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東京都現代美術館カフェ(二階のサンドイッチ):浮遊する美術館、ふたつのとびらのある部屋(河野咲子)


 ——じつは都現美って少しだけ浮いているって知ってた? 都現美のカフェにとびらがふたつあるのを知ってた? 展示もいいけど、今度はカフェにもいっしょに行こうよ。



 リニューアル・オープン記念の展示を見に行ったときのことを覚えてる? 2019年だからもう2年も前、たしか渋谷で落ち合って、半蔵門線で都内を横切りどこまでも東へ。清澄白河駅で降りて、それから三つ目通りを歩いて北から南へ。たしか梅雨どきだったから、土砂降りの雨のなかをとぼとぼ黙りがちに歩いたんだっけ。


 あのころは都現美こそ東京の最果てだと思っていたけど、近ごろはこちらへ来る用もけっこう増えたしあたりに住む友だちも何人かいる。歩けばここらも思いのほか賑々しく下町めいて、思ったほどさみしいところじゃないと気づいた。



 あのときはまず手前の展示室で企画展を見てまわって(めまいのするような重厚な展示だったよね)、それから奥の展示室でコレクション展を見て、それからミュージアムショップで何冊か本を買った。あなたはバイトがあるからってすぐに帰っちゃったけど、わたしはあのあと階段をのぼり、リニューアルにあわせてオープンしたミュージアムカフェ「二階のサンドイッチ」に出向いたのだった。


 あのお店に行ったことある? 塔のてっぺんにあるような円い部屋を、ほそいリボンみたいな窓が取り巻いていてとても居心地が良い(あのいかめしい巨大な建築におさまっているのを忘れてしまいそうになるくらい)。キッチンが中央にあって、ドーナツ型の空間に座席が点々として、どこにすわっても目の前に窓がある。窓がほそいからどちらを向いてもまるでシネマスコープの画面を見ているようで、美術館のほうが画面に閉じ込められたみたいに見えるの。サンドイッチはなかなかおいしくて、あのときはなにを食べたんだったっけ、もう忘れちゃったけど、でもどれを選んでも後悔することは決してないといまのわたしはよく知っている。



 あなたはきっといまでもそそくさと、清澄白河駅から半蔵門線に乗ってまっすぐ西へ帰ってしまうのだろうけれど。でもわたしはよほど混んでさえいなければ、たいていカフェに寄ることにしている。


 だから「二階のサンドイッチ」にとびらがふたつあることは、一応のところずっと知っていた。ひとつはいつも使っているほうのとびら、カフェとミュージアムショップとをむすぶゆるりとした螺旋の階段に接続している。もうひとつ「テラス」へとつづくとびらがあって、こちらを使ったことはなかった。テラスにもカフェの座席があって、ひろびろとしていかにも魅力的なのだけど思えば気候のよいときに出向いたことがなかったから、あのほそい窓から口惜しげに眺めやるばかりで。


 テラスのその先がいったいどこへと通じているのかなんとなしに気になってはいたけれど、そういえば自分で確かめたことは一度もなかった。



 ついこのあいだ、そういえば春だし桜を見たいなと思って。都現美のすぐ南側に木場公園があるよね、そこに出かけることにした。誘わずじまいでごめん、でもあなたは桜なんていかにも興味がなさそうだし、それにそちらからだとちょっと遠いよね。木場公園の近所に住む友だちがコーヒーをポットに詰めて持ってきてくれるというので、それを楽しみにしてわたしは足を運んだのだった。


 都現美は日本最大級の美術館、らしいけれども、木場公園は都現美に輪をかけてどこまでも広い。清澄白河駅から来ても通らないからたぶんよく知らないでしょう。いっそ不安になるくらい茫漠と広くて、まっしろに咲きほこる桜の樹々がこれでもかと並び立ち、よく知らないその他の植物がいくつも蕾をほころばせて。たくさんの親子連れがきらきらした笑い声をたてながら遊び、そのそばをストイックなランナーが無駄のない動きですり抜けてゆく。

 寝坊したらしい友だちがなかなか来ないので、ほとんど手ぶらのままわたしはだらだらと南から北へ、天を突くおおきな吊り橋をわたって、木場駅のほうから美術館へ向かって公園を横切った。美術館ができた当時は清澄白河駅がまだなくて、木場駅が最寄りだったんだって。べつに清澄白河駅だってそんなに近くはないけれど、木場駅はなおいっそう遠い、でもこんなふうに青々とした公園を通ってくることができるのならそんなに悪くはないよね。あたたかくて明るくて、絵に描いたような春の日だった。


 木場公園の終いまできて美術館にゆきあたったとき、目の前にあまり使ったことのないエントランスが現れた。都現美にはエントランスもふたつあるって知ってた? 清澄白河駅から来るときにつかう三つ目通り沿いのがメインエントランスで、もうひとつのパークサイドエントランスが木場公園に面している。


 パークサイドエントランスのすぐ脇から、《水と石のプロムナード》とよばれる小径がのびている。そのことを報せるサインを見て、カフェのあのもうひとつのとびらがここに通じているに違いないとにわかに理解した——美術館の外部にしつらえられたもうひとつの場の流れのことが、手にとるようにわかったのだった。


 実のところ、ほんとうにあのカフェのとびらと木場公園は直結している。


 パークサイドエントランスのほうへ行けばわかるんだけど、じつは都現美は少しばかり浮遊している——直下の地面が部分的にざっくりと掘り下げられているから。《水と石のプロムナード》は地表から深いところへとゆるやかにつらなって、その最下部にはしずかなさざなみのたつ黒い水盤が横たわっている。


 水盤をわたり、浮遊した美術館の下をくぐりぬけるとそのさきにはちいさな階段があって、階段をのぼったさきにはなんとあのテラスと「二階のサンドイッチ」があるのだった。


 あのカフェはたしかにミュージアムカフェでもあるのだけれど、美術館の屋内をいっさい経由せず、屋外のプロムナードとテラスだけを通ってたどり着くこともできてしまう。


 色彩をいっぱいにはらんだサンドイッチをうきうきと眺め、ふたつばかり選んでテイクアウトした。そのころには友だちもやっと木場公園に着いたらしくて、いそいで来た道をもどって美術館をあとにした。


 すごくよく晴れていて、サンドイッチのバゲットは控えめないい匂いがして、友だちのポットのコーヒーはやけどしそうに熱かった。


 直結している、といってもそれはショートカットではない。わざわざ深いところへ一度潜るのだからそれは遠回り、あるいは脱線。ふたつの地点を最短距離で結ぶのではない(それでもたしかに結んでいる)その経路は、脱線そのもののために機能しているようなところがある。目的と方法がおなじ空間の内に組み込まれているとでもいえばいいのか。


 そんな横道を発見(発見というか、もともと仕組まれていたのだけど)したとき、いかにも横道をきらいそうなあなたのことをいちばんに思い出してしまった。——もちろん展示もよいけれど、でも今度はカフェにもいっしょに行こうよ。シネマスコープの向こうのテラスは静謐でいかめしい場所なのかと思っていたけれど、足を運んでみればそうではなかった。ぼうっとしながらあたりを歩けば、《道草のすすめ》と題されたおちゃめな音響作品(鈴木昭男)が美術館の内外にちりばめられていることにも気づく。それは巨大でよそよそしくもあるあの重厚な建築と、わたしたちのささやかなからだが感覚をとりむすぶ可能性についてちいさく問いかけているようにも見えた。


 カフェにいってサンドイッチをえらぼう、それを持ち出してふらふらしよう。いまならまだ気候もよいし、桜だって散る前かもよ。ランニングはいやだけどお散歩なら得意だから、緑の一帯をどこまでも歩こう。植物の名前を当てよう、サンドイッチの味についてこまかに話そう。水や石のあるあたりをゆらりと行ったり来たりして、気が向いたらついでに展示を見て帰ろうか。


 ——でも念のため言い添えれば、脱線の経路は感染症対策の影響をうけている。2021年3月現在、木場公園と都現美の境界や《水と石のプロムナード》の一部は封鎖され、メインエントランス(そこで検温がおこなわれる)を一度は経由しなければ地下の水盤のあるところまでたどりつけない。


 いま木場公園から美術館に歩いて向かったとしても、あの横道へおのずと足が向くということにはならない。脱線することは以前よりも少しばかり困難になっている。そうだとしても、それでも。



・参考文献

山田泰巨,「東京都現代美術館がリニューアル。長坂常と色部義昭が考えた「普段使い」の仕掛けとは?」2019年4月26日, CCC Media House Co., Ltd, https://www.pen-online.jp/feature/design/new_MOT/1 (最終アクセス日:2021年3月26日)

後藤美波,「東京都現代美術館がリニューアルオープン。3年の休館経てどこが変わった?」2019-04-02, CINRA, Inc., https://www.cinra.net/report/201904-mot (最終アクセス日:2021年3月26日)

東京都現代美術館:「二階のサンドイッチ

営業時間:10:00-18:00

・執筆者プロフィール

河野咲子(かわのさきこ)

フィクション、短詩、批評などに興味を持ちつつ、小説をはじめとしていろいろなテキストを書いています。