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  • 執筆者の写真これぽーと

芦屋市立美術博物館:入り乱れる芦屋の美術史を直視する(松村大地)

松村大地さんに芦屋市立美術博物館の常設展をレビューしていただきました。松村さんは、京都工芸繊維大学でデザイン・建築学を学ばれる傍ら、切り絵作家としても活躍されている方です。作家の年齢とご自身の歩みとも重ね合わせながらのレビューになります。(南島)

 

 関西屈指の高級住宅地・芦屋。JR芦屋駅から徒歩15分ほど川沿いを歩いた、閑静な住宅街に立地しているのが、芦屋市立美術博物館だ。1991年に開館し、今年30周年を迎える同館はこれまで芦屋にゆかりのある作家を中心に近現代美術作品およそ1460点、その他にも芦屋の歴史や自然に関係する文化財や考古資料も収集してきた。


 今回レビューしていく「芦屋の時間 大コレクション展」は、収蔵作家126名全員の作品を一点以上展示するという、文字通り過去に類を見ない大コレクション展である。約180点の作品が、企画協力者であり小説家の福永信によって選定されている。


 芦屋の美術といってどんなものが思い浮かぶだろうか。本展に展示された作品を見ていくと、それは自ずと明らかになる。すなわち、戦後の前衛美術を代表する、具体美術協会(以下、「具体」と表記)の存在である。具体は戦前より前衛芸術家として活動してきた吉原治良を代表として芦屋市で1954年に設立された若い作家によるグループで、芦屋とは縁が深い。吉原の死去(しかも芦屋市内で)を受けて1972年に解散するまで、具体は芦屋、そして阪神地域を拠点に活動が展開された。それゆえに本展に具体と関係のあった作家の作品が存分に展示されていることは、ある種の必然といえよう。本稿では、その具体の作家たちに特にフォーカスしてみたいと思う。


 さて美術館に入っていこう。チケットを購入すると、A4判で35ページからなる簡易冊子が配布される。同館の学芸員の大槻晃実、尹志慧、室井康平と福永信、デザイナーの鈴木大義によるテキストが添えられたキャプション/解説文である。なるべく多くの作品を展示すべく、通常展示に付与されるキャプションは、小さなこの冊子にまとめられる形になっているのだ。たしかに本展では同館の面積にとっては相当数の作品が、展示室やガラスケースだけでなくホールや通路など様々な場所にインストールされている。また、展覧会では、第1章〇〇、第2章〇〇というふうに題が付けられることが多いが、本展では付けられておらず、かといって制作年順に作品が並んでいるわけでもない。展示室と通路の境目が不明瞭になるほど、とにかく作品がぎっしりと展示されているのだ。異例なまでの密っぷりである。


 まずホールに進むと、白髪一雄の妻である白髪富士子の巨大な作品《白い板》(1955年/1992年再制作・27歳/64歳)が目に飛び込んでくる。5メートル以上はあるだろうか、大きなゆるやかな勾配のある白く塗装された板がくねくねとした切り口で切断され、2つになった板が1cmほどの間隔をあけて設置されている。この勾配は螺旋状に2階へと順路が続く美術館建築と呼応するように感じられた。


 ホールの作品を鑑賞しながら2階へ進み、第1展示室に入ると、現代の国内の美術館ではほとんど目にすることがない2段掛け3段掛けで作品が展示されることに少し驚かされた。鑑賞者は視線を上下にも動かしつつ鑑賞することになるだろう。吉原治良の有名な円シリーズの一作、《白地に黒い円》(1967年・62歳)までも上段に掛けられており、見上げるようにして鑑賞することになった。純粋に白と黒という最も強い2色の対比で、円という普遍的な形を幾何学的な図形としてではなく、調和的なフォルムで描いている。一見すると、一気に描きあげられたようにも思われるが、実は吉原は一度キャンバスに鉛筆で下描きをしたうえで、筆やペインティングナイフを用いて丁寧に描いている。


 さらに進むと、機関誌「具体」の編集も務めていた嶋本昭三の《作品》(1954年・26歳)も展示されている。岩肌のようにゴツゴツとしたテクスチャを持つキャンバスのようにも見える白い塗料が塗られた画面に、殴って空けたかのような穴が大小4つある。本作への印象は空間主義運動で知られるルーチョ・フォンタナの(有名な《空間概念 期待》ではなく)《空間概念》シリーズを彷彿とさせる。それに加えて、キャプションを見て初めてそれが新聞紙でできていることを知り、ホールに展示されていた新聞紙の束を模して作られた三島喜美代の陶作品《Newspaper-82-p》(1976—82年・44—50歳)も連想するだろう。


 嶋本は絵の具や塗料を詰めた瓶を画面に投げつけるパフォーマンス的なアクションペインティングで知られるが、それを筆から離れた絵画表現と捉えるならば、キャンバスから離れようとした絵画表現と捉えることもできるかもしれない。造形された支持体を前に、我々は支持体そのものに物質としての美的感覚を覚えるだろう。また作品制作をした嶋本の身体の動きも想起される。


 晩年、嶋本は宝塚造形芸術大学(現・宝塚大学)で教鞭をとっていた。かつて嶋本も事務局長を務めたアートユニオン、AU(Art Unidentified)が、芦屋のある阪神地区を拠点に現在も活動を続けている。なかでも高田雄平氏(同大学で嶋本に師事)は、新聞紙を素材とした作品を作り続けているなど、阪神地域では嶋本の系譜が散見される。(さらに本稿を執筆している11月現在、筆者が出展している奈良の現代アート展のディレクターもAUのメンバーである。)


 ところで、本稿でも展覧会に倣ったが、キャプションには作品の制作年に加えて、制作時の作者の年齢が併記されていた。私は制作活動をしている身なので、芸術家の人生の時間と自分の人生の時間を比較しながらこの展示会を鑑賞することができたが、他の鑑賞者も自身の人生の時間との重ね合わせを楽しめたはずだ。


 コロナ禍においてブロックバスター展や企画展の開催で、美術館同士の作品の貸し借りが困難になったケースもある今般に、本展はこの状況を逆手に取り、自館のコレクションを最大限に活用した展示会であったと言っても良いだろう。ネガティブな社会情勢とは対照的に、展示はエネルギッシュでこの企画に携わった学芸員らの熱量がひしひしと感じられた。数多くの作品が入り乱れる展示構成が、複雑に交錯していた20世紀の芦屋を巡る美術家たちの営みを体現しているかのようだった。


 そして、鑑賞の時間は美術館の外にも用意されていた。会期中毎日2回、画像や映像を添えられた作品解説が学芸員らの手によってTwitterで投稿された。会期日数から逆算すると100以上の投稿がなされたことになるが、このような試みは筆者が知る限りではおそらく本展だけだ。さらにTwitterの投稿をさかのぼってみると、芦屋市内の幼稚園や保育園の園児たちが保育士に本展に連れられてきたという旨の投稿が複数確認できた。筆者が実際に居合わせたわけでなないのだが、地元の子供たちが鑑賞者となることが頻繁にあるというのは、小規模な美術館特有の魅力と言ってもいいかもしれない。これは都会の大規模美術館ではなかなか難しいのではないだろうか。美術館は美術愛好家だけの場所ではないのだ。必ずしも美術史的な文脈やその再考、批評だけを目的に企画されていない本展では、美術館の門戸は誰にでも開かれているのだということが再認識された。


 具体のもう一つの中心地、大阪・中之島。この地には、かつてグタイピナコテカが存在した。グタイピナコテカとは、展示会開催や事務所としてやサロン的役割を担っていた具体の活動拠点だ。その中之島に、吉原や白髪夫妻、菅井汲をはじめとした元具体のメンバーの作品をコレクションに含む、大阪中之島美術館が2021年度に開館予定である。芦屋を生きた美術家たちの作品が成す未来の時間にも思いを巡らせて本稿を締めくくろうと思う。

参考

AUホームページ https://www.artunidentified.com/ (最終ログイン2020年11月14日)

 

会場・会期

芦屋市立美術博物館:「芦屋の時間 大コレクション」展

2020年9月19日(土)-11月8日(日)

 

松村大地

京都工芸繊維大学のデザイン・建築学課程に在籍中。建築やキュレーションを学ぶ傍ら切り絵作家としても活動しています。最も興味があるのは20世紀の美術で、国立国際美術館によく足を運びます。おすすめの美術館は軽井沢千住博美術館です。



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