はじめに
2022年の暮れに、広島市中心部にあるひろしま美術館を見学した。ひろしま美術館とは、広島銀行の元頭取で戦後に美術作品に癒された経験を持つ初代館長の井藤勲雄のもと、「愛とやすらぎのために」をテーマとして設立された美術館である。
印象派をはじめとしたフランス近代絵画を中心に、それらから影響を受けた日本近代の洋画・日本画を所蔵しており、そのコレクションの特徴を生かして西洋美術が日本美術に与えた影響についての研究を行っている。
前回に続き、学芸員の農澤美穂子さんから伺った開催中のコレクション企画展示「花と静物」についてのお話をふまえ、同展覧会のレビューをしていきたい。
1.ひろしま美術館本館で常設展示されるフランス近代美術コレクション
本館展示風景
ひろしま美術館の本館では印象派を中心とするフランス近代絵画を常設展示している。四つの展示室はそれぞれ「ロマン派から印象派まで」「ポスト印象派と新印象主義」「フォーヴィスムとピカソ」「エコール・ド・パリ」の作品を展示する。ただし、私が訪れた際には別館で開催中のコレクション企画展示「花と静物」との関係で、一室が日本近代洋画の展示室となっていた。
今回、本館ではひろしま美術館が所蔵するゴッホの《ドービニーの庭》、マネの《灰色の羽帽子の婦人》、ルノワールの《麦わら帽子の女》などの貴重な作品を間近で鑑賞できた。私はゴッホやミレー、そして今回特別に展示されていた岸田劉生などの作品を通して、画家同士が影響を与えたり与えられたりしながら自らのスタイルを確立していくさまを想像し、興味深く鑑賞させてもらった。こちらについては前回レビューした通りである。
2.別館で開催されたコレクション企画展示「花と静物」
一方、別館で開催されていたコレクション企画展示「花と静物」は、近代以降、西洋文化に大きな影響を受けた日本の絵画がどのようにそれを受容し、昇華したのかに焦点を当てた展示となっていた。
展示パネルでは静物画の歴史や、花鳥画との相違点などがわかりやすく解説されている。これらをふまえてひろしま美術館の所蔵する日本の近代絵画を見学すると、普段とは違った視点から作品を鑑賞することができた。
和田英作《バラ》1937年、油彩/カンヴァス、ひろしま美術館
こちらは、明治末から晩年にかけてバラを好んで取り上げた和田英作が、淡い光に照らされたバラを瑞々しく描いた作品。和田英作は黒田清輝から外光派の画風(印象主義的な表現を取り入れる画風)を学んだのちに渡仏し、アカデミー・コラロッシで指導を受けた。この作品では油彩画ならではの立体感豊かな花弁の表現や、調和のとれた華やかな色彩が見て取れる。また、「花瓶の花」という西洋の典型的な静物画の形式がとられている。
小林古径《実と花》1938年、紙本彩色、ひろしま美術館
自然から切り取られた姿を描く西洋の静物画と異なり、日本の花鳥画はたいてい余白を生かして広大な自然のなかの一辺を切り取った姿で描かれる。小林古径の《実と花》は、その特徴をよく示す作品だ。小林古径は40歳になる年にヨーロッパへ渡り、1年間西洋美術の研究をしている。古径は西洋の美術に触れることで日本美術の伝統をより際立たせた作品制作を行っており、この作品においても簡潔な線描、色彩、構図が特徴的である。
この他にも黒田清輝の活躍よりさらに前、岡倉天心らによる西洋画排斥運動が盛んであった19世紀後半から油彩画の振興に努めた小山正太郎の《牡丹図》(1887年頃)や、20世紀のシュルレアリスムからも影響を受けたことで知られる広島の画家、靉光の《瓶花》(制作年不詳)などがあった。作家らが自分なりに影響を受けているのは共通だが、その受け入れ方や取り入れ方はそれぞれ異なるところがおもしろい。
西洋美術のテクニックや精神がどのように日本美術に溶けこんでいったのかを想像しながら作品を鑑賞することで、作品自体の美しさだけでなく、違う角度からその作品の魅力に迫ることができる。作家がその作品に込めた思いや背景が垣間見えるようでとても興味深く、非常に学ぶところの多い展示だった。
3.絵画から考える西洋思想と東洋思想
コレクション企画展示「花と静物」の展示パネルによると、静物画が「スティルレーフェン(stilleven)」という名称とともに確立されたのは、1650年頃のオランダであるという。「動かない生命」という意味を持つこの言葉は花、果物、食器などの身の回りの事物を主役とする絵画の総称として用いられた。
17世紀のオランダではヴァニタス(儚さの象徴として骸骨、花、楽器などが描かれる)に代表されるように、モティーフに意味を持たせて描かれる静物画が主流であった。その後19世紀に入ると表現に重点を置くもの、形を重視するもの、個人的な感情をこめたものなどがヨーロッパでさまざまに発展していく。
学芸員の農澤さんによると、日本の花鳥画は西洋の静物画に相当するものとして取り上げられることが多いという。花鳥画とは中国や日本で描かれる東洋画のジャンルの一つだ。花や鳥だけではなく身近な動植物が描かれる花鳥画は、取り上げられるモティーフが静物画と似通っているのである。
ただし、静物画と花鳥画には異なる点もある。例えば、特に17世紀の静物画においては皿の上に盛られた果物に何かしらの意味を込めて描くが、花鳥画では同じモティーフであっても生命あるものとして瑞々しく描く。それはあくまでも季節の風物詩として描かれるのであり、象徴的な意味合いは持たない。
今回の展示を通して、私は西洋と東洋の考え方の違いにとても関心を引かれた。西洋では「自然」を克服するべき脅威と捉えるが、東洋では「自然」を共生するものだと捉える傾向がある。先ほどの果物の描き方にもそれがあらわれているように感じられる。
絵画以外にも目を向けると、西洋では基本的に一神教だが東洋では多神教であったり、西洋では永遠性が好まれ東洋(日本)では季節感が好まれる傾向があったりする。
人と人との流通が盛んな現代社会ではそのような差異が段々と縮まってきているようにも感じられるが、私たちがもともと持っている物事の捉え方の傾向はまだまだ残っているようにも思う。季節の彩り豊かな日本に住む私たちは、自然の中に神様が宿っているという考えのもと、自然との共生をのぞみ季節感や一つ一つの小さな変化を楽しむ感覚的な精神を根底に持っている。それは、合理性や永遠性を貴ぶ西洋的な考え方とは異なる。
もちろん文化に優劣はない。どちらの文化にもそれぞれの魅力がある。しかし、時間に追われて合理性ばかりを過度に追い求めていると感じられることがあれば、一歩立ち止まってまわりを見渡し、季節の変化に耳を澄ませ、自分らしさとは何か考えてみるのもよいのではないだろうか。
おわりに
ひろしま美術館の中庭
奥に見えるのはゴッホの《ドービニーの庭》にちなんで名付けられた「カフェ ジャルダン」
ひろしま美術館は、公共交通機関を使うなら広島電鉄の路面電車やアストラムラインの最寄駅から歩いて5分以内、自家用車で訪れるならテニスコート下にある広島市中央駐車場に車をとめて広島市民病院前の横断歩道を渡ればすぐのところにある。私が訪れたのは、紅葉が美しく空気の澄み渡った12月の初旬で、ひろしま美術館には静かに談笑しながら絵画鑑賞を楽しむ人々が多く訪れていた。
異なる文化を持つ者として他国の芸術を理解し、受け入れ、昇華するために必要であった努力は並大抵のものではなかっただろう。美しい作品の奥にあるアーティストの苦悩や費やされた時間を想像すると、胸が熱くなる。鎮魂の思いを込めて「愛とやすらぎのために」をテーマに設立されたひろしま美術館。文化交流の証である貴重な作品を見学しながら、この平和なときがいつまでも続きますようにと改めて思った。
謝辞:本展覧会の執筆にあたって、ひろしま美術館学芸員の農澤美穂子様にお世話になりました。この場をお借りして御礼申し上げます。ありがとうございました。
※会場内の写真については、美術館に許可を取ったうえで筆者が撮影を行っています。
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会場・会期
ひろしま美術館 コレクション企画展示「花と静物」
2022年11月26日から2023年1月9日
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・執筆者プロフィール
山本知恵
1983年生まれ。広島女学院大学文学部人間・社会文化学科にて学芸員の資格を取得。現在は美術・音楽の垣根を超えて芸術にまつわる記事を執筆するライターとして活動している。
連絡先:webwriter.c.yamamoto@gmail.com
Twitter:@chie_writing
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