横浜美術館:シベリアをドンゴロスに託してー宮崎進の作品から(桑田眞理)
- これぽーと

- 1 日前
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「戦後80年、昭和100年」というフレーズを今年はよく耳にした。この夏訪れたいくつかの美術館、図書館でも特集が組まれていた。
時折、展覧会で作品が放つ力に引き寄せられるという経験をする。横浜美術館の特集展示「平和であることへの、控えめななにごとかを」のなかで「忘れないためにー戦地に行った画家」のセクションに展示された宮崎の作品に今回もそんな経験をした。これまで宮崎進の存在を知らなかったので簡単に彼の経歴を紹介する。
宮崎進は1922年(大正11)山口県徳山町御弓丁(現・周南市)に生まれる。1942年(昭和17)召集を受け、日本美術学校を繰り上げ卒業。東満州で終戦を迎え、その後4年に渡るシベリアでの収容所生活を経験。1967年(昭和42)《見世物芸人》で第10回安井賞受賞し具象画家としてその名を知られる。その後渡仏、帰国後は様々な技法、表現を駆使し、作品は徐々に抽象化していく。1990年代に入りドンゴロスと呼ばれる麻布袋を用いたコラージュ作品を多く制作する。
会場には《ヤブロノイ(俘虜の死)》1951年、《狂った捕虜》1951年、《哀歌》1951年、《捕虜》1955年の4点が展示されていた。いずれの作品も宮崎が日本に引き揚げた1949年からそれほど時を待たずして制作されたものだ。1951年に制作された3作品は比較的小さいカンヴァスを支持体として油彩、あるいは黒鉛で描かれている。一方、1955年の《捕虜》は他の3作品のおよそ3倍近い大きさの合板に油彩、麻布、綿布、合成繊維を組み合わせて制作されている。

宮崎は帰国した直後についてこのように語っている。
「さぁ、帰ってきて、どうやって食っていこうか、生きていこうかということになると、その前にそういう負の体験を整理したいと思いますね ―略― 記憶にすがっていろんなものを出来るだけ忠実に、ありのままに写し取ろうとしたんです 」
1951年制作の3作品には捕虜の姿を見て取ることができ、宮崎のシベリアでの体験がモチーフを通して生々しいしく表現されており、宮崎の心情がよく表れているように思う。


続けて宮崎は語る。
「…でも、だんだんそれが自分の中で疑問になってくるんです つまり、写実的にものを写したり記憶を正確に引き出しても、本当のことは伝わらないんじゃないか -略― 芸術とはもっと違うんじゃないかと思うわけです そして自分の内面とか自分を非常に大切に思うようになるわけです
要するに具象から離れたとか、抽象に走ったというんじゃなくて、そうしなきゃ表現できないものがいっぱい出てきたような気がするんです それがああいうかたちであったわけです 僕の中では必然なんですね そうならざるを得ない、それしか表現ができないという感じになってきているわけです 」
1955年、《捕虜》は他の3作品よりも抽象度が高くモチーフが明らかではないが、その表現にドンゴロスを用いていることに注目したい。ドンゴロスとは麻袋で穀物などを入れる袋である。宮崎はシベリア時代にランプの煤、マーキュロ、リバノールを色に、外套の裏の毛で刷毛や筆をつくり、カンヴァス代わりにドンゴロスを用いていた。ドンゴロスからはその素材が醸し出す質感、画面上に創り出される立体としての存在感、そしてその立体の凹凸が生み出す陰影が鑑賞者に迫ってくるのを感じる。宮崎は1990年代に入りドンゴロスを用いたコラージュ作品を多く手掛けている。この作品はそれらの作品群への嚆矢と捉えることができるのではないだろうか。宮崎自身は具象、抽象ということに拘ったことはないと述べているがこの作品はタイトルの捕虜の姿を確認でき、同時に抽象表現の一端も見ることができる。シベリア抑留を経験した宮崎の内なる魂の表現の変遷をひとつの作品のなかに捉えることができる。私がこの作品にひきつけられた理由はこのあたりにあるのではないかと感じた。

このセクションの「忘れないために」は宮崎が2002年に横浜美術館で個展をした際に残した言葉である。
「戦争の恐ろしさや愚かさを敗戦と抑留の中で知った私は、時が経つにつれて何もなかたように忘れてしまうようでは、あれは一体、何だったのか大変むなしい気持ちになった」と。そしてこのようにも述べている。「これまで私は俘虜の頃の記憶など口にすることはなかった 実際に経験することによってしか、本当のことはわからないし、話しても話尽くせるものではないからである」
ここに宮崎の内なる魂の葛藤がある。経験した者でなければわからない現実、しかしその現実が時とともに風化し忘れ去らていくことへの虚無感。そしてその魂の叫びは「描く」ことへと宮崎をつき動かした。死との戦いに敗れ、息絶えシベリアの地に眠る犠牲者たちの鎮魂を宮崎は作品へと昇華していった。
「一人の絵を描く人間としてできるだけのことはしておきたいと思ってきた それは、あのシベリアの大地の土の下に眠る、名もなき多くの死者たちの魂の鎮めでもあるのだ」「沈黙し、通り去るのを待つ人間としてありたくはない この事実を何かのかたちとして留めたいし、発言しなければならない 私は私なりに眼を透かし、その痛みを通して、痛恨の記憶をたどらなければならない」
「私には、はじめにシベリアがあった」と宮崎は述べている。彼にとってシベリアは原点である。そして彼にとってドンゴロスはシベリアである。1990年代、ドンゴロスを用いた作品は鎮魂とともにシベリア抑留によって得た大自然と人間の生きる力を表現している。そこに画家宮崎自身の生きるたくましさ、生命力をも感じた。
会場・会期
横浜美術館
2025年6月28日から11月3日まで
・執筆者プロフィール
桑田眞理
大学で美術史を専攻、長谷川路可を研究。日本美術とキリスト教美術の出会いによって生まれたケミストリーに興味あり。美術館という空間に身を置くことが好き。
最近は建築家に注目、特に吉村順三、白井晟一、榛沢敏郎の建築を訪ねている。




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