• これぽーと

国立西洋美術館:国立西洋美術館常設展に近代化をみる(定光寧々)

 賑やかなグッズ売り場に背を向けると、ガラス扉の向こうに厳然とした空気を感じる。企画展とは対照に、やや控えめにそこに見えたのは常設展の入り口である。


 1959年に開館した国立西洋美術館は近代建築の巨匠ル・コルビュジエの設計のもと建てられ、2016年には世界文化遺産に登録された。打ちっぱなしのコンクリートからは無機質で静的な印象を受けるが、一方で絶妙に室内に取り入れられる自然光は暖かみや流動性を感じさせ、まるで時間が止まっているかのような不思議な感覚に陥る。


 西洋美術館は松方幸次郎が築いた「松方コレクション」を原点として、約6500点の所蔵作品数を有している。松方の収集目的は、彼の趣味以上に「共楽美術館」の設立にある。海外で買い付けた美術品を日本に持ち帰って人々に楽しんでもらうこと、また若い画家たちに本物の西洋美術をその目でみてもらうことだったのである。西洋美術館は度重なる災難やフランス政府による押収によって、最終的に寄贈返還されたのは370点だったが、これらの収蔵・公開を目的として開館した。その後は追加購入や寄贈によって、フランスに限らない西洋全般の美術作品を有することとなった。松方のコレクションそのものを超えて、彼の理念である「共楽美術館」を、この美術館は受け継ぎ、体現しているようである。

 この記事では、国立西洋美術館で常設展示されている美術作品における近代化の諸相を素描してみたいと思う。


 常設展入り口を抜けると、大きな柱を中心とした吹き抜けの空間が広がる。その周りを囲うように展示されているのがオーギュスト・ロダン彫刻群である。近代彫刻の父ロダンは《考える人》でよく知られている。彫刻に対して「今にも動き出しそうな」といえば、安易に聞こえてしまうだろうが、ロダンの作品はある身体の動作が浮かび上がってくるような想像力を掻き立てる。

オーギュスト・ロダン 《接吻》、1882-87年頃(原型)、ブロンズ、87×51×55cm、国立西洋美術館


ロダンが活動した時期に隆盛し始めた写真の場合には、ある瞬間を切り取ることによって、その永遠を作品に留める。けれど、彼の彫刻に特有のはなめらかな身体表現は、動作の前後の時間さえも含み持っている。写真のように、対象である身体を視覚的に再現するだけでなく、ときに非現実的な誇張された体勢を意図的に採用することで、逆説的に生命感が付与されたロダンの追究する近代彫刻独自のリアリティがそこに立ち上がってくるのである。


 天井の高低差が大きく、開放感と閉塞感を兼ね備える一階には、主に15世紀から19世紀頃の宗教画が展示されている。ふと、高校生の頃は、キリストが経験した「受難」を表象する残虐で暴力的な描写やアトリビュートなどによって構成される宗教画や教訓画は敬遠しがちであったことを思い出す。私はキリスト教について知るにつれて、いったいそこに何が描かれているのか、描かれた当時の時空間を超えてその内容が理解できるようになった。

ヤコポ・デル・セッライオ《奉納祭壇画:聖三位一体、聖母マリア、聖ヨハネと寄進者》、1480-85年頃、テンペラ/板、127×75cm、国立西洋美術館


 これらが描かれた当時の識字率は現在より低く、人々に何か伝えたいことがあると視覚表現が一つの手段となった。アトリビュートによって描かれている人物が誰なのか、この絵画は聖書のどの場面を視覚化したものなのかなどかなり初歩的な部分ではあるが、そういった感性だけでなく考えることによって読み解いてゆくことが面白さにつながる。純粋に視覚に依拠したロダンの彫刻が「近代」を象徴するとすれば、その手前にあるのは、宗教的な知識のデータベースとしての絵画と言えるだろう。


 純粋視覚的な近代芸術と知識伝達の手段としての宗教絵画。こうした近代以前以後の図式を揺り動かすのが、西洋美術館の目玉ともいえる印象派の作品群である。


 西洋美術館には、2019年に松方コレクションが企画展として取り上げられた際、広報ポスター等によく使用されていたクロード・モネの《睡蓮》をはじめとして、《舟遊び》、《黄色いアイリス》などのほかにも、ベルト・モリゾの《黒いドレスの女性(観劇の前)》、オーギュスト・ルノワールの《アルジェリア風のパリの女たち(ハーレム)》といった印象主義の代名詞とも言える有名な作品が数多く並んでいる。


 目を凝らしても近づけない。それが印象派の特徴ではないか。特にモネの作品は鑑賞者の背丈より大きいものが多く、視界いっぱいに広がる風景はまるで彼の二人称的視点が自分に投影されたように共感できる。

クロード・モネ《並木道(サン=シメオン農場の道)》、1864年、油彩/カンヴァス、81.6×46.4、国立西洋美術館


 木々を両脇に画面向こうへ道が伸び、その先には青空が広がっている。葉の形は筆触そのものによって形成されており、画面手前の道や下草は平べったい筆致であるのになぜか立体的である。葉の間から地面に差し込む光は、二度と同じ瞬間はなかったであろう時の移り変わりを想像させる。漏れ出ている日光の揺らめきを、この静止画から受け取ることができるのだ。

クロード・モネ《舟遊び》、1887年、油彩/カンヴァス、145.5×133.5、国立西洋美術館


 小舟を境に画面上下の水面のコントラストが映える作品だ。女性たちの彼女らの乗る小舟が映る水面は、近くで見ると様々な種類の青色だけでなく、緑色や赤色といった個別の色彩を確認できるが、遠くから見るとまるで影そのもののよう。水面の表現は、よりリアルさを追求した絵画よりも、どんな写真よりも本物らしく、人間の知覚は現実に対する忠実さだけで構成されるものではないことがわかる。


近づけば筆触分割でキャンバスに乗せられたさまざまな色が見えるが、少し離れなければ、作品の全体性は把握できない。細分化できないイメージの表れには、記憶の一場面を切り取ったかのような懐かしささえ覚えてしまう。これまでの絵画の制作過程をほとんど無視し、一筋縄では捉えきれない水や光に自分の信念と光学的な要素でより「人間が見る」世界を追い求めた作品に、画家自身に格別な魅力を感じざるをえない。


 より多くの人に「伝える」絵画から、画家自身がその目でとらえた世界を「表す」絵画へ。近代化の過程の中で、絵画の条件は変容してきた。現実をより忠実に描写するという点では、絵画より1800年代前半に登場した写真の方が正確であろう。では、絵画や彫刻といった造形美術には、この時代にどういった意味を持つのであろうか。それを問いなおそうとしたのが印象派であったし、現代においても問い直され続けるべきものであろう。


国立西洋美術館 常設展

・執筆者

定光寧々

2000年生まれ。慶應義塾大学文学部美学美術史学専攻在学中。専門は西洋美術史ながら、最近の関心は身体論やビデオゲーム。グラフィックを中心としてデザイナーとしても活動中。