色彩の単純化が焦点となる。第5章で展示されている「草花模様化練習」という生徒の実習作品からも同様の試行の足跡をうかがい知ることができ、教育現場と教員たちの実践が密接に関わっていたことが分かる。なんとこの実習は形を変えつつ現在まで継承されていて、筆者も入学直後に取り組んだことが思い出される。そのときは確か「デフォルメ」という語が課題文に書かれていた。
展示に視線を戻して、次に目を引かれたものは、浅井の図案と皿が衝突したかのような大胆なデザインの《四代目清水六兵衛製作 菊文様菓子皿》だ。図案そのものが菓子皿の部分と一体的に形作られており、一見すると美術の領域に近い実践と言えるかもしれない。しかし、あくまで実物を製作したのは清水で、浅井の仕事はデザインだ。
さらに浅井と同じく図案科の教授であった建築家の武田五一による展示作品にも花瓶が含まれていた。とくに武田五一の《七代錦光山宗兵衛製作 百合花文様花瓶》の優美な印象を与える細くて白い曲線は、第2章以降で見ることになるシェレやミュシャのポスター表現における輪郭線の取り扱い方を思わせる。
浅井や武田に見られる、画家や建築家としての仕事だけでない領域横断的で包括的な仕事からは、同時代の西洋で活躍したウィリアム・モリスやチャールズ・レニー・マッキントッシュらが連想されるだろう。そもそも京高工が工芸から建築までを取り扱う学科を「図案科」という名称にしていたことは,特定の美術工芸のジャンルに拘泥せずに,応用可能な技術としての図案制作の教育に力点をおいていたことを意味しているはずだ。
このような職能は今でいうところのデザイナーに近い。開校当時はまだ使われていなかったデザイン(design)という語は、現在一般的には意匠(ヴィジュアルデザイン)を意味する語として認識されている一方で、広くは計画や設計という意味も持っている。おそらくこういう流れのもとで、110年後の今、デザインと建築の両方を含み持つ学科に至っている。
続いて2階の展示室に進むと、数十枚のポスターがずらっと並ぶ。フランスの近代ポスターのコレクションが同館のコレクションの中核をなしていて、他館に貸し出されることも多い。このフロアにはミュシャやロートレック、クリムトのポスターなど、大規模な美術館では人だかりを作るような作品も並ぶが、来館者数がそれほど多くないことをいいことに、贅沢にも独り占めできてしまった。これらのポスターは掛け軸のような縦に長い形状が共通していて、着飾った女性の姿が鮮やかに描き出されていることが特徴的だ。ポスター以外にもティファニーのガラス花瓶など開校初期10年の同時代に製作・収集された欧米のプロダクトが展示されていた。
アールヌーヴォーのなかでジャポニスムとしてパリを中心に日本の工芸や美術を引用した表現が流行していたことは広く知られているだろう。日本と西洋の離れた地の作り手たちが、双方の作品をコレクションしていたことが一因だと推察できる。浅井が運営した店舗の九雲堂はサミュエル・ビングの「アールヌーヴォーの店」*から着想を得たという。このように、当時の日本と欧米圏における「図案」や「design」をめぐる状況は、決して一方的な影響関係ではなく、相互作用的だったことが本展から垣間見ることができる。とくに、教育機関としてのデザインの収集が、通常の美術館の収集と異なり同時代的な営みであったことは特筆すべき点に違いない。
*アールヌーヴォーの名前の由来であり、ビングは「芸術的な日本」という雑誌も発行していた。
3.展示が再現されること
最後に、展覧会とは順序が入れ違うが、第2章を巡って、展示が再現されることについても考えてみたい。ここでは甲冑や古楽器,地方の古玩具、櫛や簪などの装飾品をはじめとした資料が並んでいた。キャプションには作者名が付されていないものも多く、美術館というよりも博物館の展示のようだ。デッサンや図面作成/模写のための教育資料として購入されたというが、浅井の《武士山狩図》を思い起こせば教員たちも自身の制作に使用していたのかもしれない。私たちは再現を通じて、過去の人物たちが何を眼差していたのかを追想してみることができるのだ。
ある収蔵作品が期間をおいて何度も異なるコレクション展に展示されるケースはよくあることだ。同じ作品でも異なる文脈に置かれることで、違った見え方をする。一方で、個々の作品と同様に、展覧会自体が一つのメディアだと捉えると、展示の再現にも単なる繰り返しとは違う意義が見出せるのではないだろうか。近年、展覧会史の視座から再現的な試みは少しずつ増えている気がするが、大学美術館という研究の場として、より実験的な取り組みも考えられるだろう。
4.結びに
展覧会を2周ほどしてから、本展の企画を担当した一人の同館の館長による近代京都の美術工芸に関する講義をとても鮮明に思い出した。作品単体だけでなく展覧会そのものの次元において教育・研究の現場と連続的な空間が立ち現れていたことも大学美術館ならではだろう。よくよく考えれば、展示内容における当時が思い描いていた未来のまさにその場所にいる経験はとても貴重なことなのかもしれない。
会場・会期展
京都工芸繊維大学美術工芸資料館
京都高等工芸学校開校120周年記念特別展「
デザインの夜明け-京都高等工芸学校初期10年-」
2022年10月3日から12月17日
・執筆者プロフィール
松村大地
京都工芸繊維大学のデザイン・建築学課程に在籍中。建築やキュレーションを学ぶ傍ら切り絵作家としても活動しています。最も興味があるのは20世紀の美術で、国立国際美術館によく足を運びます。おすすめの美術館は軽井沢千住博美術館です。
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