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東京国立近代美術館「長谷川三郎と国立近代美術館」:長谷川三郎の手引、榎倉康二のしみ(宮岡あや野)

  • 執筆者の写真: これぽーと
    これぽーと
  • 1 日前
  • 読了時間: 6分

東京国立近代美術館

2026年5月26日から9月13日まで

宮岡あや野

2000年生まれ。学部時代に哲学科に在籍し西洋美術史を専攻、学芸員資格を取得。卒業論文を出身大学の哲学会誌に寄稿。現在は会社員の傍ら、都内美術館のボランティアや美術批評執筆に取り組み、美術との接点を模索中。

■序-小企画展のなかで

 「新しい絵を見るのに一番大切なものは、生き生きした心です。絵に対する習慣的な考えを捨てることです。大抵の人は新しい絵が分かっているのですが、また、大抵の場合絵に対する習慣的な考えが頭にこびりついていて、分かっているといふ事を是認するのを否定し、邪魔しているのです。」(長谷川三郎『新しい絵を見る手引』[1])


 『新しい絵を見る手引』という題目は、展示室内で目にするにはプレッシャーのかかるものである。既に133もの作品[2]を見終えた最後の部屋の中で示された1948年のテキストは、我々がしてきたこれまでの鑑賞すべてへの反省を促すようだ。

 日本における抽象美術の論客とも評される長谷川三郎(1906-1957年)を作品、批評、展示企画の側面から紹介する東京国立近代美術館の小企画展「生誕120周年 長谷川三郎と国立近代美術館」は、2階の小展示室を超えて美術館全体のコレクションについて鑑賞者が何を見てきたのかという問いへと波及していくものに思われる。他の階へ戻って、長谷川の『手引』を検証してみたい。

 

■小企画展のそとへ、榎倉康二《二つのしみ》

 3階の常設展示室で「作品が汚れている」と我々を焦らせるのは、長谷川より30年ほどあとに生まれた榎倉康二(1942-1995年)の作品《二つのしみ》(1972年)である。両手を広げた幅と同程度の長方形のフェルトの上で、小窓のような位置に綿布が貼り付けられている。そこに大きな油しみが2つ。テント綿布をじわじわと変色させながらも、フェルトの方では輪郭がくっきりとしたままである。

 


 ところが、この2つのしみが同じ形をしていると気づくとき、これが偶然できた本物のしみではないとわかる。しみの形はシルクスクリーンの技法を用いて刷られたもので、どこかで得たしみの形を使って版を作り、それをフェルトと綿布の上に複数回刷ったものだという[3]。そこまでわかって、「よかった、本当の汚れではなかった」と胸を撫でおろす。

 

■広がらないしみ、反復するかたち

 本作は、シルクスクリーンによってしみの形を刷るという技法から、しばしば「版画作品」あるいは「版表現」と説明される[4]。東京国立近代美術館の本作と同じ型で刷られたであろうしみの形は、東京都現代美術館での回顧展(2005年)に出品された個人蔵の作品においても確認できる[5]。

 ここで、《二つのしみ》の制作年である1972年に執筆された榎倉のテキストを参照したい。彼は目まぐるしく変化する国内外の美術動向に対して人々が「消化不良」を起こしていると指摘した上で、こう続ける。

 

「この消化不良は、美術の世界に限らず、近代情報管理社会全体の現状であると思う。つまり、情報という人間の作り出した化け物に、個々の人間の主体性が、追いつくことができなくなってきている状態である。

…この情報の渦は、わたしたちに現実ということの視点を、非常に抽象的な位置にすり替えてゆく。幻想の重なりが、現実味を帯びるほど恐ろしいことはない。」(榎倉康二『みずゑ』[6])


 「近代情報管理社会」において現実という視点が上滑りするという榎倉の警鐘は、1970年代を超えて半世紀以上が経過し、数多のメディアプラットフォームに囲まれる今日にまで響く。我々に現れる現実とは、情報そのものにある以前に、その情報を刷り重ねる印刷機の板、管、紙、そこで軋む音ではなかったか。版画とは、歴史的に見れば(本稿の冒頭に引用した言葉で言うところの「習慣的な考え」においては)、その複製可能な特性によってメディアの役割を担っていた。

 《二つのしみ》を版画だとするならば、同じ形のしみを2つ反復させることで、しみが複製されたものであることを鮮やかに明かす。その種明かしは、作品を「印刷された情報」から脱皮させ、印刷の仕組みや素材、染み出る油自体に注意を向けさせるのである。

 

■写真的写生からの変容、現実のまなざし

 榎倉は「現実とか日常という視点を、抽象的、幻想的な位置に置いてはいけない」[7]と続ける。対して、長谷川は『新しい絵を見る手引』のなかで、「写真も絵もなかった時代には、絵が絵と写真と映画等との役目をみな引受けていました。現代においてはもはやその必要はなくなったわけです」[8]と補足をした上で、写真的写生から離れた絵画が抽象絵画を生むようになったと語る[9]。

 ここでの抽象絵画、つまり「新しい絵」は、榎倉の言う「現実ということの視点を、非常に抽象的な位置にすり替え」たものとして批判されるべき対象と言えるのか。少なくとも長谷川にとっては否であった。長谷川は、黒い線で縁取られた矩形と三原色の色使いで知られるピート・モンドリアンに関する批評において、自身を囲むあらゆる矩形を再認識した経験を綴っている。

 

「我が家の、傷んだ畳や、猫や子供が破った障子や襖でよい。よく、落ち着いて丁寧に眺めてみよう。 …我々を取り囲む多くの矩形は実に、意外な程、美しい安定を保ち、また、深い合理性の多くを含んでいるのである。私が、このようなことに気付き、目ざめ、感謝するようになったのは、主としてモンドリアンのお蔭である。」(長谷川三郎「モンドリアン」『アブストラクト アート』[10])


 長谷川はここで、モンドリアンの絵画を通して現実を観察し、再認識した実体験を語る。「新しい絵」は現実をぼやけさせるものではなく、むしろ輪郭線を伴って新たな解釈を与えるものと捉えているのだ。榎倉がしみの反復によって試みた、現実や日常へ視点を向けるべきとする注意喚起への回答あるいは反応として、まさに長谷川がモンドリアンによって畳や障子の矩形に気づいた現象そのものが重なるのではないか。

 

■結-現実生活での実践

 榎倉が目指す「現実とか日常という視点」を求めて、長谷川が実践したような「新しい絵」による現実の再解釈を試みる。一方で、造形的な類似性を探すことだけでは対象への注視に留まって、必ずしも現実を捉えたことにはなるまい。また榎倉の《二つのしみ》においても、手法の種明かしと引き換えに本物のしみは失われている。

 長谷川の手引や榎倉の作品は、現実を見過ごしてきたこと自体を我々に自覚させつつも、解決策を示すものでも、その環境を整備するものでもない。印刷された書籍や画面を通じて投げかけられた問題提起を受けた我々は、情報による理解以外の方法を探す。解説パネルの確認を少しの間我慢するとどうなるか。日常的な事物を「新しい絵」に投影することで何が見えるのか。我々が実践と確認を繰り返す今日も、シルクスクリーンのしみは乾かず、誰にも拭われることなく、その形を変えていない。

[1] 長谷川三郎『新しい絵を見る手引』1948年より引用

[3] 東京国立近代美術館 解説パネルを参考

[4] シンポジウム「今、榎倉康二を考える」『榎倉康二 没後30周年展』Space 23℃、2025年を参考

[5] 『榎倉康二展』東京都現代美術館、2005年を参考

[6] 榎倉康二『みずゑ』1972年より引用

[7] 榎倉康二『みずゑ』1972年より引用

[8] 長谷川三郎『新しい絵を見る手引』1948年より引用

[9] 長谷川三郎「新しい写真と絵画」1953年、『画・論=長谷川三郎』三彩社、1977年を参考

[10] 長谷川三郎「モンドリアン」『アブストラクト アート』(近代美術思潮講座6)アトリヱ社、1937年より引用

 
 
 

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