横浜美術館:マグリットとダリ――「青」の幻想をめぐって(スダ ノリコ)
- これぽーと

- 1 日前
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20代のころ、部屋の壁に大きな鳥のポスターを貼っていたことを、ふと懐かしく思い出す。ルネ・マグリットの《大家族》(1963年)である。二階の小さな壁いっぱいに広がるその鳥の姿は、私にとって特別な存在だった。1994年、新宿の三越美術館で開催されたルネ・マグリット展で衝動的に買い求めたのだろう。1メートルほどの原寸に近い大きさだったのかもしれない。羽ばたく青い鳥の姿が、窮屈な部屋を一瞬にして広大な空へと変えてくれるように感じられた。マグリットは私にとって、ただ好きな画家という以上の存在で、ベルギーまで旅をして、彼の作品に会いにいったほどだ。
一方で、忘れられないもうひとつの記憶がある。7歳のころ、日の当たらない書棚に並ぶ百科事典をめくっていて、偶然目にしたサルバドール・ダリの《茹でた隠元豆のある柔らかい構造(内乱の予感)》 (1936年)だ。わずか数センチの小さな図版だったのに、青い背景に鎮座する奇怪な茶色の造形が、幼い私には恐ろしくてたまらなかった。思わずぱたんとページを閉じてしまい、以来、その百科事典を開けなくなったほどだ。絵を見ることは好きだったが、ダリだけはどうしても受け入れられなかった。恐怖の記憶は長く心に残り、彼の作品には到底近づけなかった。
そんな二人の作品を、横浜美術館で初めて同時に目にしたのは1980年代の終わりだった。お気に入りの画家と、怖い画家。二人が同じ時代を生き、シュルレアリスムの仲間だったとは、当時の私には驚きだった。横浜美術館の展示室で並んで鑑賞できることは、今も不思議な感覚を呼び起こす。以来、訪れるたびに目にするおなじみの二枚だが、今回はあらためてじっくりと向き合ってみた。
1:王様の美術館
まず、《王様の美術館》(1966年)を観る。マグリット最晩年の作品である。黒い背景の中央に、山高帽の男が立っている。だが、その身体の内部には霧に包まれた森や赤い屋根の邸宅が広がり、目と鼻と口だけが残されている。この人が王様なのか、これが美術館なのか――そう問いかけずにはいられない。

男は無表情のままこちらを見返しているが、実体は風景に溶けているかのようだ。背景は黒く塗り込められ、石造りのバルコニーが外界を閉ざすように描かれている。人物の内側に風景が宿るという逆転構造は、シュルレアリスムの「デペイズマン」にほかならない。さらに画面の左下には、マグリット作品にしばしば登場する「鈴」が置かれている。
身体の内部に沈む青い空は、現実の空を思わせながらも、閉ざされた身体に収められることで異質な印象を与えている。人物でありながら風景でもあり、沈黙の鈴でありながら音の気配を漂わせる。現実の森でありながら幻想の空に属する――この二重性が観る者を揺さぶり、現実と幻想の境界を曖昧にしていく。
2:ヘレナ・ルビンシュタインのための装飾壁画 幻想的風景
次に、壁一面に展示されたダリの《ヘレナ・ルビンシュタインのための装飾壁画 幻想的風景》へ移動する。子どものころに覚えた恐怖はもうなく、落ち着いて鑑賞できる。これは化粧品業界の女王ヘレナ・ルビンシュタインの人生を寓話のように描いた三部作のひとつで、副題は「暁」「英雄的正午」「夕べ」となっている。彼女の人生の門出、栄光、そして老境へと向かう時間の流れを象徴している。
人生の最も華やかな「英雄的正午」では、ヘレナ自身と思われる巨人が、遠くに海の見える砂場に立ち、上半身はやわらかな雲となって青い空を覆っている。衣の模様には青い鳥が舞い、これは香水の見本を青い風船につけてニューヨークの空に放ち、百万ドルを稼いだという逸話を重ねている。日常の物語が神話的な象徴へと変換される構図は、シュルレアリスムの異質な結合を鮮やかに示す。人間でありながら雲でもあるヘレナの像は、現実と夢の境界を曖昧にし、観る者を幻想の世界へ誘っていく。
3:二人の画家
お気に入りの画家と、恐怖の画家。二人は同じシュルレアリスムに属しながらも、生き方や性格の違いが作品に色濃く反映されている。
マグリットは故郷ベルギーで、一人の市民として静かな生活を送り、日常に根ざした制作を続けた。普段から規則正しい生活を守り、首都ブリュッセル郊外の住宅地にあるアパルトマンで暮らしていた。のちに成功してブリュッセル中心部へ転居したが、彼の制作は常に日常に根差していた。
一方、スペイン人のダリは自らを奇抜に演出し、華やかな自己表現で世間を魅了した。大きく見開いた黒い眼や造形的な髭を蓄え、自ら写真のモデルにもなった。フィリップ・ハルスマンが撮影した《ダリ・アトミクス》(1948年)や一連の作品群では、観る者を挑発するほどの強烈な存在感を放っている。
とはいえ、同時代を生きたシュルレアリスムの仲間でもあった二人には、共通するモチーフや特徴もある。たとえば「雲」や「石」などだ。とりわけ私が気になるのは、「青」の使い方だ。
4:「青」の夢想
19世紀から20世紀にかけて、「青」は自然を写すための色から、心や思考を象徴する色へと変化していった。最初の転換点となったのがターナーである。たとえば《雨、蒸気、速度》や《テムズ河の夕暮れ》に見られるように、彼は海や空を物体の形ではなく、光の広がりとして描き、「青」を自然らしさよりも、世界が光に満ちる体験を伝えるために用いた。
つぎに登場する象徴主義の画家たちは、「青」を内面の色として扱い始めた。モローの《オルフェウス》や、ルドンの《青い花》に見られるように、孤独、夢、神秘、魂といった、人間の精神に根ざした象徴性が「青」に込められた。
しかし20世紀に入ると、キリコがこの「青」をもう一度冷静な方向に引き戻す。《街の神秘と憂鬱》や《不安を与えるミューズたち》に描かれた青空は、感情を排した観念の背景として広がり、どこか哲学的で、静まり返った時間を抱え込む。
5:「静謐」と「内情」
こうした先に、マグリットの《王様の美術館》とダリの《幻想的風景》が登場する。
マグリットの《王様の美術館》では、男の内部に空と森が描かれ、不思議な空間が現れる。「青」は単なる背景ではなく、空や森が青いと認識するとはどういうことか、カンヴァスに見えているものは本当に現実なのか――そう問いを突きつける思考の装置となっている。マグリットの「青」は冷静で抑制的であり、感情を揺さぶるよりも、考えさせる色として機能している。
ダリの《ヘレナ・ルビンシュタインのための装飾壁画 幻想的風景》では、海や空の「青」が人物や風景を包み込む。ポーランド出身のヘレナは海を渡り、オーストラリアで美容クリームを売り、さらにアメリカで事業を拡大して成功した。背景に描かれる海や空の青さは、彼女の人生の旅路を象徴しているかのようだ。
この「青」には、時間を超える感覚、夢と現実が溶け合う気配、そして女性実業家の力強さや自由が息づいている。ダリはその姿を「青」によって、神話的に語り直している。さらに、この色はダリ自身の幼少期の記憶――スペインの海辺で見た情緒豊かな「青」――とも結びついている可能性がある。
同じ「青」を扱いながら、マグリットは世界の認識を問い直す哲学的な「青」を、ダリは夢や心理の空間へ拡張した心の「青」を描いた。「静謐」と「内情」。19世紀以降、「青」という色は自然の描写を超え、思想と心理を映す重要な象徴へと成熟していったことを、この二枚は示している。
展示室にはセザンヌや奈良美智、ダリの彫刻も並んでいた。ごく個人的な願いだが、ここにポール・デルヴォーの《階段》(1948年)が加わっていたら、さらに響き合うものがあっただろう。
日常の中でふと立ち止まり、シュルレアリストたちがもたらす幻想に身を委ねる。美術館の外を出ると、大きな青空が迎えてくれた。そのむこうには、青い横浜港。別の部屋に展示されていた奈良原一高の《Blue Yokohama》の残像も記憶に重ねてみる。そんな時間を与えてくれるのが横浜美術館であり、私にとって日常をたゆたわせる青い記憶の漣だ。
小さな部屋の壁いっぱいに広がった青、百科事典に潜んでいた青、そして今ここに広がる港の青へとつながっていく。恐怖と憧れ、閉ざされた部屋と開かれた空、過去と現在が、ひとつの「青」の中で重なり合い、私の時間を静かに結び直してくれている。
会場・会期
横浜美術館
2025年6月28日から11月3日まで
・執筆者プロフィール
スダ ノリコ
イラストレーター。神奈川出身。歴史学とファッションを学び、モード・教育の職に就く。16歳の夏、モネ《黄昏、ヴェネツィア》の展覧会レポートを書いて、アートに目覚める。旅先の美術館で、お気に入りの一枚に出逢うことが楽しみ。




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