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  • 執筆者の写真これぽーと

東京国立近代美術館:ゆらぐ展示室 「不安」から見るMOMATコレクション(中村馨)

中村馨さんは都内の一般大に通うかたわら、現代美術作家を育成する新芸術校にも参加されている方です。でも、本人は作家志望というよりも、作家や作品について考えて、文章を書いたり、展覧会を企画することに関心があるみたいです。今回はそんな中村さんに日本近代美術の王道コレクションを持つ、東京国立近代美術館の常設展をレビューしていただきました。(南島) 

 

 皇居にほど近い、東西線竹橋駅を出てゆるやかな坂を上った先に東京国立近代美術館がある。本館は常設展示のレビューを行っていく企画「これぽーと」にとっては、外すことのできない美術館である。というのも、日本ではじめて「美術館による美術品収集」を執り行ったのが近美だからである。


 本館には重要文化財15点を含む、1900年はじめから今日に至るまでの日本と海外の美術作品が収集されており、その所蔵作品展「MOMATコレクション」は館内の4階から2階、12の部屋をめぐる中で、日本の近現代美術の通史的な流れを海外の関連作品を交えながら追うことのできるものである。


 会場構成は、所蔵品の目玉を紹介する「ハイライト」に始まり、日本の1920年代と1930年代後半におきた古典ブームについてとりあげた「クラシックはあたらしい?」などといった各部屋ごとに設けられるテーマがつづき、メインとされる動線がつくられている。


 MOMATコレクションには、日本近現代美術を語るうえで、外すことのできないマスターピース、つまり王道の作品が並べられている。しかし、それは必ずしも、影のなさを意味しない。むしろ、その不安げな表情のなかに日本の美術の歴史が刻まれているのかもしれない。そう、改めて、一連の展示を見る中で、思うようになった。本稿では、その不安の由来について、いくつかの作品を取り上げながら考察してみたい。


 まず取り上げるのは、原田直次郎の《騎龍観音》である。所蔵品展の冒頭を飾る「ハイライト」の間において、最初の突き当りに配置されているのが本作である。予備知識をもたない状態で、この観音を前にする者は、強烈な違和感に襲われるだろう。これは、なにも制作当時と現在の間にある時間的距離だけに理由があるのではない。当時の人々にとっても、本作は戸惑いの対象であったのだ。


 本作が描かれた明治期、日本は近代国家としての歩みを進めていくため、西洋由来の制度や生活様式を取り入れていった。「絵画」も無縁ではない。西洋の遠近法や陰影描写をそれまでの伝統のなかに取り入れていく試みがはじまり、そのなかでも、ドイツに留学した原田は卓越した描写力を身に付けた画家であった。けれど、そうした西洋由来の描写力と油彩画のダイナミズムを存分に発揮して描かれた《騎龍観音》は、それゆえに竜と観音というモチーフとの間に、強烈な齟齬を引き起こしている。近代化とは何か、西洋化とは何か。つねにそこからずれる場所にある日本の美術の困難が、詰まった一作である。


 この形式と内容の齟齬がもたらす生々しさの印象が、本作の描かれた当時の、そして今日の鑑賞者にとっては不安を呼び起こすのである。今も昔も、人々はその不安をなかったことにすることはできない。それは私たちの慣れ親しむ身体にかかわる問題でもあるからだ。


 「不安な身体」、これは所蔵品展において約12の部屋に割り当てられたテーマのうちの一つである。ここでは、不安の対象は身体に据えられている。展示されているのは太平洋戦争後、激動の社会情勢下における暗く沈んだ人々を描いた作品である。胴体から分離した首、さらに乗せられた魚を描いた中野淳の《食卓》、棺桶を中心に嘆き悲しむ横並びの二人と、そして外側から四角い画面の向こう側へ伸びで行くかのような花を持つ両腕の描かれている。これらからはただ生きている、あるいは死の悲しみに暮れているという、当時の人々のむき出しの悲壮感が、鑑賞者の前に差し出される。


 そして4階から三階、2階へと下っていく中で徐々に照明も明るくなっていき、一連の時代をなぞっていく最後にもっとも照明も明るい、現代作家の展示される空間となる。

 

 秋岡美帆の《ながれ》《よどみ》《そよぎ》は、NECO(New Enlarging Color Operation)という分解されたイメージを大画面に印刷するという技法を用いて、木々のぶれた姿を映した写真を三点並べたものである。この様式が用いられたのは、秋岡自身が、大阪教育大学大学院での修士論文のテーマとして、「見ることの再確認」を設定し、〈周辺視〉という視覚の隅の方のぼやけた状態、それを無意識への領域の窓口として考え、これを取り扱うためであった。この作品を前に、目の前のものが見えているはずでいて、自分の足場のぐらつくような、どこか危うい心地に包まれることになる。

    

 「不安」というキーワードをもとに展示室を進んでいくと、近現代美術史において「不安」とはそれ自体が外部から到来する脅威である一方で、作家自らが鑑賞者へと仕掛けていくものでもあるという二面性を読み解くことができる。つまり、美術は西洋からの技法の輸入、その時代情勢といった未知の不安にさらされることでその表現方法、また表現される内容が揺らぐ。その一方で鑑賞者の五感の輪郭を改めて問うように、それ自体が不安の発生させる装置でもあるのだ。


 昨今の新型コロナウイルスの流行は日々のなにげない、たとえば人の寄り集まることにさえ不安の伴うようにさせた。この時代状況に言及する作品の多く現れる、不安の無限に増幅する現在、日本の近現代美術は折々の「不安」にどのように呼応し、自らの制作に取り込んできたのか、この「MOMATコレクション」は振り返る場となるだろう。


 

・参考文献

三重県立美術館(2002)「出品リスト・会場風景 秋岡美帆展図録」 最終閲覧日2020年9月6日

 

東京国立近代美術館「MOMATコレクション」

会期:2020年6月16日から10月25日まで

 

・執筆者

中村馨

四年制大学社会学部、新芸術校第6期CL課程在学中


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