• これぽーと

埼玉県立近代美術館:何が異型・異界を象るのか(紺野優希)

 埼玉県立近代美術館の常設展は、二つのセクションに分けて、開催されている。入り口すぐにあるのが「セレクション」展、そして、奥のが「異界/異形のコスモロジー」展である。前者は、タイトル通りMOMASコレクションの名品をお披露目するという趣旨で構成されている。一方の後者は、異界と異形のコスモロジーというひとつのテーマに貫かれた企画展として構成されている。会場には実際にテーマが浮き彫りになっている作品が並べられている。紹介文にも超現実主義が言及されており、上村次敏の《無題》(1959年頃)をはじめとした作品には、身体や器官を増殖させたように描かれる。このように、作品は現実味のある風景というより、空想に基づいた奇怪な姿として映し出されている。


 それでは「セレクション」と「異界/異形のコスモロジー」は、テーマのあるなしで別々のものなのだろうか。紹介文を読むと、そうとも言えなくなってくる。「セレクション」の会場は次のような文章で締めくくられているからだ。


 「…このコーナーでは19世紀末から1980年代までの作品を紹介していますが、近代以降形成されてきた社会構造が抜本的に見直されている今日において、モチーフとしての男女の非対称性を改めて考える必要があるかもしれません」


 「モチーフとしての男女の非対称性」とは、埼玉県立近代美術館の所蔵作品における男女のモデルの登場率と言い換えられる。先の文章よりも前では、当館のコレクションに男性をモデルにした作品が少ないと、明確に記されている。つまり、今回の「セレクション」には、本館のコレクションの中でも、男性をモデルにした数少ない作品が紹介されていることになる。また「モチーフとしての男女の非対称性」の方は、表現ならびに表象と結びつけて考えられる。関根将雄の《瓦職》(1970)の労働者や、小倉右一郎の《フランス老人像(石膏原型)》(1920年、図1)の老人は、重量感やシャープな印象を見る者に与えてくれる。対して、同会場で展示されるオーギュスト・ルノワールの《3人の浴女》(1917-19年)は、柔らかいタッチが強調されている。両者を比較して浮かび上がるのは、男性と女性のモデルの表現の違いだけでなく、男性らしさと女性らしさの表象である。

        図1:小倉右一郎《フランス老人像(石膏原型)》1920年


 つづく「異界/異形のコスモロジー」も無縁ではない。二つの常設展を隔てる壁にかかったある作品がその結束点となるだろう。ベルギーシュルレアリスムの画家ポール・デルヴォーの《森》(1948年)である。森を背景に描かれた本作の異様さを際立させているのが、画面右側に描かれた裸婦の姿である。なにゆえに森の中に裸婦が描かれているのか、という疑問は壁の後ろに広がる「セレクション」展の問題意識を透かしてみれば明らかである。男性のモデルは、近代的な男性像として――他方に柔らかな女性らしさを据え置きしながら――異形として表象され、デルヴォーの作品は、異界を生み出す男性的な視線として表れている。つまり、「異形・異界」として改めて捉えなければならないのは、「セレクション」展の男性像の方であるのだ。こうして「セレクション」展で投げかけられた問題意識は、隣の会場によって、打ち返されることとなる。異形の問題は、表象と関わっている。昨今における男性像・女性像の表象の問題は「美術館女子」という事例があったように、社会的にも提起されている。今回の展示では深く踏み込めていないが、コレクション展に限らず、今後美術館が取り組む姿勢として、一層求められるだろう。


埼玉県立近代美術館「2020 MOMASコレクション 第2期」

会期:2020年7月18日から10月18日

・執筆者

紺野優希

体は日本(埼玉)、心は8割方韓国の、芸術学修士専攻。韓国でコンテンポラリー・アートの批評をする傍ら、日本語でも細々と活動を続けている。カオス*ラウンジ五反田アトリエやパープルームギャラリーで展示の企画、美術手帖やアートコレクターズ、STUDIO VOICEなどに寄稿。