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  • 執筆者の写真これぽーと

埼玉県立近代美術館:平面の外側へ——ダイナミズムの絵画(と、岡山への旅の記憶)(河野咲子)

 埼玉県立近代美術館の企画展示を見終えた後で、そのコレクション展「2021 MOMAS コレクション 第2期」の会場にも足を運びました。


 いきなり話が彼方へ飛躍してしまうのですが——このコレクション展を見ながらわたしが思い出していたのは、ここ埼玉からはるか遠く離れたところにある、岡山県の奈義町現代美術館で見たいくつかの作品のことです。


 岡山駅から1時間ほど電車に乗って北上し、そこからさらに30分ほどバスに乗ると、奈義(なぎ)という名のちいさな町を訪れることができます。中国山地の山々に囲まれたみどりの大地には奇妙なかたちをした建築が悠々と寝そべっており、これが奈義町現代美術館です。

奈義町現代美術館外観


 公式サイトでは「作品と建物とが半永久的に一体化した美術館です」と説明されています。驚くべきことに、1994年の開館以来、この美術館ではたった3つの空間的な美術作品がそのまま建築のかたちをとって常設展示されつづけています(建築設計は磯崎新)。


 3つの展示室は「大地」「月」「太陽」と名付けられ、それぞれの空間が1つの作品に対応しています。


  • 大地《うつろひ-a moment of movement》(宮脇愛子)

  • 月《HISASHI-補遺するもの》(岡崎和郎)

  • 太陽《遍在の場・奈義の龍安寺・建築する身体》(荒川修作+マドリン・ギンズ)


 奈義町現代美術館を訪れたのはもうずいぶん前のことだけれど、それでもそのときの体験がおのずと思い出されたのは、埼玉近美のコレクション展で宮脇愛子および荒川修作の絵画作品がともに展示されていたからです。


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 埼玉近美のコレクション展に話を戻します。「色彩と軌跡―ジャコモ・バッラ《進行する線》を起点に」と題された第2展示室の中央には、イタリア未来派の画家ジャコモ・バッラ原画のカーペットが水平に展示されています。

ジャコモ・バッラ《進行する線》1987年(原画1925-1930)、染織・カーペット


 そしてそれを取り巻くようにして、「色彩や運動への関心があらわれた」収蔵作品がいくつも配されているのですが、そのなかに宮脇および荒川の絵画作品が含まれていました。


 ジャコモ・バッラは《犬のダイナミズム》(1910)という愛らしい作品で知られているのだといいますが、これはたくさんの脚の生えた黒犬の絵——ではなく、連続写真のように無数にえがかれた犬の脚がその散歩のダイナミズムを直接的に表現している絵画です。この部屋にはエティエンヌ=ジュール・マレによる多重露光の連続写真《飛ぶ鳥》(1885)も展示されています。

エティエンヌ=ジュール・マレ《飛ぶ鳥》c.1885年(プリント1988年)、 ゼラチン・シルバー・プリント


 だからこの展示の標題でいわれている「軌跡」とは、ひとまずのところはキャンバスのうえに留め置かれた「動いている対象」の移動の痕跡そのものを指しているのだと思います。


 けれどもこの展示室で見ることのできる「軌跡」とはたぶんその種のものだけではないのだろうということを、奈義町で見た作品を思い出しつつわたしは考えていました。


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 宮脇愛子は彫刻家です。このコレクション展で展示されていたシルクスクリーンの版画《UTSUROHI k》および《UTSUROHI o》は、そのタイトルが示すとおり宮脇の代表的な彫刻作品《うつろひ》に関連するイメージなのでしょう(彫刻作品のための素描のようなものかもしれません)。あざやかな紺碧の地のうえに、白くてほっそりしたラインが柔らかな弧をなして飛び跳ねています。でもこれは、なにか白い対象が飛び跳ねている軌跡をそのままに示しているわけではないはずです。


 彫刻とはいっても、《うつろひ》はひょろりとしたステンレスのワイヤが緩やかに半円状の弧をなしていくつも連なっているというなかばインスタレーションのような作品です。ワイヤはただその場に凍り付いているのではなく、その土地を吹き抜ける風を受けてゆらゆらとわずかに形を変え、また揺らぐ水面のうえに歪んだ影を落とします。


 奈義町現代美術館では、群れを成すワイヤのうちの半分が屋根のない空間の、陽光をちらちらと反射する水面に、そしてもう半分はガラスの壁をはさんだ向こう側、屋内にある乾いた灰色の石庭に配されています。

宮脇愛子《うつろひ-a moment of movement》


 空間をめぐる不定形のラインやその影、水やガラスや石をとりまいて複雑に反射する光は、じつははじめからそこに満ちていたはずの情報にいくつもの新しいかたちを与えます。それはもちろんその場に充実した風や光の絶えざるうごめきのことであり、恐らくそれ以上の、その土地を構成する万物にみちた魂のようなものの位相も含まれているのかもしれません。少なくともわたしたちが《うつろひ》を見るとき、まずこれらのラインはそうした情報を身体が分節し、感覚するための手がかりとして作用します。でも、宮脇においてラインがそのような知覚を用意するための道具に過ぎなかったのかといえば、たぶんそうではないのでしょう。では、水や石から生じて天へと伸び上がり、そしてまた下方へと戻ってゆく無数の揺らぐ弧はいったい何の「軌跡」だったのか。わたしたちは感受されたゆらめく環境のただなかでそれを考え始めることになります。


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 荒川修作+マドリン・ギンズも、人間身体の知覚に対してきわめて意識的な作家でした。コレクション展で展示されている《Voice Drinker / The Artificial Given》は、無数の矢印やダイアグラム、それに意味を結びそうで結ばないいくつものテキストや数式に埋め尽くされた不可解な絵画です。

荒川修作《Voice Drinker / The Artificial Given》1978-1979年、アクリル・鉛筆・カンヴァス © 2021 Estate of Madeline Gins. Reproduced with permission of the Estate of Madeline Gins.


 絵画上に矢印のラインはいくつも現れており、それはある種のダイナミズムにアプローチしようとしているようではありますが、こちらも犬の散歩や鳥のはばたきの痕跡とはまた異質の「軌跡」のようです。


 宮脇の版画は空間的な作品のアイデアを描き留めた小品と見なせますが、荒川の《Voice Drinker / The Artificial Given》はこの絵画単体において何らかの実験を試み、後期の建築作品を準備しているといえます。かなり大きな絵画で(少なくともそこらのカプセルホテルの部屋の床面積よりは大きいような気がします)、キャンバスに描かれた諸物および記号がそれを眼前にした人間の知覚にいかなる作用をおよぼすのかが問題にされているはずです。この絵画にあらわれている矢印は、既に動き終えたものの運動を記録しているのではなく、人間がそれを見たときに運動の軌跡として捉えてしまうという記号と知覚の作用そのものを明らかにするために描かれているのだと思います。


 奈義町現代美術館の荒川修作+マドリン・ギンズによる建築作品《遍在の場・奈義の龍安寺・建築する身体》は斜めになった筒状の空間で、そこに足を踏み入れると、左右の曲面に龍安寺の石庭が2つ向かい合うように貼り付けられているのがわかります——という説明では突飛すぎて要領をえないかもしれません。

荒川修作+マドリン・ギンズ《遍在の場・奈義の龍安寺・建築する身体》 © 1994 Estate of Madeline Gins. Reproduced with permission of the Estate of Madeline Gins.


 見慣れているはずの石庭がぎょっとするような唐突さで筒状の空間に丸められ、さらに床面にあたる曲面には原寸大のシーソーや鉄棒などが生えており、天井にあたる曲面からは床にあるものとそっくりの、しかし縮尺の狂った巨きすぎる遊具がぶら下がっています。実験器具のようなシリンダー状の空間に閉じ込められ、平衡感覚も遠近感も奪われたわたしたちは、慣れ親しんだ身体感覚が根こそぎ書き換えられていくような感覚をおぼえます。絵画作品で鑑賞者を混乱させた矢印=軌跡は、建築においてはさらにラディカルな方法に転換されてわたしたちの知覚に作用を及ぼします。


 はじめ、そのシリンダーのなかでわたしは一人だったのですが、しばらくすると老婦人に手を曳かれた女の子が現れて、わたしはなぜかその小さな子どもと一緒にシーソーで遊ぶことになりました(少なくとも床面部分に据えられているのは、ほんとうに乗って遊ぶことのできるシーソーと鉄棒でした)。軽すぎる体重を反対側に乗せて込めるべき力を調整しあぐねつつ、子どもがなんの疑いもなくシーソーを楽しんでいるらしいことを不思議に思っているうちにゆっくりと陽が暮れて、その異常な空間が懐かしい宵闇に満たされていったのを覚えています。


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 ジャコモ・バッラとエティエンヌ=ジュール・マレ、そして宮脇愛子と荒川修作+マドリン・ギンズと、ここではコレクション展に関わる多くの作家のうちたった4人について選択的に触れたに過ぎないけれど、それでも絵画のなかに表された「軌跡」が単なる平面的な運動の記録の意味合いを超えて、なにかを感覚する主体・身体に向けられた関心へと広がりうるのだということがわかります。あるいは翻って、空間や知覚をあつかう作家にとって、知覚のダイナミズムの軌跡を考えることは避け難いプロセスであるのだろうと想像することもでき、その意味で奈義町現代美術館できわめて強固な空間をつくりあげた作家による平面作品を、「色彩と軌跡」を主題とした展示で見ることができたのはまったくの偶然というわけではなかったのかもしれません。


 きっとこのコレクション展には、わたしが見い出しきれなかった他なる「軌跡」のありかたもたくさん潜んでいるのでしょう。美術史に必ずしも詳しくなかったとしても、こんなふうに昔の旅の記憶からふっと思い出したことを起点に、作品をつないで読み解いてゆくようなコレクション展の愉しみかたがあってもよいと思います。


※サムネイル画像:荒川修作《Voice Drinker / The Artificial Given》1978-1979年、アクリル・鉛筆・カンヴァス © 2021 Estate of Madeline Gins. Reproduced with permission of the Estate of Madeline Gins.

 

参考情報

 

会場・会期

埼玉県立近代美術館

2021年7月17日(土)〜10月17日(日)


 

・執筆者プロフィール

河野咲子(かわのさきこ)

フィクション、短詩、批評などに興味を持ちつつ、小説をはじめとしていろいろなテキストを書いています。



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