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  • 執筆者の写真これぽーと

大阪中之島美術館:開館までの40年、そして「近代」のゆくえを追って。(松村大地)

1.Hello! Super Museum

2022年2月2日、中之島の国立国際美術館のちょうど北側に大阪中之島美術館(以下、中之島美術館)は開館した。

 開館からちょうど10日経った土曜日の午前に私は訪れた。黒いキューブが印象的な建築だ。洗練された建築のディテールを楽しみつつ、館内に歩みを進めると、コロナ流行前のブロックバスター展にタイムスリップしたかと見まがうほどの長蛇の列ができていた。ぐるっと全体を見回したところ、60代以上が多数を占めているようだ。彼らにとっては展示室の前の行列がかすむほど待たされていた、ようやくの開館なのだろう。

 この開館記念展をレビューするにあたり、構想発表から数えて40年近い歴史を持つ美術館の生い立ちについて触れないわけにはいかない。本稿は展示をざっくりと追いつつも美術館の足跡を追いかけてみるつもりで書き進めたいと思う。

 展示は3章に分かれていて、それぞれが鑑賞者に向けて収集方針とその射程を明確に伝えてくれる構成であった。新しく開館する美術館のコレクションを広く紹介することを目的に企画された本展では6000点を超える所蔵作品のうち約400点が展示される。

 第1章はコレクション形成の基盤となった山本發次郎コレクション、田中徳松コレクション、高畠アートコレクションと大阪にゆかりのある近現代美術が紹介される。開館告知などで多用されていた《郵便配達夫》(1928年)をはじめとする佐伯祐三の作品から展示は始まっていた。中之島美術館は1983年に山本發次郎コレクションが大阪市に寄贈されたことからすべてが始まったのだ。

 次の展示室へ移る途中、この美術館建築の特徴的な大きな窓から日光が差し込む休憩スペースに、たくさんのフライヤーが展示されていたことが印象深かった。過去に大阪市立近代美術館(仮称)が主となって心斎橋展示室(現在は閉鎖)などで企画してきた展示会である。「新しい美術館」に来たつもりになっていたが、今自分がいる場所を「新しい美術館」と形容することが正しいのかさえ分からなくなってしまうような気にさせられた。



 続いて、大阪の戦後美術として大きく取り上げられている具体美術協会に関連する作家の作品群に目が留まった。本展では吉原治良の作品だけでも15点ほどが展示されていたが、吉原作品は800点以上の所蔵があるらしい。というのも、1962年から70年まで、かつてこの中之島にはグタイピナコテカという名の具体の私設展示施設が存在した。中之島美術館が構想されるほんの13年前のことである。今年の秋には、これに着目した展覧会、「すべて未知の世界へ―GUTAI 分化と統合」展が国立国際美術館との共同企画として予定されている。場所性と収蔵が重ね合わされることで、大阪の美術史が私たちの視野に自然と入ってくるだろう。

 大阪の美術史の特徴として、官立の美術教育機関が設置されなかったことが挙げられる。そこに古くからの商業気質が伴って、美術シーンには自由な空気がずっと流れ続けていたのではないか。吉原治良もアマチュア画家出身者の一人であるし、具象から抽象まで幅広い作品たちから奔放さを感じ取るばかりであった。

 さて、最上階の5階の展示室で展開される第2章では、打って変わって世界の代表的な近現代の美術作品が紹介される。マグリット、エルンスト、ダリ、モディリアーニ、ジャコメッティ、リヒター、ステラ、草間、杉本など有名作家の作品が立ち並んでいた。コレクションの豊富さがひしひしと伝わってくる展示室だ。なかでもモーリス・ルイスの《オミクロン》(1960年)は時世が相まって来場者の格好の被写体となっていた。

 続く「Hello! Super Visions」と題された第3章では、主に20世紀に作られたデザイン作品が紹介されていた。ミュシャやロートレックのポスターは相変わらずの人気ぶりだったが、家具のコレクションがひときわ鑑賞者の目を引いていた。会場にはほとんどテクストがないため、純粋に形態を楽しむことができる。中之島美術館は近現代のデザイン作品のコレクションも売りの一つにしているという。これらのデザイン作品の収蔵は館を超えて、大阪のアートの集積地・中之島全体のコレクションをより一層豊かなものにしてくれたに違いない。(注1)

 冒頭でも述べたが、開館時のコレクションの数としての6000点は非常に大きい数字だ。もしかしたらこれは、日本最後の、大美術館の開館なのかもしれない。そんなことを思いながら、美術館をあとにした。真っ黒な外壁が夕日を静かに照り返していていた。


2. 近代のゆくえとこれから。

1983年の構想発表のあと、当初の計画は時代に合わせて柔軟に変更/再検討され続けてきた。大阪市立近代美術館(仮称)はそのまま大阪市立近代美術館とはならず、「大阪中之島美術館」として、発注者が大阪市で民間が管理運営を行うPFI方式で設立されることとなった。国内初の試みである。

 公募されたものとはいえ、館名から「近代」の文字が引き下げられたことについて思索したい。

 この美術館の構想が産声をあげた1980年代の日本はバブル期まっただ中であり、「美術館建設ラッシュ」とも呼ばれた時代だった。経済の潤いにより、全国の自治体が一斉に美術館を建設した時期である。また海外からの作品の購入も盛んであった。大阪市は設置されてすぐの基金で本展にも展示されていたモディリアーニの《髪をほどいた横たわる裸婦》を19.3億円で購入している。今の公立館ではそうそう1作品に使ってしまえる額ではない。(注2)開館記念トークにおいて、準備室出身の館長である菅谷富夫は、「美術館の建築よりも、コレクションの形成を優先した。」(要旨)と述べていた。このことは本展の作品の充実ぶりからも十分に伝わっている。この意識の根底には当時の国内の美術館建設ラッシュへの反省があったからに違いない。他館とは同一視できない、コレクション形成に対する執念が認められる。

  そして90年代に入り、大阪市近代美術館(仮)はこの美術館建設ラッシュに遅れをとっているうちに、バブル崩壊を迎えることになった。それに伴い大阪市の財政が低迷し、2003年から2018年までのあいだ作品の購入がストップしてしまっていた。なるほど本展でも、2000年代以降の同時代の作品がごそっと欠落していたわけだ。なお購入活動は2018年に再開されている。

 館名の話に戻ろう。私たちが知っているところでは兵庫や富山、そして2021年には滋賀

でも、県立美術館の名前から「近代」の語が削除されてリニューアルした。


 なぜ、近代の語は次々と引きずり降ろされるに至ったのだろうか。(もちろん、時代区分や分類としての近代美術-現代美術という区切り方がなくなったわけではなく、本展でも近代の語は繰り返し使われている。)

 そもそも近代とは明治期に移入された西洋中心主義的な概念だ。同様に近代美術という語も西洋世界しか内包していないという指摘はこれまでも繰り返しなされてきた。これは本展で紹介されていたコレクションのうち国外作家の作品が、西洋、とくにフランスとアメリカの作家の作品に偏っていることからも明らかだ。時代区分としての近代と歴史観としての近代は一致しているわけではない。


 やがて近代が終焉し、ポストモダン以降、非西洋圏出身のアーティストたちが、自らの出自やそのアイデンティティを前面に押し出す表現が流行している。とりわけ現代では、これまで周縁とみなされ、近代美術までの美術史から排除されてきた者たちが抵抗の歴史を紡ごうとするストーリーが世界中で散見される。


 当然、美術館の収集活動においても、こういった流れを無視することはできないはずだ。しかし、アジア・アフリカの美術を同じ年代の造形物だからといって、そのまま近代美術に収斂させるには無理があるのではないか。そうすれば、「近代美術館」という語は現状と整合していないのだと言える。美術館名の脱近代の裏には非西洋圏を眼差そうとする意志が隠れているとも考えられるだろう。


 美術館の文字通りの脱近代化は、美術館やその収集・研究活動における近代という歴史観の問い直しなのかもしれない。展覧会に加えて収集活動も含めて、中之島美術館のこれからに注目していきたい。

ともあれ、開館、本当におめでとう。

※1:中之島周辺には現代美術(国立国際美術館)、陶磁器(大阪市立東洋陶磁美術館)、日本美術/東洋美術(香雪美術館)が揃っている。

※2:近年では、国立国際美術館が2018年度にアルベルト・ジャコメッティの《ヤナイハラ》を16.5億円で購入している。しかし、同館はその1年間に1作品しか購入しておらず、収蔵に際して、2019年度に2会期にわたるコレクション展「ジャコメッティと…」を開催したほどだ。

・参考文献

展覧会図録「Hello! Super Collection 99untold stories」大阪中之島美術館、2022年

 

会場・会期

2022年2月2日から3月21日まで

 

・執筆者プロフィール

松村大地

京都工芸繊維大学のデザイン・建築学課程に在籍中。建築やキュレーションを学ぶ傍ら切り絵作家としても活動しています。最も興味があるのは20世紀の美術で、国立国際美術館によく足を運びます。おすすめの美術館は軽井沢千住博美術館です。



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