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横浜美術館:終戦と地続きの2025年(comeknockdoor)

  • 執筆者の写真: これぽーと
    これぽーと
  • 1 日前
  • 読了時間: 6分

終戦の日が近づくと、ジェーン・スーのエッセーを思い出す。そこでは戦後三十数年だった自身の子供時代を振り返り、今よりもっと「戦後」は身近だったと綴っている。一方で、戦後77年の2022年当時、戦争経験者である父と接して次のようにも感じていた。


「終戦の日」と言うと、戦中に子どもだった父は「敗戦の日」と必ず訂正を入れてきました。いまはのんびりとした暮らしをしている84歳の父は、日本が戦争に負けたことを知らせる玉音放送を聞いたことがある。疎開先の沼津で空襲にもあっている。そう思うと、今日という日は77年前の8月と地続きであると、改めて認識せざるを得ません。(ジェーン・スー「特別な8月、当たり前の日常を続けるために語り継ぐことの重要性を考える」、『AERA』2022年8月)


私はジェーン・スーと同世代だ。そして今ではひがな一日愛犬とのんびり暮らす私の父も戦争経験者。彼は幼いころ、疎開先の広島市郊外で原爆のきのこ雲を目撃したという。しかしみずからその記憶を話すことは、家族にすらほとんどなかった。約40年前、私の周りの大人には他にも戦争経験者が多くいたが、進んで語ろうとする人は圧倒的に少なかった。それが戦後三十数年の現実だったのだろう。


学校での熱心な平和教育や記録映像などで知る戦争の知識、一方で語りたがらない身近な大人たち。幼い私はそのことに畏れと違和感を感じ、戦争と自分が生きている時代が地続きである実感がもてなかった。


大人に近づき、さまざまな視点から戦争を学ぶことが増えると、今度は戦争をどう理解したら良いのか分からなくなった。そしてその混乱は今も続く。私にとって、戦争を客観的に捉えようとすることは今でも難しい。


横浜美術館では2025年夏、戦争と平和をテーマとしたコレクション展「平和であることへの、控えめななにごとかを」が開催された。


同館は戦争作戦画や戦争記録画は所蔵していないため、ロバート・キャパや沢田教一による前線の写真をのぞけば、戦争の時代と何らかの関わりがある作品が展示されていた。本展の時代区分は大まかに第一次大戦から1930年代、第二次大戦、そして戦争を振り返る3つの時期に分けられるだろう。第一次大戦から1930年代までの展示作品には、マックス・エルンスト、マン・レイ、アンドレ・マッソン、サルバドール・ダリ、ジョアン・ミロなど、キュビズムを経てシュルレアリスム運動に参加し、20世紀前半の戦争に翻弄された欧州の画家たちの作品が並ぶ。


彼らと、北脇昇や斎藤義重ら戦前日本の前衛芸術作家との間をつなぐようにして展示されていたのが、福沢一郎の《未完成交響楽》(1930)だ。


福沢 一郎《未完成交響楽》1930年、油彩・カンヴァス、横浜美術館蔵
福沢 一郎《未完成交響楽》1930年、油彩・カンヴァス、横浜美術館蔵

福沢は1924年から7年間、パリに滞在している。滞在後期には、シュルレアリスム運動の中心的人物だったエルンストのコラージュ技法などに影響を受けた。1931年に帰国後は日本におけるシュルレアリスムの草分け的存在として後進に影響を与えた。《未完成交響楽》は福田のパリ時代終盤の作品だ。


縦長で長辺数十センチほどのキャンバスには、彩度の低い色彩で数名の男性が描かれる。椅子が並ぶ教室のような部屋の手前側にはうなだれる男性と、その男性の顔を胸に引き寄せて介抱するような女性がいる。後方には深緑色の壁を前にして手を振り上げて話すスーツ姿の男性、その話に耳を傾ける何人かの背中が見える。前方の2人の顔が明瞭な面で捉えられているのに対し、後方の人物たちの頭部は、一筆書きで描いたような丸い筆跡がある。演説する男性の顔は壁と同じ深緑色で、壁と同化しているようにも、あるいは欠損しているようにも見える。


隣のガラスケースには1931年の『アサヒグラフ』のあるページが開かれており、そこには《未完成交響楽》を写した、数センチほどの白黒写真が掲載されていた。展示されている作品とはずいぶん異なるが、元は同一であったことが分かる。年代から考えると、『アサヒグラフ』に掲載されている方がオリジナルで、展示されている作品は後年に改変されたものだと思われる。オリジナルでは、後方で演説しているように見えた男性の右隣には警官がいて、灯りをつけて男性の方を凝視している。さらに、深緑色の壁に見えた空間には窓が描かれており、外には上下が歪んだような空間が広がっていた。そこには裸体の女性モデルが座り、彼女を左下から見上げる男性、その隣から唐突に飛び出す力強くて大きな腕、そしてその光景を上方から見下ろす別の男性がいた。現在横浜美術館が所蔵する《未完成交響曲》は、何らかの理由でその多くが塗りつぶされたと考えられる。だが会場では、改変の経緯についての説明はない。日本の戦時色が濃くなると、前衛芸術は退廃芸術とされ政府の統制対象となる。福沢は、1941年に治安維持法違反の嫌疑で逮捕されている。本作の改変は強制的に行われたのだろうか、それとも福沢が自ら行ったのだろうか。


同時期、東京国立近代美術館で開催されていたもうひとつの戦争に関する美術展、「記憶をひらく 記憶をつむぐ」でも、福沢の絵画2点が展示されていた。どちらも縦約2メートル、横約2メートル半の大作だ。


満州に取材した《牛》(1936)の舞台は、くすんだピンク色をした、どこまでも続く大地だ。画面手前では、骨太の牛2頭が大地を踏み締める。生命力を感じさせる太い首回りや足とは対照的に、その身体には穴がいくつか空いて背景が透けて見え、鑑賞者を困惑させる。また牛が大地に作る影は黒々として短いのに対して、彼方に見える雲にはピンクやオレンジの生気のない光が反射して夕暮れのようにも見える。牛の右手後方には、何かの動物の死骸が山のように重なっている。本作は、ちぐはぐな要素が相対することで画面が構成されている。


《敗戦群像》(1948)では、うす茶色の大地に10名ほどの半裸の人物が折り重なってできた山が描かれている。どの人物の顔もうかがうことはできない。重なり合う人間が死体を連想させるが、肢体の力強さや背中の筋肉の盛り上がりは〈生〉そのもので、ここでも矛盾する要素が相対している。


戦前、戦中、戦後という大きく異なる時代、異なる舞台で描かれたこれら3作品の画風は一貫している。どの作品にも明瞭な面の組み合わせ、エネルギッシュな筆致、独創的な色彩がみられる。福沢にとって戦前から戦中、戦後までが間違いなく地続きであったことが実感される。


最後に、「平和であることへの、控えめななにごとかを」という本展のタイトルにも想いを巡らせた。このタイトルは戸村浩の言葉からとったものだ。戸村は昭和初期に中国で生まれ、家族の誰をも失うことなく戦争を生き延びた。平和であるために特別目立った行動はできなくとも、アーティストとして自身がやるべきことを行うという自身の意思を表した言葉だという。


同展の終盤に展示されていた戸村の「星・星の数」シリーズは、同じ形、同じ色の小さな星が何十、何百、何千と画面いっぱいに規則正しく並んだスクリーンプリントだ。星は戦争で亡くなった人のシンボルだという。戦争は数多の個人の壮絶な体験の集合体であり、戦争を客観的に捉えることはできない、私はそのことを再確認した。一方で、戦争を生き延びた人たちは戦後、自分の場所に戻り生き続ける。終戦と地続きの人生だ。

会場・会期

横浜美術館

2025年6月28日から11月3日まで

・執筆者プロフィール

comeknockdoor

慶應義塾文学部 美学美術史学専攻、Yale University School of Management卒業。会社員を経て翻訳者となる。学部卒業後アートとは一定の距離を保っていたが、南島氏の講座をきっかけにアートライティングに目覚める。街歩きとストリートスナップ撮影が趣味で、横道を見つけると入らずにはいられない。


 
 
 

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