埼玉県立近代美術館:ユーモアで開くコレクション~親しみやすさのかたち(NATSUKO)
- これぽーと

- 2 日前
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埼玉県立近代美術館
2026年6月6日から8月30日まで
NATSUKO
アートライター。noteやwebメディアで展覧会レポートを発信中。津田塾大学学芸学部国際関係学科卒業。のちに美術を学び直し、京都芸術大学通信教育部芸術学科アートライティングコース卒業。この間、ギャラリー勤務などを経て、企画会社で展覧会の企画制作に従事。学芸員資格も取得。展示を作る視点を持っている点が持ち味で、興味の幅は広く、さまざまなジャンルの展覧会に足を運び続けている。

発光している。MOMASコレクションの展示室に入るなり室内を見回した私は、夏の虫のようにその大きな絵に吸い寄せられた。丸山直文の《garden 3》(2003)である。

主題は庭園の風景らしい。季節は春だろうか。茫洋と広がる大地をこちらに背を向けて歩く3人の少女が、点景として極めて小さく描かれている。全体的に絵具は薄く物質感は乏しい。丸山は下地処理をしていないカンヴァス地を湿らせ、アクリル絵具をしみ込ませて描いたという。輪郭線に縁どられた少女たちを除けば、画面上のあらゆるカタチはぼやけ、溶けているように映る。
少女たちのいる空間はピンク、黄、オレンジ、緑、深緑の5色で表されている。ダークな深緑以外は明るく透明感があり、チューブから出したそのままの色のようである。画面の大半を占めるのは、均一に薄く塗られた黄色とその上にふわっとぼかされたピンクのコンビネーション。綿菓子のように淡くはかなげで、今にも消え入りそうだ。その繊細なまだら模様が微妙な揺らぎを生んで、うららかな陽光の中で夢とうつつを行き来して、白昼夢を見ているような心地にいざなわれる。また画面上方には、5色がほとんど重なり合わずにランダムに配されている。このように混色せずに色を並置する描き方は、筆触分割ないしは点描と通じるところがある。本作が光をたたえて見えるのは、その効果といえるだろう。
こうした明度が高く軽やかな色が豊富な画面を引き締めるのは、黒を含む深緑である。樹木らしき縦線に加えて、影、草むらを表現したと思しき深緑の描線が、左から右へ複数走っている。カンヴァスににじむようゆっくり引かれたのだろう、作家の手の動きを留める有機的な描線は、このまま伸び続け、画面を支配してしまうのではないかと想像させる。明るい空間に薄気味悪さ、不穏な気配が漂う本作は、木影が少女に襲いかかりそうな、19世紀末のスイスの画家フェリックス・ヴァロットン《ボール》(1899)を想起させる。

その類似は影がもたらす不穏な空気感に止まらない。丸山の《garden 3》で、上方を横切る描線より下の空間は俯瞰、すなわち垂直の視点で描かれているのに対し、左上に位置する二股の樹木らしき縦線は水平的な視点で捉えられている。《ボール》の少女も見下ろす視点で表されているが、左奥の女性二人は横向きの姿である。二つの異なる視点が混在する点においても両者は共通しているのだ。
《garden 3》は、色が視覚に揺らぎをもたらし、明るい空間とそこに潜む不穏な気配、そして垂直と水平という異なる視点の組み合わせが複合的に鑑賞者を揺さぶる、そんな複雑な魅力を備えている。
また、横に秋岡美帆《ゆれるかげ》(1991)が展示されている点にも注目したい。こちらは樹木の影をピントをずらしながらスローシャッターで撮影し、フィルムをNECO(拡大作画機)で拡大プリントしたもの。麻紙に再現された地表の影模様は、光、風、樹木が織りなす揺らぎ、すなわち「時間」を内包している。近寄ると、それが細かい粒子からなっていることも見て取れる。この作品を隣り合わせることで、メディウムの違いはもとより、影の表現や木々が風にそよぐ感触などを対比させようとしている。
MOMASコレクションは、「セレクション」「小村雪岱と谷崎潤一郎」1「現代のユーモア v2.0」からなる。上述したのは、所蔵品をさまざまな角度から紹介する「セレクション」の展示品である。このコーナーではウジェーヌ・ドラクロワから始まって、クロード・モネ、パブロ・ピカソ、ポール・デルヴォーらが続き、後半は上村次敏など日本の近現代美術が紹介されている。全体に通底する特徴は植物のイメージが登場することで、丸山、秋岡の作品もこの主旨のもとで取り上げられている。
「現代のユーモア v2.0」は、1984年に開催された企画展「現代のユーモア」を参照しつつ、新たな現代作家を加えたもの。「遊び心と親しみやすさのある作品を取り上げることで現代美術への興味や理解を促すと同時に、ユーモアの背後に潜む人間の情感や精神性を拾い上げる」ことを企図した展覧会の「進化版」である。本コーナーでは、デジタル技術の高度化や人工知能の発展とともに、さまざまな面で効率化が目指される現在だからこそ、加速度的に失われていく「人間らしさ」に着目し、人間だけがもつユーモアの力に目を向けようと提案する。

はじめに目に飛び込んできたのは、福田繁雄《ミロのヴィーナス(レプリカ)》《円柱鏡に映ったミロのヴィーナス》と《凸面鏡に映ったミロのヴィーナス》(1984)。一目して、思わず笑いがもれた。インパクトと遊び心のあるヴィーナスたちがアイキャッチとして、展示の動線上真っ先に目に入る位置に置かれたのは、観客を展覧会に引き込むためだろう。本シリーズは歪曲され引き伸ばされた「美の象徴」の鏡像(虚像)を実像化してみせることで、美とは何か、何が美を成り立たせるのかと問い、また美人像の根底に横たわるルッキズムを浮き彫りにしているように思われる。
次の部屋には靉嘔(AY-O)のセリグラフ《Mr.& Mrs. Rainbow noppo V-R》、《Mr.& Mrs. Rainbow debu V-R》(1973)が掛かっている。レインボーカラーの男女のイメージを縦・横に引き伸ばして「noppo」と「debu」にしていて、先のヴィーナスたちとの類似を感じさせる。これらを福田作品のそばに展示して対比させるのも一案だろう。

またヴィーナスの向かいの壁面には、福田美蘭の《黄金の雨に変身したジュピターを迎えるダナエ》(1994)と《湖畔》(1993)が並べられている。福田繁雄と美蘭は親子であり、共にアプロプリエーションの手法を用いた作品である点で関連している。前者は、ロココ時代の画家シャルル=ジョセフ・ナトワールの《ダナエ》2のイメージを流用しているという。ただ、元の作品に比べて全体的に筆が荒い。それにダナエは色黒でがっしりしていて、若さ、華やかさ、優美さはあまり感じられず、印象がずいぶんと違う。
この主題は、最高神ジュピター(ゼウス)が黄金の雨となってダナエに降り注ぎ、身ごもらせるという神話の場面で、ルネサンス期に好まれた。構図のよく似たティツィアーノ・ヴェチェッリオの同主題の絵画3には、雨粒が金貨のごとく描かれたものが存在する。ただしダナエは一様に受け身で、同じ身を横たえたポーズで雨を見つめ、状況を受け止めているかに見える。なお、こうした「横たわる裸婦」はティツィアーノが確立した図像であることはいうまでもない。他方、ナトワールのダナエは身を乗り出し、金貨に変じた雨(金の雨であることに変わりない)を受け取ろうと手を差し出している。降ってきたのが金貨なら、そう反応してもおかしくない。ナトワールは雨をはっきり金貨とわかるように描き、ダナエをジュピターの誘惑に積極的に応じる姿として表した。これもアプロプリエーションの一種といえるだろう。
とすれば福田作品の元になったイメージは、ティツィアーノにさかのぼるのではないか。福田は、ティツィアーノ作品を再解釈した(とみられる)ナトワールのイメージを流用し、長らく若く美しい娘として描かれてきたダナエを、彼女の積極性を誇張するかのように、年を重ねたたくましい女性像へ転換した。そこには歴史画および美術史への批判的まなざしがうかがえる。また意外なことに、金貨はリプトンのイエローラベル(紅茶のティーバック)に置き換えられ、実物が入った小さいアクリルケースまで取り付けられている。はたしてこのダナエは、イエローラベルが変身したジュピターだと察して手を伸ばしたのだろうか。それとも天からのギフトとして享受しようとしたのか。解説によれば、当初は絵の前に踏み台が置かれ、鑑賞者が作品から「黄金のリプトン」を受け取れるしくみになっていたらしい。その仕様を含め、本作はいろんな面で想像をかき立てる。
展示室の一番奥にはトモトシの映像作品が上映されている。《グレイトイベント》(2019)は、「東京オリンピック2020」のTシャツを着た作家本人が棒高跳びのポールを埼玉県から新国立競技場まで運ぶ様子を記録したもの。彼は居合わせた人々に声をかけ、長すぎるポールを一緒に持ってもらい、公共交通機関を使って移動し続ける。途中、駅員に持ち込みを断られてバスを使うなど、ルートを変えてまでポール運びを遂行しようとする。実にナンセンス。だが、おかしみがあって不思議と見続けてしまう。その魅力は、トモトシも巻き込まれた人たちも一生懸命なところにあると思われる。いきなり助けを求められ、訳が分からぬまま協力する人。ポールがつかえるのを見て車内で手を貸す人。滑稽さの奥に優しさ、善良さが浮かび上がる。その一方で、彼が別のTシャツを着ていたら違っていたかもしれないと思えてくる。国家事業のロゴが人々を動かした側面があるのではないか。そういう視点で見直すと、作家は人の無意識に働きかけ操作したとみることができ、怖さすら覚える。鑑賞者の見方次第で心優しい日本人の印象はがらっと変わる。

本コーナーにはその他、森村泰昌、元永定正、タイガー立石などが登場、初回の展示風景の記録写真も掲示されている。
見応えがあった本展のなかでも、とりわけ「現代のユーモア v2.0」は笑いを誘う作品が散見され、夏休みに親子で楽しめるよう考慮されていると感じられた。鑑賞中、小学4年生くらいの女の子二人がランドセルを揺らしながらやってきて、いくつかの作品の前で立ち止まってはひそひそ会話する様を目の当たりにした。大人はもちろん、子どもも親しめる展示になっているという証かもしれない。そんな納得感とともに会場を後にした。
<註>
[1]企画展「密やかな美 小村雪岱のすべて」(2026年7月11日~9月23日)の関連小特集のため、割愛する。
[2]解説キャプションでは作品名を《ダナエ》と記載しているが、「ル・サロンの巨匠たち フランス絵画の精華」(1989年6月~9月、京都国立近代美術館)の出品目録では《金の雨に変身したユピテルを受けとめるダナエ》(制作年不詳)としている。
京都国立近代美術館HP(2026年7月29日閲覧)
[3]ティツィアーノ工房作を含め、ほぼ同一の構図で描かれた作品が複数存在する。そのうち傍らに年老いた侍女がいて、金貨を思わせる雨が降っているバージョンはプラド美術館、ウィーン美術史美術館などが所蔵している。




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