• これぽーと

台東区立書道博物館:文字の密室(水野幸司)

「文字ノ精ハ人間ノ鼻・咽喉・腹等ヲモ犯スモノノ如シ」と、老博士はまた誌した。文字を覚えてから、にわかに頭髪の薄うすくなった者もいる。脚の弱くなった者、手足の顫えるようになった者、顎がはずれ易やすくなった者もいる。しかし、ナブ・アヘ・エリバは最後にこう書かねばならなかった。「文字ノ害タル、人間ノ頭脳ヲ犯シ、精神ヲ痲痺セシムルニ至ッテ、スナワチ極マル。」文字を覚える以前に比べて、職人は腕が鈍にぶり、戦士は臆病になり、猟師は獅子を射損うことが多くなった。これは統計の明らかに示す所である。━━━━━━━━中島敦『文字禍』(注1)


 文字がいったい私たちにとって何者なのか。この問いは実に謎が多い。普段、文字を使うことや文字を読むことになんの違和感も感じないことの方が私達には自然であるが、一方で人間は誕生した時から文字を使っていたわけではない。ある時それは誕生し、私たちの自然となったのだ。その起源について示唆的に思われるある中国の漢字にまつわる話から始めてみよう。

 中国の伝説上の人物で蒼頡(そうけつ)という四つ目の男がいる。彼は非常に目が良かったために動物の足跡を見つけられ、その足跡を見分けることもできた。鳥の足跡を見れば鳥と、熊の足跡を見たら熊という具合にである。足跡はその持ち主である動物を示す記号であるが、漢字はそうした記号と物の関係の取り結びを可能にするところから生まれたと言われている。この話から人類最古の洞窟壁画とされるショーヴェ洞窟をみてみよう。諸説あるが、およそ三万六千年前の壁画とされており、その年代を特定する一つの手がかりとなったのは熊の爪痕だったようだ。洞窟内に人がずっといて絵を描き続けていたわけではなく、人のいない間には熊が洞窟にいたと考えられている。その熊が洞窟につけた爪痕と一緒に人間の描いた熊の絵があったいう事実は興味深く思われる。それは単なる偶然だと考えるのが自然かもしれないが、仮に当時、絵を描いていたネアンデルタール人が熊の爪痕をみて熊の絵を描いたのだとすれば、彼らはすでに蒼頡と同じ発見をしていたことになるだろう。実際、ネアンデルタール人の描いた洞窟壁画は異常に上手く、私たち人類よりも視覚が発達していた可能性は大いにありうる。また、逆に熊が熊の絵を見て、そこに新たに爪痕を残したという可能性も捨て切れることはできないだろう。もし、そうだとすればさらに驚きである(あの暗闇でどれほど熊の目が利くのかは分からないが)。いま、書いたことも私の妄想の域をでないことではあるが、いずれにしても、文字を考えるにあたって一般的に文字と言われるものと、何かから(記号/痕跡)何かを(物/概念)を見る、あるいは読むという視覚の性質に関わるものの間にもこのような逸話は考えられるのであり、そのことが文字という存在をより一層、謎めいたものにしている。


 私が文字に興味をもつきっかけとなったのは、高校生の時に父に書道博物館に連れられて行ってもらったことであった。今回はそのことを思い出して、もう一度訪れてみることにした。この博物館は台東区根岸にあり、その規模は小さいものではあるが、書にまつわる実に多くの、そして他では見ることのできないような事物が展示されている。

 私自身はさきほどの経緯もあり、書や文字に関心をもって至る。ただし、一般的には書や文字というと、どこか自分にとっては縁遠いものと感じる方が多いように思う。書は芸術であるという考えがある一方で、美術を嗜む人でも書に関心があるという人は少ないだろう。美術大学に書の専攻が設置されていないところも少ない。しかし、書は中国や日本の美術(と仮定)のみならず、歴史や文化を見ていく中でも非常に重要な存在である。また、書に表れる文字はとりわけ漢字だが漢字というものの変化も実におもしろい。ただこのレビューではそのような切り口とはまた少し変わった語り方で、書や文字に近づいていこう

と思う。


 まずは、書道博物館について語る上で、その設立者である中村不折(幼名は鈼太郎)という人物について大まかに触れておきたい。不折は1866年に江戸の京橋に生まれた。その後、家族で長野県の高遠に戻った後、学校教員になり1887年に上京し、画塾「不同社」に入塾。正岡子規などと知り合い日清戦争従軍記者として中国に赴く。ここで書に出会ったのが、不折が書の世界にのめり込む大きなきっかけとされている。1901年には渡仏し、アカデミー・ジュリアンで人物画を習う。ここで古典的かつ写実的な技術を手にした不折は日本で洋画家として地位を得る。不折は一方では洋画家の顔をもち、もう一方では書家の顔を持っていたことになるが、彼はもう一つ、挿絵画家としての顔も持ち合わせていた。有名なのは夏目漱石の『吾輩は猫である』の挿絵で、不折の実にユーモラスな絵は漱石を喜ばせた(しかしその後漱石とは仲違いをしてしまう)。不折は先述の通り日清戦争従軍記者として中国に行き書に出会ってから文物などの蒐集に精をだし、その結果がいま、書道博物館として残っている。


 博物館は本館と中村不折記念館に分かれており、基本的には本館が常設展で企画展は中村不折記念館で開かれる。今回は常設展がメインの本館を中心に、そのなかでも、特に気になった展示室をとりあげて感想を述べていこうと思う。


 本館の第1展示室は大型の作品から始まる。小さい展示スペースに所狭しと並べられた石碑(をはじめとする石経、造像碑、墓表、仏像など)はショーケースや仕切りなく置かれていて、間近で見たり後ろに回り込んだりしてみることができる。その光景は一見すると『2001年宇宙の旅』のモノリスを想起させる佇まいをしている。


 ずっしりとした石に掘られた繊細な文字からは美しさを感じる一方で、ある不思議さを感じさせる。そこに掘られている文字は途中で石板そのものが砕けて読めなくなっていたり、もちろん読めない文字があったりで(そもそも私は中国語が読めない)、文意は読み取れない。しかし、それでもひとつひとつの文字を読むことはできる。いや、読めてしまう。意味はわからなくても意味を見てしまうことができる。確かに中国において石は永続性を象徴するものであり、そこに文字を刻むことは文字に、言葉に、想いにほとんど永遠とも言える寿命を与えるものだ。そしてこれは、それを読む少なくとも人間が文字が読める限り永遠に力を失うことがない。それを掘った人間と今これを見て読み込んでしまう私の間にある途方もない時間や空間をやすやすと飛び越えて、魂を持つ。そのことの不思議さに誘い込まれる。もし仮に人類が滅びたとしたら、当然インターネット上の文字は消えてしまう。紙も長くは持たないだろう。しかし石に掘られた文字は、依然として残り続ける。そして今私がこの石碑を見て、触れて感じていることと同様に異質な生命の存在に出会うという経験が他の種にも起こり得るかもしれない。猿に知恵を与えたモノリスのように。


 次に第三展示室(第二展示室は閉室)に行くと、そこにあるのは古代の中国遺跡から出土した玉器、陶文、俑などの事物であった。つまり、文物と呼ばれるものだけではなく、当時の文明を感じさせる様々な事物がそこには展示されていた。

 私がとりわけ興味を引かれたのが祭祀や墓にまつわる展示品である。たとえば、それは俑(死後の世界で故人の供をするとされ副葬された人形)が他の文物と展示されていることの面白さであった。古代において、馬王堆漢墓(ばおうたいかんぼ)に代表されるように中国の権力者の墓にはあらゆる物が副葬品として墓に入れられた。これらはちょうどタイムカプセルのように墓に一つの独立した世界を作り出している。それと同時に俑も文物も読まれない文字としてそこにある。私がここで感じたことは、それを見て読んでいる私は一体何を見ているのだろうか、あるいはこれらは一体、現世とあの世のどちらに属するのか、ということだった。かつて岡崎乾二郎は「墓は語るか(墓とは何か)。」のなかで、このように記していた。


「そこで示されるのは時間に属さない、よっていまも持続する存在である。だから墓に、現代的な意味で死後の世界という言葉を結びつけることは墓の本質を見誤ることにもなる。墓に込められていたのは、いつでも再生されうる(用意万端と待機している)時間である。古代遺跡が喚起させるところのものはこの感覚だろう。」(注2)


 私はこの感覚のカケラをたしかに俑に見出していた。いまここの世界とは別の時間と空間を有する独自の世界を俑は作り出していたのだ。いっぽうで、この展示空間、ないしはこの博物館全体の文字が共振していくような感覚にも襲われた。ここの文物、事物がパッケージしていた独立した世界を通り越して文字がカタチとして、音として互いに共振しあい蠢き合う世界が書道博物館全体に広がる経験である。これは文字そのものが表象していた意味や、コンテクストが全てはぎ取られても、確実に消去できないものがあることを意味しているのではないだろうか。それは文字のカタチであり、人間の読む能力によるものであるはずだ。


 第四展示室では漢字の起源に迫る。甲骨文から始まり、食器、酒器、武器、楽器といった青銅器が展示されている。この展示室が最も漢字の歴史としては古い時代を扱っている。なんといっても、甲骨文である。まさに呪の力、漢字というものが神と交通する技術そのものであった時代の文字である。それが今目の前にここまで良い状態のものが見られるということ自体がとても感動的なことだ。展示の解説にもあるように卜(うらない)という字は卜をする際に牛の肩甲骨に生じる亀裂の形からきている。この形をみて、卜の結果を判断するわけである。先述したことと重なるが、文字の起源はおそらく文字ではない。最初に文字があってそれを読むところから文字が生まれたのではなく、何かから意味を読み取ってしまう人間の視覚が最初にあり、そこから文字が生まれたと私は考えている。甲骨文はまさにそのことを教えてくれる。そして同時に甲骨文は私たちに問う。文字とは何かということを。


 レビューはここまでになる。最後になるが、書道博物館は写真撮影がほとんどできない。この記事に写真が少ない理由である。なので是非実際に見に行って欲しい。見た目の小ささからは想像できないほどの時間と空間のスケールを持った世界が書道博物館にはある。

注1:中島敦『文字渦』https://www.aozora.gr.jp/cards/000119/files/622_14497.html(最終アクセス日:2021年10月10日) 注2:岡崎乾二郎は「墓は語るか(墓とは何か)。」『感覚のエデン』亜紀書房、2021年、15頁

会場・会期

台東区立書道博物館「書でみる日本の歴史と文化」展

2021年6月22日から12月12日まで 

・執筆者プロフィール

水野幸司

東京芸術大学 美術学部 先端芸術表現科 在籍。作家。幽霊や妖怪などのある時間や社会システムに位置づけられない存在に関心から作品を制作している。