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横浜美術館:4つのまなざし(伊藤庸子)

  • 執筆者の写真: これぽーと
    これぽーと
  • 16 時間前
  • 読了時間: 7分

更新日:12 分前

この1枚の写真によって、ベトナム戦争の終結が2年早まったと言われている。

 撮影された1965年9月6日、ビンディン省ロクチュアン村の上空には、F100戦闘爆撃機の轟音が響きわたっていた。地上では激しい銃声と兵士たちの怒鳴り声、逃げ惑う村人たちの悲鳴。そんな極限状態のなかで沢田教一(1936~1970)が撮影した《安全への逃避》(1965年)だ。

 ベトナム戦争終結から50年、日本は終戦80年となる今年、横浜美術館では「戦争と美術」をテーマにしたコレクション展が開催されている。《安全への逃避》はその中の1枚である。

 半切りサイズの白黒の写真には、村から追われ川を渡って逃げようとする2組の親子が映っている。乳飲み子を抱え、胸まで水に浸かりながら必死の形相で対岸を目指す若い母親。もう一組の親子、母親と兄妹の、当時14歳の兄は恐怖と不安が入り混じったまなざしをカメラに向けている。母親は沢田の構えたカメラが武器に見えたのか、鋭いまなざしだ。戦火から逃れるというより、子供の命を守り抜くといった母親たちの強い意思が表れている。まなざしは雄弁だ。ときに言葉以上に多くを語ることがある。

 沢田は妻のサタに、日本の有名な記者がサイゴン(現・ホーチミン市)のエアコンが効いたホテルでアメリカ軍の関係者から話を聞きながら、「前線レポ」を書いている姿を目撃し幻滅したと語っている。1966年にピュリツァー賞を受賞した後も沢田は、「真実は現場にしかない」と最前線で写真を撮り続け、ベトナム戦争の過酷な現状を世界に伝えたのだ。

 この「現状」を伝えた写真は、現在では額装され平和で安全な美術館に作品として展示されている。時代が変わり、見られる場所が変わってもこの写真は、戦争の愚かさや、ひとたび戦争が起これば日常の風景が一瞬で失われてしまうことを伝えている。 

 

 収蔵品の代表作が展示されているハイライトのコーナーに入ると、私のまなざしは、あるまなざしに見つめ返される。奈良美智(1959~)の《春少女》(2012年)だ。227×182cmという大きなカンヴァスに、奈良のあの特徴的な大きな頭の女の子が描かれている。前髪を切りすぎたオデコと下膨れの頬っぺたは、指でツンツンしたくなる可愛さ。しかし表情は、笑うでもなく、怒るでもない。口を真一文字に結び、じっと私にまなざしを向け続けている。その瞳は、虹のようなピンク、オレンジ、緑、ブルーの淡く透明なグラデーションで、いつまでも見つめ続けていたい。そんな鑑賞者の気持ちを見越して、絵の前にはベンチが置かれている。


奈良 美智《春少女》2012年、アクリル絵具・カンヴァス、横浜美術館蔵 © Yoshitomo Nara
奈良 美智《春少女》2012年、アクリル絵具・カンヴァス、横浜美術館蔵 © Yoshitomo Nara

 少女は輪郭線からも、淡いピンク色の背景からも解放され、ただ、春の雰囲気の中に存在しているようだ。純粋さと冷静さが混在する少女のまなざしは、まだ自分の気持ちを伝える言葉を知らない幼子が持つ、神秘性をも感じさせる。そのまなざしによって、私のまなざしが純化されていくようだ。

 4月16日、奈良は、アメリカの雑誌『TIME』の「世界で最も影響力のある100人」に選ばれた。奈良の作品が世界で評価される理由として「私たちが聞くべきメッセージをユーモアと明快さをもって理解できるよう提示している」(1)と述べている。

 なぜ平和ではなく戦争が起きているのか、なぜ自然と調和して生きるのではなく破壊を選んだのか、その理由がわからない子供の目で世界を見ている。奈良の物言わぬ《春少女》のまなざしは、鑑賞者たちの背後に広がる世界も見つめている。

 奈良は2011年の東日本大震災の後、美術の非力さ、無力感から創作意欲が失われてしまった時期があったようだ。《春少女》はそのような時期を経て描かれた作品だ。右の瞳に光る涙のしずくを見つめていると、先日のニュースが思い起こされた。

 2023年に宮城県で発見されていた人骨が、東日本大震災の津波で行方不明になっていた当時6歳の、岩手県の女の子のものだと特定され、14年ぶりに家族の元へ帰るというニュース。この女の子と目の前の《春少女》がオーバーラップする。瞳に光る涙はどんな気持ちの涙なのだろうか。


 《春少女》と対峙するように展示されているのは、ルネ・マグリット(1898~1967)によるシュルレアリスムの絵画《王様の美術館》(1966年)だ。130×89㎝の画面には、真っ黒な闇と石造りの腰壁の前に、青いシルエットで描かれた山高帽子を被った男が立っている。顔には目、鼻、口が描かれているが、身体には東山魁夷(1908~1999)の日本画を思わせる青いグラデーションの森と山、その中にえんじ色の屋根の館があるという静かな風景が描かれている。


ルネ・マグリット《王様の美術館》1966年、油彩・カンヴァス、横浜美術館蔵
ルネ・マグリット《王様の美術館》1966年、油彩・カンヴァス、横浜美術館蔵

 山高帽子にフロックコートの男は1950年以降の作品に多く登場し、マグリットの自画像とも言われているが、私はこの謎めいた彼を「エヌ氏」と呼んでいる。星新一(1926~1997)のショートショート――SF的でありながら少し毒のあるユーモアや、日常に突然おこる不条理な事件の話など――に登場するエヌ氏を連想するからだ。

 この身体に描かれた風景は、エヌ氏の心の中にある大切な場所なのだろうか……。じっと見ていると、彼の身体はくり抜かれていて、背後の風景が見えているようにも感じる。暗闇と森どちらが本当の背景なのか、そもそも本当なんてあるのだろうか……、虚と実の境は……。そんなとりとめのないことを考えていると、カンヴァスという物体は消えこの風景の中に入って行きそうになる。それを引き止めているのはエヌ氏のまなざしだ。とても冷静で鑑賞者の心を見透かしているようだ。《春少女》の無垢な冷静さとは異なり、全てを知っている上で判断を下す、という冷静なまなざしだ。私はいつもそのまなざしに「君は空っぽだ」と言い渡され、風景の中に入ることを拒まれているようだ。

 現実にはありえない状況のこの絵から、何かしらの普遍的なメッセージを読み取ろうとして、エヌ氏の謎の迷路――マグリットのデペイズマンの世界――に迷い込む。誰もが心の中に、エヌ氏のこの静謐な風景を持っていれば争いは起きないのだろうか……、決して失われない故郷、いつでも温かく迎えてくれる家が存在すれば憎しみはなくなるのだろうか……。

 第二次世界大戦中、ナチスはシュルレアリスムを頽廃芸術として糾弾したため、パリのシュルレアリストたちはアメリカへ亡命した。それに対してマグリットは、ドイツ軍に占領された故国ベルギーに留まり、印象派のような明るい色彩や筆致の風景画や女性像を描いている。それは喜びや快楽の追求を提示するものであると同時に、戦争の理不尽さ、ファシズムに対する批判を表現したものであった。


 戦後80年を迎え、戦争を経験した人から話を聞くことが難しくなっていると多くのニュースが伝えていた。そして、震災のことも忘れたわけではないが、当事者ではない自分は日々の新しいニュースのなかで記憶が風化していっているのは事実だ。戦争や震災の当事者ではない自分、芸術家でもない自分に何かできることはあるのだろうか……。

 ささやかだけど、ベトナム戦争終結から50年、日本は終戦80年という年にこのようなコレクション展が催されたということを、作品を通して、今も家族の帰りを待っている人々や故郷に帰れない人々がいることに思いを馳せたことを、歴史の地続きにいる者として、芸術の力によって記憶の継承ができることを、書き記しておくことはできる。

 いくつかの宿題を抱えて美術館を出ると、噴水広場にはいくつもの水の柱が陽に照らされキラキラ光りながら、リズミカルに立ち上がっている。その中を裸足の子供たちが歓声を上げながら走り回っている。母親たちはその様子を優しく穏やかなまなざしで見つめていた。


(1)「2025年最も影響力のある100人」TIME、最終アクセス日:2026年1月19日


・参考文献

●『戦場カメラマン沢田教一の眼』(撮影:沢田教一、編集:斉藤光政、協力:沢田サタ)山川出版社、2015年

●リチャード・カルボコレッシ『マグリット アートライブラリー』(訳:南雄介)西村書店、2010年

●「東日本大震災で行方不明、見つかった遺骨は6歳児と特定、家族の元へ」朝日新聞WEB、最終アクセス日:2025年10月9日

会場・会期

横浜美術館

2025年6月28日から11月3日まで

・執筆者プロフィール

伊藤庸子 

京都芸術大学文化コンテンツ創造学科アートライティングコースで、大人の学び直し中。芸術史や芸術理論の知識を身に付け、客観と主観のバランスがとれた文章が書けるよう学習中。南島さん主宰の「アートライティング講座」受講生。

 
 
 

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