• これぽーと

宇都宮美術館:リズミカルさと藍色の魅力(しらたま)

かわいいペンネームのしらたまさんは、栃木県在住の社会人の方です。学生時代には、学芸員資格も取得されて、いまも近代の西洋美術を中心に美術館巡りが趣味のようです。これぽーとには、一般の鑑賞者の視点から美術の魅力を広めようという意思のもと参加していただきました。今回は地元、栃木の宇都宮美術館のレビューをぜひお読みください。(南島)

 JR宇都宮駅からバスで約30分、丘を上った緑豊かな公園に建つのが宇都宮美術館だ。宇都宮市の市制100年を記念して1997年に開館し、パウル・クレー《上昇》(1925年)、ルネ・マグリット《大家族》(1963年)、黒田清輝《夏図習作(横たわる女)》(1892年)といった代表作をはじめ、主に20世紀以降の美術、デザインや地元にゆかりのある作品を所蔵している。周辺の公園施設には野外彫刻があり、ワークショップや自然観察会、野外コンサートも定期的に開催されていて、美術や音楽など多分野に渡って住民の文化活動を支援する拠点となっている。


 このような特性から、宇都宮美術館の来館客は地元住民が主である。東京などの大都市や観光地にある美術館では、海外の作品を目玉にした大規模な展覧会を目的に他県からも訪れる熱心な来館客が多く、美術館や展覧会のイベント的・観光的役割が強い。けれども、宇都宮美術館のような地方にある美術館では、近隣住民が公共施設や憩いの場として訪れる傾向があり、年齢層も美術に関する知識も多様だ。展示替えをするたびに訪れる美術愛好家もいれば、学校の宿題として初めて訪れる学生もいる。本稿では、誰もが楽しめる展覧会、はたまた美術館の在り方を宇都宮美術館の展示を例に考えてみたい。


*展覧会概要

 宇都宮美術館には展示室が3つあり、吹き抜けのホールに面した2室が企画展用、通路を挟んだ1室がコレクション展用として利用されている。この一室では、現在コレクション展「生きられた場所/生きられる場所」(2020年4月26日~2020年11月29日)が開催されている。


 本展は全5章で構成され、出入り口すぐの広いスペースでは、第一章として、彫刻家の川島清の作品が特集展示されている。第2章では、日本のシュルレアリスムの代表的存在である三岸好太郎、彼のアトリエの設計者である山脇巖とバウハウスについて言及し、第3章では、「或る書斎」(中期のみ。前期・後期は異なる展示)というテーマ設定のもとで、関連する所蔵作品が展示されている。転じて、第4章ではバウハウスとシュルレアリスムの作品を同時に展示することで異なる芸術思潮の共通点を提示し、最後の第5章にて、2001年に開催したグループ展での平田五郎の作品《土の家》(前期・中期展示)などを紹介し、展覧会のタイトルである「生きられた場所/いきられる場所」の意味を示している。


*展覧会構成とおもしろさのリズム

 このコレクション展の面白さは、作品数に対して紹介されているキーワードが多い点にある。各章の作品数は一番多くとも12点で少ない章では6点のみだ。それにもかかわらず、展覧会内では、川島清の作品である多様な素材が表わす「時の居場所」や「水」のイメージ、三岸好太郎の言葉である「真空」、「バウハウス」、「シュルレアリスム」など、キーワードを次々と示し、まるで本のページをぺらぺらとめくっていくようなリズミカルな展開なのだ。


 かつ、それらはひとりの芸術家やひとつの芸術思潮に限定されていない。展覧会全体のテーマ「生きられた場所/生きられる場所」とは別に、各章にも小テーマがあり、短編小説のようにそれぞれ自立した内容であるからだ。それでいて、他の章や全体のテーマと共通するキーワードがそれぞれあるため、5つの章がすべてそろうことで展覧会のテーマを提示している。そして、この共通点が、キーワードが多い展覧会にまとまりを与え、一定のリズムを作っている。


 はじめに、冒頭の「ごあいさつ」のなかで、初めて訪れる場所で覚える既視感を「心の奥深くを流れる水脈」や「内なる『川』の流れ」と紹介している。特集展示では、これらを受けて川島清の作品が「水」のイメージだと表している。これは、本来物質に備わっているものを、あえて経年変化をさせて引き出した「素材の古び」という特徴の比喩である。古びた素材を目にすることで、新しかったはずの過去の素材の姿が失われたと感じるとともに、時が流れようとも素材そのものの存在は今も続いているという、喪失と継続という互いに反する概念を感じ取ることができるのだ。


 第2章では、転じて作品からその創作者と創作場所であるアトリエに話題が移る。これは三岸好太郎の言葉でもあるのだが、第2章では彼のアトリエや筆彩素描集『蝶と貝殻』(1934年)を紹介するにとどまり、第4章にその理由を引き継いでいる。


 そして第3章では、第2章のアトリエと同様に創作意欲が生じる場所として書斎が挙げられている。所蔵作品を使って実際に書斎を作り、所蔵作品は、本来”作品”として展示されるものではなく、鑑賞者の日常生活にある家具や装飾であることを示しているようだ。つぎの第4章では、第2章のアトリエが「真空」に例えられる理由が分かるとともに、宇都宮美術館の代表作であるカンディンスキーやクレー、マグリットなどの作品を惜しみなく鑑賞できる。「真空」について補足しよう。これは本来生命が蒸散した抜け殻である貝殻の因果を逆転させ、抜け殻=虚無を母体として生命がうまれたという三岸の世界観を前提としている。つまり、貝殻は虚無だが、作品を「生み出す場」であるアトリエも同様であり、それを「真空」と表現しているのだ。


 最終章では、「真空」というキーワードに触れつつ展覧会全体のテーマに回帰している。「生きられた場所/生きられる場所」とは、初めて訪れた場所に既視感を覚え、「誰か別の人のための空間であったという感覚」と「自分が無縁ではないという感覚」を同時に抱くことだという。これは、美術作品や建築に対しても抱くものであり、本展覧会の鑑賞でもたらされる感覚なのだ。


*藍色のマグリット

 あとひとつ着目したいのが、第4章の藍色の壁である。展覧会全体のうち色付けしたパネルを唯一使用している部分だ。第1章から第3章までのエリアでは、キャプションを参考に作品が示すキーワードについて考えを巡らしているのだが、第4章に踏み入ると、マグリットの2作品《夢》(1945年)、《大家族》(1963年)と藍色の壁に視線が一挙に移る。白黒の文字情報をもとに鑑賞してきたところに、突然藍色が飛び込んできて、作品について文字を通して考える行為から、まずは視覚的に観る行為に集中するようになるのだ。《大家族》のカササギ型の空の青色や《夢》の淡いピンク色の明るさは、パネルの藍色とコントラストを成し、作品に見えないスポットライトが当たっているようにも見える。


 また藍色は、第3章までに登場したキーワードと2作品の共通点とも考えられる。「素材の古び」が表わす時の流れや「真空」は抽象的で、暖色や淡色よりも深みと渋みがある藍色が似合う。《大家族》のカササギ内の空は淡い青色だが、空や海の色は一定ではない。作品の空や海が深みを増していくと、壁の藍色になるのではないだろうか。そうした画面内と外での色彩のグラデーションを感じられた。また《夢》は、より色の淡さを感じる作品だが、タイトルである「夢」は人間の精神から生じる不安定なものの象徴でもある。私見ではあるが、壁の藍色は抽象的であるため、時の流れと同様に、夢がもつ奥深さを示していると言えるかもしれない。



*展示構成と理解

 このように、本コレクション展は情報量が多いが、展示構成を工夫することで全体のまとまりと展開のリズムが生まれ、鑑賞者の理解につながっている。それでも、複数のキーワードを過度に使えば、理解が追いつかない懸念はもちろんある。1人の芸術家の作品を紹介する展覧会なら、その人生や作品の変化を流れに沿って知ることができるが、多様なキーワードをもとに紹介すると難易度は上がってしまう。しかし長い目でみると、理解しやすいコレクション展から専門度の高いコレクション展まで開催することで鑑賞者を育てることにつながるという期待もできる。また、所蔵作品を使って日常にある空間をつくったり、複数の異なる芸術思潮の作品を一緒に展示したりすることは、所蔵作品の再認識や新たな研究の糸口になる可能性も十分にあるだろう。

 

 地域の文化活動の振興を担う美術館ならば、果敢に挑戦的な展覧会を開催してもらいたい。そういった意味で、本コレクション展「生きられた場所/生きられる場所」は構成の面白みがあり好感がもてる展覧会に感じた。今後も宇都宮美術館の活動に期待して、一鑑賞者としてコレクション展を追っていきたい。


宇都宮美術館「生きられた場所/生きられる場所」、特集展示・川島清、アトリエという「真空」、三岸好太郎、蝶と貝殻とバウハウス

会期:2020年4月26日から 2020年11月29日まで

・執筆者

しらたま

栃木県在住の社会人5年目。大学生の時に美術に魅了されて以来、美術館巡りが趣味となる。学芸員資格あり。西洋絵画中心に、特にフェルメール、クリムト、クレー、ミュシャが好き。美術好きの一般人として、美術の魅力を広げようと日々目論んでいる。