東京都現代美術館:リパッケージ(菅原大貴)
- これぽーと
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全国の美術館の常設・コレクション展をレビューするこれぽーと。本記事は、菅原大貴さんによる、東京都現代美術館の開館30周年を記念したMOTコレクション「9つのプロフィール 1935→2025」展のレビューです。なお本展は一部展示替えの上、2025年11月24日まで開催中。
プロフィールということばの語源は、イタリア語の「profilo」、輪郭を意味することばにある。もともとは、横から見た顔の輪郭線、つまり横顔を指していた。しかし今日、このことばをわたしたちが用いるのは、スマートフォンの画面の中であることがほとんどだ。SNSをひらけば、無数のプロフィールが流れ、そこには職業、趣味、考え方が、それぞれのしかたで綴られている。それらははたして、横顔だろうか。それとも、ととのえられた正面だろうか。――これはなにも、SNS(ソーシャルメディア)にかぎった話ではない。美術において、そして歴史において、わたしたちがどのように自己を提示し、過去を語るのかという、方法論の問題でもある。
美術、とりわけ肖像画における正面というのは、しばしば権威や社会的な役割をまっすぐに示すための形式だった。鑑賞者と視線をかわすことで、自身の存在を単一で揺るぎないものとして提示する、いわばオフィシャルな顔。対して横顔は、視線をかわさず、対象の内面や私的な領域を暗示する。見る角度によって無数に存在しうる、いまだ決定されていない、流動的な輪郭線だ。ととのえられた正面が、個人の複雑さをひとつの物語へと還元しようとする圧力であるならば、横顔は、その物語からこぼれ落ちる身体の過剰といえるだろう。
美術史の叙述が、しばしば「正面」を構築する営みとして機能してきたことは否定できない。それは、作品や作家や運動を、ひとつの確定した意味へと回収し、動かしがたい物語として提示することをとおして、見る者に対して「これこそが歴史である」と告げるような叙述である。いっぽう、「横顔」として語るとは、ある角度からしか見えない暫定的なすがたを提示することだ。べつの角度から見れば、べつの相貌が現れる。横顔は、見られていることを知らない。だからこそ、公式の物語からこぼれ落ちるなにかを、露呈させてしまう。
こうした対比を導入するのは、今回とりあげる東京都現代美術館の「9つのプロフィール 1935→2025」という展覧会が、まさにこの問題――歴史をどう記述するか、誰が、どのような権利で、過去を語るのか――に真正面から取り組んでいるからだ。そして同時に、この展覧会について書こうとするわたし自身もまた、同じ問いに直面せざるをえないからである。
「9つのプロフィール」というタイトルは、すでにこのことを示唆している。ひとつの確定した正面ではなく、9つの異なる横顔。展覧会はほんとうに、複数の横顔を提示しているのか。それとも、複数性という新しい正面を、わたしたちに差しだそうとしているのか。
会場を訪れて気づくのは、この展覧会が、教科書的な美術史を時系列に並べるだけのコレクション展示ではないということだ。たしかに展示は、原則的には編年式を採用している。しかし、そのととのった時間の流れを、10年という、ある種恣意的な鋭さをもって大胆に断ち切ることによって、9つに分節された時代の断面が現れる。そして、わたしたちが美術史という一本の連続した線の上を歩いているという感覚を攪乱するのである。ある部屋から次の部屋へと移動するたびに、まったくべつの角度から光があてられ、それまで見ていた時代の相貌ががらりと変わっていく。
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展示は1階、1935年から始まる。関東大震災(1923年)からの復興が完了し、東京がモダンを謳歌していた時期の終わりに位置する年。そして、1937年の盧溝橋事件から始まる戦争へと傾斜していく、ちょうど端境期にあたる。

開館30周年記念 MOTコレクション「9つのプロフィール 1935→2025」展示風景 撮影:柳場大
鶴岡政男《リズム》(1935/1954再制作)は、渋谷の喫茶店「南欧」のために描かれた作品だった。画面いっぱいに飛び交う幾何学模様は、まるで機械文明に生きる都会人のスピード感を表しているかのようだ。近づいて見ると、その抽象的なフォルムの中に、賑わう喫茶店の空気が閉じ込められているように感じられる。喫茶店、映画館、百貨店――震災から立ちあがった東京は、新しい都市文化の舞台となり、ひとびとはモダンという役を演じていた。

鶴岡政男《リズム》1935 (1954)
長谷川利行《映画館》(制作年不詳)は、水彩の流動性を活かして都市の一角をとらえている。即興的な筆致で描かれた建物は、賑わう街の一瞬を定着させたような作品だ。長谷川は、都市を歩き、立ち止まり、その瞬間をつかまえようとした。
しかし、松本竣介の描く都市には、べつの相貌がある。《大崎陸橋 B》(1941)のような作品では、建物や橋の輪郭が、孤独な線として画面に刻まれている。賑わう舞台から疎外された者の、静かなまなざしがそこにある。1937年から始まった戦争は、モダンの舞台となった都市を崩壊させていく。
「1935→1944」という最初のセクションは、壊れる前から壊れたあとまでをひとつの括りとして提示している。これをたんなる時代区分ととらえるべきではないだろう。展示は明らかに破壊の物語を立ちあげようとしている。やはり、10年という区切りは恣意的だ。1935年と1944年をひとつのセクションとして見ることで見えるものがあるとするならば、べつの区切り方をしたときにも、またべつの物語が立ちあがるはずである。
戦後、「1945→1954」のセクションに入ると、作品に「顔」が登場しはじめる。鶴岡政男《重い手》(1949)では、巨大な掌がうずくまる人物を圧迫している。その掌は、新しい民主主義、新しい平和、新しい復興という、敗戦後に日本人が与えられた「新しいプロフィール」の重さではないか。圧迫される身体は、書かされた「プロフィール」と、実際の身体との、乖離を示しているようだ。

開館30周年記念 MOTコレクション「9つのプロフィール 1935→2025」展示風景 撮影:柳場大
中原實《杉の子》(1947)は、より複雑な時間を画面に封じ込めている。上部には伐採された杉林――空襲の犠牲者の棺桶のために切られた木々――があり、下部には幼い娘たちが眠る室内がある。その間に、裏返しの日本地図が浮かぶ。枕元の茄子から伸びる糸が、この分断された世界をかろうじて繋いでいる。敗戦という断絶によって、ひとびとは新たな「プロフィール」を書くことを強制された。中原が画面に描き込んだ裏返しの日本地図は、文字通り「裏返された」日本だ。敗戦によって、それまでの価値体系は反転してしまった。しかし、反転したということは、地図そのものは残っているということでもある。ならば、その地図は、ふたたび書きなおすことができるのではないか。

中原實《杉の子》1947
戦後とは、「プロフィールを書きなおす」時間だった。いや、正確には「書きなおすことを強制された」時間だった。占領軍によって、新しい憲法によって、新しい教育制度によって。しかし、その強制された書きなおしの下で、ひとびとは、自分たちなりの書きなおしを試みたのではなかったか。
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(都現美のコレクション展示室はどういうわけか1階と3階に分かれていて、いつも途中で階段かエレベーターを上がることになる。毎回思うのだけど、どうしてこのようなつくりになっているのだろう? なにか実務的な理由からだろうか。あるいは、鑑賞者が途中でひと呼吸おけるようあえて分断しているのだろうか……。いずれにしても、長い展示をひととおり見きらないと展示室の外に出られない、というのは(途中にベンチとかがあったとしても)けっこう苦痛なので、わたしはこの妙に開放的なつくりを好ましく思っている。)
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小沢剛《地蔵建立》(1992–95)は、板門店、富士山、オウム真理教の施設があった村など、政治的・社会的に意味を帯びた実在の場所に地蔵を「建立」し、その記録を写真として提示する作品だ。これは、場所に物語を紐づける行為である。
この作品が制作された1990年代、美術館の開館から4年後に開催された「ひそやかなラディカリズム」展(1999年)という言葉が示すように、日本の現代美術には、大きな主張ではなく、つつましい介入によって社会と関わろうとする態度があった。小沢の実践もその文脈で理解できる。しかし、30年後の2025年、場所に物語を紐付けることは、もはやラディカルなことではない。誰もがスマートフォンで写真を撮り、位置情報とともに投稿するのが当たり前の世界だ。なにが変わったのか。それとも、小沢の作品が予見していたことが、ただ顕在化しただけなのか。
髙柳恵里の雑巾やハンカチは、美術館という制度によって「美術」として回収された。しかし、日用品そのものは、どのような「プロフィール」も拒否する。それらは、ただそこにある。この「ある」という単純な事実が、あらゆる物語に先行する。
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展示の最後、「2015→2024」のセクションに配置された作品群は、この展覧会の構成の中で特別な位置を占めている。むろん、これらの作品は、展覧会のために制作されたわけではない。しかし、観客が1935年から歩いてきた90年間の最後に配置されることで、「歴史をどう語るか」という問いを照射している。

開館30周年記念 MOTコレクション「9つのプロフィール 1935→2025」展示風景 撮影:柳場大
サイモン・フジワラ《再会のためのリハーサル(陶芸の父とともに)》(2011–13)では、日本人の父とイギリス人の母を持つフジワラが、長く疎遠だった父と「再会」する場面が映されている。ふたりの間には、バーナード・リーチ(「英国陶芸の父」)のティーセットが置かれ、紋切り型の対話がかわされる。ただし、タイトルが示すとおり、これは「リハーサル」として提示されている。

サイモン・フジワラ《再会のためのリハーサル(陶芸の父とともに)》2011-13 撮影:木奥恵三
フジワラが暴いているのは、もっとも私的なはずの家族の再会でさえ、あらかじめ用意された脚本にしたがって演じなければならないという事実だ。「感動的な父子の再会」には、期待される形式がある。それは和解であり、理解であり、涙でなければならない。ティーセットという小道具を介して、ふたりは「東西文化の融合」という大きな物語を演じることを求められる。その演技のぎこちなさが、日常的に強制されている「プロフィールの演技」を可視化する。
歴史もまた、演じられるのではないか。1935年から2024年へという時系列もまた、ひとつの脚本ではないのか。
片岡純也+岩竹理恵《石の重さで紙をずらす》(2018)は、モーターで永続的に回転する石が、A4用紙をずらし続ける作品だ。セットされた紙に、たとえばなにかが書かれていたとしても、石の重さは、それを少しずつ、しかし確実に、ずらしていく。このずれは、記述の固定化への抵抗として読めるだろう。プロフィールは書かれた瞬間からただちに古びていく。身体は、つねに、そこからずれようとする。
青山悟の〈News From Nowhere〉シリーズ(2016–17)は、ビンテージ写真――かつて誰かが提示した「プロフィール」――に、刺繍糸で介入する作品だ。ポリエステルの糸と金箔で、過去の誰かの顔や身体に、現在の手が触れる。ウィリアム・モリスの小説『ユートピアだより』(1890)は、19世紀の人間が22世紀を夢見た物語だったが、青山は、過去の誰かが提示したプロフィールに、現在から、新たな物語を縫い込む。

青山悟《News From Nowhere (Taylor)》2016
青山悟の刺繍が告げているのは、過去が書き換え可能だということだ。しかし同時に、彼の針が突きつけるのは、より根本的な問いである。
誰が、どのような権利で、過去のプロフィールを書き換えるのか。
ビンテージ写真に写っているのは、かつて生きていた誰かの「プロフィール」だ。それは、その人の意図と、その時代の規範と、写真という技術的制約との交渉の産物である。その写真に、現在から、べつの意味を縫い込むこと。それは、過去を解放することなのか。それとも、べつの暴力なのか。
この展覧会もまた、過去への書き込みではないのか。90年前に描かれた鶴岡政男の《リズム》を、2025年の視点から、近代東京の輪郭線として読みなおすこと。それは、作品をゆたかにすることなのか。それとも、作品が本来持っていた複雑さを、ひとつの物語へと還元してしまうことなのか。
とはいえ書き換えは、避けられない。過去は、つねに現在から見られるしかないのだから。問題は、その書き換えを、誰が、どのように、どのような自覚のもとで行うかである。
ウェンデリン・ファン・オルデンボルフ《彼女たちの》(2022)では、ふたりの女性作家――宮本百合子・林芙美子――のテクストが、多声的に朗読される。左右で異なる映像が流れる横長のスクリーンは、ひとつの「プロフィール」に収まらない複数性を示している。世界を縛る種々の問題について、異なる世代、異なる国籍、異なるジェンダーのひとびとが、テクストを朗読し、対話する。単一の物語ではなく、複数の声。対話の可能性。

ウェンデリン・ファン・オルデンボルフ《彼女たちの》2022 撮影:森田兼次
しかし、この作品の含意はそれだけにとどまらない。これは、過去のテクスト(宮本・林)を現代の身体というプリズムにとおすことで、過去、現在、そして未来が交錯する非線形の時間を生成する、歴史編纂のためのオルタティブなエンジンである。宮本のことばが現代の身体によって語られるとき、そのことばは過去に縛られることなく未来へと投企され、同時に宮本が生きた時代そのものも、現代の視点から再編成される。歴史を一方通行の道としてではなく、多方向的な応答と書き換えが絶えず起こるネットワークとして提示することで、わたしたちの歴史認識そのものの構造転換を迫っている。
観客は1935年を起点として90年という長い歴史を歩いてきた。そして最後に「歴史をどう語るか」という方法論への問いを体現する装置に対面するのである。そのとき観客は気づくだろう――自分がいま歩いてきた90年間もまた、書き換え可能なひとつの「語り方」にすぎなかったということに。そして、その書き換えの権利と責任が、いまや鑑賞者である自分自身の手に委ねられているという事実に。
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冒頭で問うた。この展覧会が提示するのは、「正面」か、それとも「横顔」か。
わたしが見たのは、そのどちらでもなかった。むしろ、正面を描こうとしては横顔になり、横顔をとらえようとしてはべつの正面が現れる、その絶えざる往復運動の軌跡だった。
美術館は、「9つのプロフィール」として複数性を強調することで、単一の「正史」を書くことの不可能性を認めている。しかし同時に、この展覧会そのものが、ひとつの「プロフィール」として機能してしまうというパラドックスを、どこまで自覚しているだろうか。
1935年から2025年への時系列は、恣意的な線引きだ。各セクションの10年という区切りも、恣意的だ。どの作品を選び、どう配置するかも、恣意的だ。その恣意性を、展覧会は隠してはいない。むしろ、「これはひとつの見方にすぎない」と明言している。
しかし、問題はより根本的なところにある。この複数性の主張――どの区切り方も、どの見方も、等しく「ひとつの歴史」でありうるという主張――は、それを実行しうる主体の特権性を、あらかじめ前提としているということだ。過去を選択し、配置し、「歴史」として提示する権力を持つ者だけが、複数の「歴史」を並置することができる。
わたしが個人として「この90年は、こう見ることもできるし、ああ見ることもできる」と主張したとしても、それは私的な見解の表明にとどまるだろう。しかし、公立の美術館という制度が同じことを行えば、それらは公共的な事実として、歴史叙述の正統性を帯びることになる。複数性を提示するという方法論は、それを可能にする制度的基盤を、その成立条件として必要とする。そして、その基盤とは、まさに「美術館」という、過去を収集し、分類し、展示することで「歴史」を構築する装置にほかならない。
このとき、展覧会が「9つのプロフィール」として並置するそれぞれの見方は、どのような基準によって選ばれ、配置されているのか。1935年から1944年を「都市生活と戦時」として括ることと、べつの視点――たとえば「モダニズムの変容」? あるいは「抽象と具象の相克」?――から括ることと、そのどちらが、より説得力のある歴史叙述なのか。この問いに答えるためには、それぞれの見方を相互に比較し、評価する視座が必要になる。しかし、複数性を方法的前提とする立場は、まさにこの比較の視座を、みずから手放してしまってはいないか。AもBもCも、すべて「ひとつの見方」であると宣言することは、どの見方がより妥当であるかを問う基準を放棄することでもある。その結果、それぞれの「プロフィール」の歴史的・理論的妥当性は検証されることなく、ただ「美術館がそう選んだ」という制度的決定だけが、むきだしのまま残される。複数性の提示は、歴史叙述の方法を相対化すると同時に、その相対化を成立させる制度的権力を、絶対的なものとして前景化してしまうのではないか。
そして、この権力が前景化させるのは、美術館が「選んだ」複数の横顔だけではない。むしろ、その選択の過程で必然的に生まれる「選ばれなかった」無数の不在であり、そもそも「選ばれる」という舞台にすら上がることができなかった顔なき者たちの存在である。本展が提示する90年の「プロフィール」群が、結局のところ国民国家としての「日本(美術)」の枠組みをなぞるものである以上、その複数性の内側には、たとえば植民地主義の文脈の中で語られるべきだったアーティストや、沖縄という場所から見えたはずの、もうひとつの戦後史といった「不在のプロフィール」が、影のように横たわっている。複数性を謳うことの危うさは、まさにこの影の存在を、その明るさによって覆い隠してしまう点にある。
だとしたら、展覧会がその限界について自覚的に振る舞うことの意味も、問いなおされねばならない。
限界を自覚することには、たしかに積極的な意味がある。みずからの見方が恣意的であることを認めることは、べつの見方が可能であったことを知ることでもあり、その試みに挑んだ先行者たちの達成を理解する契機でもある。しかし同時にそれは、限界の内側での自由を保証するとともに、限界そのものを前提として承認してしまうのではないか。つまり、それによって、より「よい」見方を探求するよりも、ひとつの見方にすぎないという前提のもとでこれを受け入れるという、ややペシミスティックな態度を促してしまう。この両義性は、しかし、どうあがいても避けることができない。
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それでもなお、わたしたちは、この展覧会からなにかを受け取ることができる。
それは、完成された歴史ではない。確定した評価でもない。そうではなく、歴史を語ることの困難さ、その暫定性、そしてその暴力性についての、率直で問題含みの告白だ。展覧会が提示するのは、ひとつの見方の記録である。それは誤りうる。書き換えられうる。そして、書き換えられるべきだ。
フジワラの「リハーサル」が示したように、わたしたちは、あらかじめ用意された脚本を生きている。しかし、脚本があることを知ること。それが脚本であることを暴露すること。そこから、べつの可能性が、わずかに、ひらかれるのではないか。
身体は、つねに、書かれたプロフィールからこぼれおちる。その過剰が、ととのえられた正面を無数の横顔へとひらくプリズムとなりうるか――それは、これから引かれる線にかかっている。
会場・会期
東京都現代美術館
前期:2025年4月29日–7月21日
後期:同年8月2日–11月24日(前期から一部展示替えあり)
・執筆者プロフィール
菅原大貴
2000年千葉県生まれ。慶應義塾大学法学部卒業。
daiki1027.mail [at] gmail.com
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