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第10回:レビューの使い方会議(南島興)

これぽーとを主宰している南島です。今週は、レビューの使い方会議の第10回目です。以下、説明に続いて、本文になります。

 突然ですが、前から少し疑問だったことがあります。毎月のように展覧会が開かれて、それに対するレビューがさまざまなメディアで公開されている。けれど、展覧会が終わったあとのレビューや、一度読まれた後のレビューはどこへと行ってしまうのか。書籍であれば、何度も読み直されることや本棚にしまっておいて、その時々で読み返されるということがありますが、展覧会のレビューで、それもネット公開のものは、なかなかそうはなりにくいと思います。どうしても一回の使い切り感が否めません。

 これはもったいないことだなと前から思っていました。本来、レビューは展覧会が終わったあとやその展覧会の存在すらも忘れられたあとにこそ、それがどんな展覧会であったのかを記録した資料として重要な意味を帯びてくるはずだからです。  こういった問題意識からこれぽーとでは断続的に、南島がこれまで公開されたレビューを僕なりに紹介していくことにしました。題して「レビューの使い方会議」。試しにではありますが、この場でレビューの「使い方」をいろいろ見つけ出していきます。レビューを書いていただいたみなさんのためにも、読んでいただける方々のためにも、主宰者である自分には、それを発見していく責務があると思っています。

 第10回目となる今回は、2020年11月に公開された美術館と三菱一号館美術館と弘前市立美術館のレビュー記事をご紹介いたします。

 

三菱一号館美術館:「Café 1894」(名なしのコラムニスト)


全国の常設展をレビューすることがこれぽーとの活動使命ですが、本記事はその番外編として美術館のカフェについてのエッセイ風のレビューです。とはいっても、常設展レビューと共通しているのは、企画展以外の部分からミュージアムの価値とその魅力を伝えていこうとする意図です。企画展はミュージアムの運営の中心にあるのは間違いないのですが、それだけでミュージアムが成立しているわけではありません。コレクションがあり、その展示=常設展があり、ライブラリーがあり、ミュージアムショップがあり、そしてカフェ・レストランがあります。最近では、企画展やコレクションにちなんだメニューを開発し、提供するミュージアムも増えてきていると思います。料理の味はともかくとしても、メニューを考えることは、展覧会における学芸員の仕事とは別の意味で、キュレーションだと言えるかもしれません。美術作品は、ミュージアムのなかでさまざまな職員によって、様々な仕方で活用されているのです。そのひとつに間違いなくカフェ・レストランのメニューは入っているでしょう。そして、その料理が口に入るとき、コレクションを眼で見るのとは、別の消化が生じるはずなのです。美術作品ミュージアムで見て、味わうことができる。五感で知る、アートのひとつの入口にミュージアムのカフェ・レストランはあるのです。

 

弘前市立博物館:現代グローバル美術館 vs(?)地元密着博物館(みなみむさし)


この記事については、一点、今和次郎の弟、今純三について触れていることに注目してみましょう。柳田国男の門下であったが、関東大震災に被災したのち、バラックの観察から都市の風俗研究として「考現学」を考案し、建築・服飾・家政論などの研究で活躍した今和次郎。私はてっきり、今は東京の人だと思っていました。だからこそ、東京という都市の風俗に関心をもったのだと。けれど、彼は青森県の弘前市出身で、そして彼の弟、今純三は青森の創作版画の父と呼ばれている人だったのです。兄弟とともに中学卒業とともに一家で東京の四谷に引っ越してくるのですが、おそらくそのまま和次郎は東京に留まったのに対して、純三は青森に帰郷して、銅版画・石版画の開発に尽力します。(和次郎の都市研究には、どこか青森から見た東京という視点が内在しているのではないかとも思えてますね。)弘前市立美術館では、今純三の版画作品が収蔵されており、このレビューでは一部、そこに触れられています。大正期に東京に留まり、のちに赤瀬川原平に影響を与える考現学の父となった、今和次郎。同じく大正期に青森に帰り、青森に置ける創作版画の父となった、今純三。この兄弟のストーリーを2人の出身地である弘前で思い浮かべてみることもコレクションの愉しみ方かもしれません。

 

・執筆者プロフィール

南島興

1994年生まれ。東京藝術大学大学院美術研究科修士課程修了(西洋美術史)。これぽーと主宰。美術手帖、アートコレクターズ、文春オンラインなどに寄稿。旅する批評誌「LOCUST」編集部。https://twitter.com/muik99