午前の南武線、登戸駅。
高校の頃の同級生と美術館に行く約束をした。
あなたとは、クイーンズスクエアで待ち合わせをして、エイペックが行われているときに映画をみに行ったことがある。そのときあなたは、上野駅にある中国軍服ショップで買った迷彩服を着て、クイーンズスクエアのそばに立っていた。僕に「お前、なんで横浜まで俺誘うんだ」と怒っていた。
そこでみた映画は、当時、イスラエルとアメリカで戦争が行われている間、テロリストの襲撃を受け、棺に閉じ込められた一人の人間が全編棺の中で汗水流して蠢くシーンで完結する一時間半の映画だった。
映画館で僕が買ったコーヒーが粗挽きで苦く、あなたは迷彩服を着ながら外で買った銀だこのたこ焼きをシアターで食べて、匂いをばら撒いた記憶がある。
今日も不吉な予感がする。
あなたがつく時間になった。駅の改札口で待ち合わせをしても一向に現れない。数分遅れると連絡が入る。遅れてあなたはやってきた。今日も軍服姿だった。
僕はあなたに「駅から結構、歩くよ」と話して、駅からラーメンショップや和菓子屋さん、壊れた珈琲屋を横目に山の中にある美術館まで向かった。そして唐突なる急勾配。
この山を登る軍服姿のあなたをみて僕は三島由紀夫が軍服で汗水流した画像を思い浮かべていた。
道すがら、あなたに「岡本太郎という人の美術館だけど。」といった。
出版社勤務のあなたの家には、渋谷の文化村の美術館チケットが毎回送られてくるため、あなたはその人の名前も知っていると話していた。僕はあなたにこう伝えた。
「そういえば、岡本太郎も裸でポーズを取ったアー写があり、その写真は三島由紀夫よりも痩せているよね。トレーニングしている三島の筋骨隆々な体型よりもぷっくりしている。」
スマホで僕はあなたに岡本太郎の裸の画像をみせる。それは、無理して筋肉質の仲間が集うボーイズクラブの仲間入りを果たそうと必死でアー写を撮影したかのようだ。そしたらあなたが「お前とよく、放課後に筋トレしたけれどお前、中々、筋肉つかなかったよな」と話していた。
僕が毎日、100回腕立て伏せをしても筋肉つかなかったのは事実だ。
ようやく目的地らしきものが見えてきた。
白い塔が見える。
「母の塔」(1971)というタイトルの塔だった。
あなたは飛びつくように階段を駆け上がり、塔がある向こう側に走って行った。キャッキャしている。飛び跳ねている。塔と照らし合わせると軍服の迷彩柄と塔に付着した白いタイルの色合いがどことなく非対称にみえた。
館内の出入り口に戻り、チケットを買い、受付にみせて中に入る。
赤い部屋を通り、まず、目に飛び込んできたのは「重工業」(1949)という作品だった。
キャプションによれば抽象とシュールレアリスムを組み合わせた絵らしい。確かに記号化された人間と機械は抽象画にみえ、その間に挟まったネギは唐突でどこかシュールな出立ちを見せる。そして、ネギはとても写実的に描かれていた。
あなたは真っ先にこの作品が三鷹事件(1949)や松川事件(1949)を表しているのではないのかと推測していた。
後で調べたところによれば、この三鷹事件、松川事件は当時の国鉄が暴走、脱走事故を起こした事件という。この事件の真相は掴めておらず、未だに謎が多い事件だという。
研究によれば、日本を占領していたGHQの政策に反対するためのテロではないのかという話もあるようだ。あなたの話から1949年の緊迫した日本の空気が吸えた。
一方、僕はこの作品についての解説で使われていた「対極」という言葉が気にかかった。
岡本太郎は「対極」という言葉を通して、抽象とシュルレアリスムの組み合わせについて指摘していたらしい。そうした表層上での分析もできるが、その一方で、この対極が意味するものは、当時の思想家、花田清輝の『錯乱の論理』(1947)と近しい関係にあるのではないのかと考えてしまった。
何故、この本について知っているのかというと。当時、高校の先生が吉本隆明の本に惚れ込んでおり、それがムカついてあえて花田清輝の『復興期の精神』(1959)を読んでいたからだと思う。
それはともかく、岡本太郎自身も花田清輝の本に惚れ込み、『錯乱の論理』を読んだすぐ後に花田の家に押しかけ、語り明かした暁に「夜の会」結成しようとなったという。
『錯乱の論理』においても太宰治が目的論と自由意志を対立のまま組み合わせて文学表現を展開していると書いてある。その対立を包含する理論としての「対立」なのだろうか。抽象的な思考でもあり、具体的なものも備わっている。
なぜか「夜の会」について書かれたキャプションはそこになかった。
とはいえ、それについて知っていたため、あなたに
「夜の会ってのがありましてー、よろしければー入会しませんか。」
みたいな話しをした。そう、「夜の会」は、若手文学者が集い、日夜議論を交わしていたらしい。その中で「対極主義」という言葉が出てきたという話もした。
どうやら太郎は「対極」という言葉に「主義」を付けることについてはあまりいい反応を示していなかったようだ。「主義」という言葉を用いることで「対極」が死んでしまうとも話していた。そのため、一人ひとりが考えるための枠組みとして捉えていたのではないのか。あくまで、これは僕の見解だ。
軍服姿のあなたが僕より先に展示室を巡っている。そそくさとあなたについて行く。太郎のアー写が張り巡らされたスロープを渡り、隣の展示室に進むと「明日の神話」(1968)が目に入る。
あなたは「これがビキニ環礁で被爆した第五福竜丸でこれが。広島の原爆か。」と僕に聞いてきた。僕はそうだといった。
展示からは、スロープを渡ってから太郎の考え方が「対極」から「爆発」に転向していったのがみて取れる。さらに奥に進めば、太陽の塔のぬいぐるみや建築物の模型、太郎がデザインした椅子などが展示されている。
僕はこのとき出版していた『今日の芸術』という本を不意に思い出した。ここでこの本の一節を引用しておく。
「創ることと、味わうこと、つまり芸術創造と鑑賞というものは、かならずしも別のことがらではないということです。」(*1)
これまでは、「夜の会」などの同調者の会を通じて、芸術と社会の接点を絵画の内部から開拓していこうとしていた画家としての太郎が、この本には我々(大衆)に目を向けているアーティストになっていると痛感した。
思い返せば、美術評論家、中原祐介は「画家ではない人たち」(1956)において、大阪の魚市場で結成された絵画サークルを通して魚屋の人が魚に色があることを発見する過程について話されていた。それから、別のサークルの活動を通して、美術館に行く手立てとなっていたエピソードも描かれている。
文化サークル、趣味。僕はそうしたコミュニティに属した人がどの様にしたら、絵を描くことから美術館に実際に出かけるへと豹変するのか気になった。
他方で、太郎が作っているものは太陽の塔のぬいぐるみや顔のついたグラスといった安価で大量生産でき、すぐに消費されてしまうもの。それらを通して美術を人々に開こうとしている。僕はこの作家による布教と文化サークルで人々が培える嗅覚との違いについて考えてしまった。
あなたが椅子に座れる奥の展示室に誘っている。そこには太郎がデザインした椅子が点々と置かれている。
「座ることを拒否する椅子」(1963)がそこにはあった。ここに座って身体のツボにハマったらなんかなるかなとか話しながら、別々の椅子に座りながら、モジモジしながら喘いでる。
「あーと。」
「うー。」
「あーとか。」
「うー。」
そしたら黒いスーツを着た長い髪の毛の監視員が来て、2人は「展示室ではお静かにしてください。」と注意を受けた。
*1 岡本太郎「今日の芸術」pp.116『岡本太郎の宇宙 対極と爆発』(2011年、筑摩書房)
・参考文献
忠あゆみ「「芸術はすべての人の創るもの」解題」『岡本太郎と『今日の芸術』』(アーツ前橋 編集、2018年、現代企画室)
中原祐介「岡本太郎論」『第一巻 創造のための批評-戦後美術批評の地平 中原祐介美術批評 選集』 (2011年、現代企画室+Bank ART 1929、初出は『美術批評』1955年7月)
沢山遼 監修『Critical Archive vol.3 批評 前/後 継承と切断』(2017年、ユミコチバアソシエイツ)
会場・会期
川崎市岡本太郎美術館「生誕110周年 ベラボーな岡本太郎」展
2021年10月15日から2022年1月16日まで
・執筆者プロフィール
橋場佑太郎
1995年川崎生まれ。千葉大学大学院修了。大学院では民芸を研究。
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