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川崎市岡本太郎美術館:爆発は秘密である、としたら(南島興)

 岡本太郎ほど自らの発した、あるいはメディアを介した自己イメージに規定された作家もいない。「芸術は爆発だ」という言葉から想像される岡本作品への観客の眼差しは常にそうした先行するイメージに侵食されている。それゆえに岡本太郎を「見る」ことができない。

 彼の絵が巧いのかどうかすら判断することができない。というより、爆発という表現が可能にするのは、作品そのものの良し悪しではなく、作品制作に付随する「生」への過剰な信頼である。生こそアートである、という何も言っていない結論に意外とすぐに一般に流布された「芸術は爆発だ」は至る要素をもっている。そして、その生は爆発していればしているほど良いと判断されることになる。いや、爆発していなければならない。

 しかし、爆発はどのように起きるのだろう。岡本のもう一つ有名な言葉に「対極主義」という態度表明がある。互いに否定し合う条件同士が衝突し止揚される、弁証法的なダイナミズムのことを指している表現である。爆発というのは、たとえば、この衝突を通じた対極主義によって顕わになる現象と言えるのだろうか。

 爆発というのは不思議なものである。爆発はまず第一に何かが一瞬にして圧倒的なエネルギーとともに外へと打ち出されることを意味している。内部にあって眼に見えていなかったものが、あるきっかけで突如として外部へと炸裂する。けれど、それが目に見えるようになるわけではない。ひとは爆発によって表出された何かを眼に収めることはできない。むしろ、何かは粉々になり、爆風とともに撒き散らされ、瞬間的にそれまで可視的であった世界を完膚なきまでに粉砕する。人間の視覚は爆発に巻き込まれて、破壊されてしまうのだ。

 私たちには常に爆発の実質は隠されている、ということである。隠されることによって爆発は爆発足りうるということだ。爆発は何かの開示であるかもしれないが、決してそれは見えるようになり、私たちが飼い慣らすことができる事態を生み出すことには繋がらない。爆発は可視性の条件そのものを否定する。これが爆発の存在意義である。

 芸術は爆発だ、という岡本自身の絵画は一見して、何も隠されたものがないように映る。今回、川崎市岡本太郎美術館で開催された常設展「太郎の創造展」は即興的に描かれているように見える岡本の抽象絵画がしっかりとした下描きの準備のもとで構成されていることを本画と下描きを並べることで示すものである。そして、実際にその通りに本画は見られるようになる。即興的でアクション性を伴う作品たちは、純粋な即興では作り得ないことを観る者は実感することができる。けれど、そうして見る中でいっそう謎めいて感じられ始めたのは、その「明らか」ではないだろうか。

 岡本の絵画は、線の動きと原色同士の激しい対比によって、あらゆるものが明らかにされている。いや明らかにされていないといけないはずなのである。岡本が長崎に訪れた時、ここには異文化の混ざり合いがあるが、そこには色がない。混ざり合う前の姿が分からないほど、交流してしまっていることを批判的に書き記していたことを思い出す。岡本にとって合流して新しい文化を作り出すためには何が交流したのか、その姿が明らかでなければならなかった。それが、岡本の対極主義の根幹にある考え方だと思う。

 だからこそ、彼の絵画ではあらゆる事物の姿が過剰に明らかにされているという印象を受ける。この「明らかさ」という強烈なイメージが私たちの脳裏に焼き付けられることになるのだ。それゆえにこそ、このようなイメージがなぜ絵の中に現れたのかが見るものにとっては謎として浮かび上がることになる。それは下描きがあるからという理由だけで、解明される類のものではないだろう。 

 岡本自身は、その可視的ではない圧倒的なエネルギーについて、ある言葉を当てている。解説パネルに掲示された文章を引く。

 「教養や芸術を意識しない、ただ人間的につきあげ、おし出す。そうせずにはいられない何か。

 ―そういうモチーフだけで貫かれ、むしろ形式としてあらわれないところのものにわれわれはかえって絶対を直観し、共通の生命の交流をおぼえる。

 つまり、絶対としてあるもの、でありながら隠れ、隠されているもの。あらわれていながら、あらわれていない。それは「秘密」である。※1」

 意外にも岡本は「秘密」という表現を選び取っている。

 作家の言葉を秘密主義的に信頼することは作家の神秘化=カリスマ化に加担することになるので控える必要があるが、この秘密に迫ろうとするならば、下描きと本画を見比べる以上の方法が考案されなければならないだろう。

 明らかさと秘密は、どうして両立するのだろうか。それは可視性の条件を粉砕する爆発によってもたらされる状態について考えることに等しい。芸術は爆発だ、はきっと芸術は秘密だとパラフレーズできるはずなのだ。が、この表現の両立が実質的には何を意味しているのかは、まだ分からない。芸術は爆発だという強烈な自己を規定するイメージは自己開示であると同時に自己秘匿であるということを除いては。しかしそれもまた言葉上のパラフレーズにすぎない。


※1 岡本太郎「曼荼羅頌」『神秘日本』みすず書房、1999年

 

会場・会期

川崎市岡本太郎美術館 常設展「太郎の創造展―創らなければ、世界はあまりにも退屈だ」

2022年5月12日から8月31日

 

・執筆者プロフィール

南島興

1994年生まれ。東京藝術大学大学院美術研究科修士課程修了(西洋美術史)。これぽーと主宰。美術手帖、アートコレクターズ、文春オンラインなどに寄稿。旅する批評誌「LOCUST」編集部。