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  • 執筆者の写真これぽーと

奈良県立美術館:戦後日本美術の〈熱さ〉を見つめる(堀本宗徳)

堀本宗徳さんは奈良教育大学の2回生で版画を学ばれている方です。大学院進学を考えていて、そのために美術教育だけでなく、美学についても独学で知識を蓄えている最中とのこと。今回は7月まで奈良県立美術館で開催されていた特別展を取り上げてもらいました。特別展といっても、焦点が当てられているのは、当館の所蔵品を彩るプライベートコレクションですので、あくまでもコレクション展としてレビューしていただいています。(南島)

 

 公の場に開かれたプライベートコレクション。何処かちぐはぐな響きがあるが、美術館の収蔵品の中には、寄贈という形で個人の見識が織り込まれることが少なくない。


 奈良県立美術館は、吉川観方のコレクション寄贈をきっかけに1973年設立された。今回の展示「熱い絵画-大橋コレクションに見る戦後日本美術の力」は、この吉川コレクションと共に当館所蔵の核となる大橋嘉一のプライベートコレクションを取り上げ、国立国際美術館と京都繊維大学美術工芸資料館の寄贈と合わせ、約2000点の中から1950-60年代の戦後日本絵画90点を紹介したものである。


 先に断りを入れさせていただきたいのだが、調べたところ2014年の「開館40周年記念名品展 美の世界~近現代美術の100年~」以降、当館ではコレクション展と銘打った展覧会は開かれていない。これは、当館の特徴とも呼べるが収蔵品の多くが個人からのまとまった寄贈に由来するからだと思われる。今回の展覧会も特別展という括りで、奈良県立美術館だけのコレクション展示ではない。大橋コレクションの考察がメインとなってしまうが、第六展示(関連展示)での県所蔵の奈良ゆかりの所蔵作家を一部取り上げることで当館のコレクションに関する記事としたい。


 展示は第一展示から第六展示まであり、順に「1:戦前から創作活動を行っていた作家」「2:戦後に本格的な創作活動を行った作家」「3:欧米アートシーンに身を投じた作家」「4:日本画に変革をもたらそうとした作家」「5:具体美術協会の二人(白髪一雄 元永定正)」「6:奈良の現代作家-所蔵品から」のテーマで分けられていた。テーマの区別が大掴みになっている点などは、前衛芸術の既存の枠にはまらない作品性を物語っている。以下、表題にもなっている戦後日本美術を形容する〈熱さ〉を、作品を数点取り上げることで具体的にみていきたい。


 第一展示会場に入って、まず迎え入れてくれるのは、桂ゆきと古沢岩美の作品である。コラージュ的な構成や幻想的な世界観からシュルレアリスムの影響が見て取れる。特に、古沢の作品《壁》では、全裸で頭を下げ、顔を隠し座る女性の背景にある鉄筋コンクリートの壁から出る鋭い鉄筋、足元にある鈍色のペンチ、遠方に小さく見える壊れかけた町々を通して、心奥にある第二次世界大戦の記憶が表出しているようである。作家が「戦争」を生き抜き、「敗戦」を経験していることを強く認識させられる作品である。


 内的世界への関心が抽象表現主義に引き継がれる動向を加味しての配置かわからないが、これ以降、日本画数点と関連展示を除き、具象作品の展示はない。


 「敗戦」に関連して、もう一つ作品を挙げたい。戦時中、兵役についた鶴岡政男の《ひと(3)》である。描き方は、同時代のアメリカ画家ジャクソン・ポロックのアクション・ペインティングを想起させるドロッピングや偶然性を見て取れるが、地色は暗く、彩度の低い色合いで構成されているのを見ると、ポロック作品と対比的に禁欲的で内向的な印象を受ける。その差に「戦勝国」のアメリカと「敗戦国」の日本とを結び付けることもできるかもしれない。


 第一展示の作家作品の〈熱さ〉には、敗戦をいかに受け取ったのか、その「感受」の影が見え隠れしているように思う。また、その影を感じる作品は、第二展示以降もしばしみられる。


 第二展示以降は、内容・表現を一括りにすることは難しい。というのも、第二展示室には一つの空間に、多くは60年代初頭の作品、2mを超える江見絹子の巨大な抽象画、同時代の前衛的な書画の印象も受ける津高和一の《機》、金属版を用いてオプティカル・アート的な視覚体験を促す今中クミコ、磯部行久のレリーフ作品など、素材も表現も異なる作品が並んでおり、作品同士の画面上の関連性は薄いからである。とはいえ、混雑するそれらに共有されるのは、まさに〈熱さ〉のなかで表現の幅を広げようとする姿であろう。


 第二、第三展示の中では、〈熱さ〉なるものを強く発する作品として菊畑茂久馬の《奴隷系図》を挙げたい。遠目で見た時、赤丸に何か描かれているとしか思わなかったが、近づけば近づくほど作品への不快感を覚えずにはいられなかった。まず赤丸の支持体に卵が投げつけられたような艶のある跡(実際は石膏を流している)に違和感を覚え、虫が葉を食べた痕跡の様にくり抜かれた穴に嫌悪し、それが表現されている赤丸の支持体が実は、安くて薄い合板であることを認識した時、落胆させられ、品性を欠いた作品に自分の心が揺さぶられたことに気づかされる。作品に現れているのは「土俗」的としがいいようのない混沌としたイメージなのである。菊田は福岡の前衛グループ「九州派」に属していたが、その九州派に着目して批評した針生一郎の「〈九州派〉ほど、深い地層から熱いマグマが噴出するようなエネルギーを感じさせるグループはなかった」という言葉がこの作品を通して現れているようである。同年代の作家が戦争を忘れ「現実」を描き出そうとする中、菊池の作品からは汚く、欺瞞的で、残酷な「現実」と向き合い、自らの表現を立ち上げようとする「模索」の跡を強く感じさせる。これも、戦後日本美術の〈熱さ〉を構成する方向の一つといえるだろう。


 第四展示は、「日本画に変革をもたらそうとした作家」が紹介されている。ここでは、上田臥牛の《裸木A》に着目してみよう。上田は、小林古径に師事し、第一回「これが日本画だ!」展に参加した作家として知られている。これは日本画における日展など画壇に根づく階層秩序の妥当や伝統的感性の追求などを求めた展示会であり、ここでは既存の制度への「挑戦」としての〈熱さ〉が伺える。


 作品は、抽象表現的に不定の筆致がダイナミックに画面を躍動している印象を受けるが、近づいてみると、その線は樹木の幹や枝を変形させたものであることがわかる。繊細な輪郭線、日本画的量感をそのままに木肌が描かれているのを知ると、日本画の良さを生かしつつ、これまでの日本画にはない新境地を開拓しようとする実験的な作品であることが理解できる。


 第五展示は、具体美術協会に所属していた白髪雄一と元永定正の作品が対置され、連続的な作品展示にリズム感をもたせている。具体美術協会を代表 吉原治良が発表した「具体美術宣言」での有名な文言と白髪への説明となる部分を引用したい。


「具体美術に於ては、人間精神と物質とが対立したまま、握手している。物質は精神に同化しない。精神は物質を従属させない。物質は物質のままでその特質を露呈したとき物語りをはじめ、絶叫さえする。(中略)白髪一雄は巨大な紙の上にペイントの塊を置いて激しく足で絵具をのばしはじめた。彼のこの前人未踏の方法は所謂体当りの芸術として二年この方ジャーナリズムにとりあげられたけれど、白髪一雄は何とその奇妙な制作の有様を発表したのではなく彼の資質が選択した物質と彼自身の精神の動態との対立、総合の方法を極めて首肯し得る状態で獲得しただけだ。」(*1)


 そもそも、「具体」という名称は、「精神の自由な証しを具体的に提示する」という主張からきている。キャンバスに定着した絵具(物質)に物質としての美しさや自由さを見出されることを彼らは望んでいる。まして、白髪一雄のネームバリューで作品を見るのはお門違いなのであろう。他方で、元永定正の《作品》(1961年)を見ていると、鮮やかな色彩、横長の画面や絵具の流動性から生命の躍動を感じ抽象画でありながら、そこにミケランジェロ・ブオナローティの《アダムの想像》を微かに想起した。横長の画面をとり、観念的に生命の誕生を表現しているからなのだろうか。少なからず、私は重要な絵画作品を目の当たりにしたのだと感じた。

 具体美術協会もまた、他の展示室の作家とは違う道のりから戦後日本美術を辿ろうとしているのが見て取れる。そこには彼らを駆動する動力源としての「発見」が<熱さ>として表出している。


 それでは、第六展示(関連展示)では絹谷幸二を取り上げたい。彼は、東京藝術大学の在学中、大橋が画家を目指す学生の支援として設置した「大橋賞」を受賞している(現在は「O氏記念賞奨学金」として継承)。絹谷の作品には、フレスコ古典技法の特有の量感と互いに主張し合う鮮烈な色彩によるイメージ世界があり、古代壁画の様な永続性を感じる。ポップな図柄を伝統的画法によって生み出す取り組みは、前述の上田臥牛の〈熱さ〉とも通じるものがある。


 ここまで戦後日本美術の特に1950-60年代にあった〈熱さ〉を関連させながら、展示作品を取り上げてきた。数点を取り上げただけでもその多様さに驚かされるが、それらは同時多発的に起こっている。


 美術批評家の椹木野衣は、日本の「60年代の芸術」や「読売アンデパンダン展」を本家フランスの「アンデパンダン展」と比較しながら、「理念を欠いた群衆的熱狂なくしてありえなかったし、また、それゆえにこそ固有の意味を持つ」とし「多様な他者が介入する余地のある」ことを指摘している。様々な他者が対立を生みながらも共存し、外部へと目指す姿が「戦後」特有の空気であったことは確かである。


 展覧会の作品を<熱さ>という観点から見つめた時、感受・模索・挑戦・発見など複数の点から読み取るに至った。この多様な感覚が相互に影響し合いながら、新たな作品が生み出されたからこそ、そこに形なき統一感があったのではないかと考える。


 さて、このコレクションの主である大橋嘉一というコレクターについて紹介して、本文の締めとしよう。


 大橋嘉一(1896-1978年)は、大橋焼付漆工業所(現・大橋化学工業株式会社)を創設し、経営していた関西の企業家・科学者である。こうした本業の傍ら、彼は1950-70年代の現代美術を収集や、東京藝術大学へ寄付をして「大橋賞」を設置するなど、コレクター=パトロンとして戦後日本美術を支えた人物なのであった。


 大橋について、針生一郎は以下のように述べている。


「〈大橋の〉画商のすすめに自分の判断を対置してゆずらぬ反面、投資としての蒐集を厳しく批判し、無償の愛を強調する姿に、美術市場を支える良心の存在をかいまみた。(中略)日本にはめずらしく自分の好みと分をはっきり捉えているコレクターとして、わたしはわすれない」


 現在まで続く大橋の会社の社肯には「和」が掲げられ、彼が“和をもって貴しとし、さからうことなきを宗とせよ”の言葉にある、人と人との和を大切にしていたことが記されている。


 これらの資料から伺える彼の人柄や理念をもとにして、展覧会を振り返ってみると、彼自身も個人コレクターとして戦後日本美術の〈熱さ〉へ参与していたのでは、と感じられる。多様な〈熱さ〉を秘める作品を(価値があるのか不確定にも関わらず)幅広く収集し、自らの審美眼によって判断を下す姿。それは、コレクター=パトロンとして優位な立場によるのではなく、和をもって作家と「協働」し戦後日本美術を切り開こうとする〈熱さ〉の現れなのではないだろうか。


 公の場に開かれたプライベートコレクション。本展はコレクションの熱さと共に、それを収集した大橋嘉一の〈熱さ〉、すなわち作家への熱視線を追体験できるよい機会にもなるはずだ。


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*1 具体美術宣言 http://www.ddart.co.jp/gutaibijutusengen.html (最終アクセス日:2020年10月3日)

 

参考文献

『熱い絵画 大橋コレクションに見る戦後日本美術の力』(奈良県立美術館)明新社、2020年


針生一郎『戦後美術盛衰史』東京書籍、1979年 

椹木野衣『日本・現代・美術』新潮社、1998年


奈良県立美術館HP http://www.pref.nara.jp/11842.htm (最終アクセス日:2020年10月3日)

大橋化学工業株式会社HP https://www.ohashi-chem.com/ (最終アクセス日:2020年10月3日)

 

奈良県立美術館「熱い絵画 大橋コレクションに見る戦後日本美術の力」展

会期:2020年4月18日から7月5日まで

 

・執筆者

堀本宗徳

奈良教育大学(略称:奈教)。専門は版画 美学と美術教育を勉強中です。

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