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  • 執筆者の写真これぽーと

世田谷美術館分館 宮本三郎記念館:時系列は狂わせるためにある(南島興)

彼は西洋に誘惑されたけれど、誘惑された通りには描かなかった。誘惑はされたけれど、人体のデッサンに基づいた具象的なモデルの姿は、例えばマティスの装飾的な画面の論理からは逸脱していた。あるいは、マネが軽快なタッチで描く都会人の姿に似た人物たちは、それとは異質な印象派やヴュイヤールのような明るくも靄がかった筆触を背景としていた。宮本三郎の絵画はマティス、マネ、モネ、ヴュイヤール、またモディリアーニといったそれぞれ個別の西洋の画家からの誘惑からなるものではなく、それらの混合と「具象」に留まる彼自身の態度によってハイブリッドな存在となっているのである。


 微妙な言い方をすれば、宮本はいつまでも女性のモデルの身体に特権的な存在感を与えてきた。与えることで、西洋の誘惑は、宮本にハイブリッドな絵画を描かせたといってみてもいいかもしれない。実際に本展ではデッサンを除けば、宮本の画業が最終的に女性をヴィーナスと見立てる、古代ギリシャ・ローマの神話世界へと回帰したことを示す作例とともに締められている。この一貫した女性への崇拝の態度をどう受け取ればよいのだろう。


 それは造形的には一種の奇妙さを纏うことになる。それは本展のメインビジュアルにも使われている《赤の背景》(1938年)からも明らかに感じとれる。タイトルの通り、アンリ・マティスの作風に倣った作品で、背景の金魚鉢もマティスに特徴的なモティーフである。しかし、決定的に人物の濃密な存在感のせいで、マティスの企みとは正反対のベクトルを有してしまっている。本来であれば、画面はひとまず平面化へと向かわなければならない。あろうことか、宮本は形態という次元に抽象化することもなく、人物描写として豊満な女性の身体をあけすけに、マティスの空間に挿入してしまっている。宮本が女性モデルの「物質的な」魅力を引き立てる人物描写によって、平面化へ向かうベクトルは不徹底に終わるのだ。同じ理由で、《裸婦》(1954年)もやはり奇妙な絵に思える。ただし、それはいわゆるモダニズム史観で言われる、抽象と具象という矛盾の衝突、また不和という形ではなく、あくまでもハイブリッドな様相を保っているところに宮本の技量を見出すことはできるだろう。


 宮本三郎といえば、具象画家だと言われる。宮本自身も具象画家であることにこだわった。その態度自体は、実のところ、セザンヌやキュビスムの画家たちと共有するものであった。彼らも基本的に静物画という場面設定を前提として、常に具体的な対象から始めることにこだわったからだ。それはキュビスムがそうであるように具体的な対象は解体のために必要なものであった点が重要である。対象は、モデルは、解体され、再構築されることで、画面は平面化し、絵画が絵画であることをステイトメントし始めたのだ。例えば、こうした美術史のひとつのストーリーからすれば、宮本は具体的な対象を描きはしたが、対象を解体することはしなかった。というより、解体されることのない対象として女性モデルを描いているのではないだろうか。ここを今の視点からどう評価するべきだろうか。


 本展の構成(前回の構成も同様)では、宮本の画業の時系列にしたがっているため、最後に古典回帰し、ヴィーナスとして女性を崇拝する美しき絵画へと至るという、集大成的な流れが作られている。この構成もあって、観る者はさまざま西洋の誘惑のなかで、西洋絵画の動向を自らのものにしようとしていった宮本が中心的に描く女性ヌードが最終的にはヴィーナスへと結実したことを了解して、今度はそれまでの画業をその古典回帰へと至る一方通行の流れとして捉え始めてしまう。これは今日、宮本の作品を語る際にひとつの障壁になっているとともに、これは整序的な時系列という発想にもともと組み込まれている条件であり限界である。


 私は最後の作家の姿、または既存の作家の姿を前提にして考え始めるのではない仕方で、作家について批評できないだろうかと考えている。宮本の場合であれば、古典回帰に至らなかった宮本はどんな画家であっただろうか。ということだ。現状では最後の古典回帰が来ることで、より宮本の女性という対象への奇妙な「信頼感」が際立って見えてしまうのだ。もちろん、それは時系列上、ひとつの事実であることは確かである。けれど、ありえたかもしれない宮本三郎について思考することで、なぜ現実の宮本はあえて?その道を選んだのかという理由について考えることができるはずだろう。そして、そのために必然的に作家の時系列を狂わせることが必要となる。キュレーションの自由は、おそらくここにある。

 

会場・会期

世田谷美術館分館 宮本三郎記念館「宮本三郎 西洋の誘惑」展

2022年4月1日から9月11日

 

・執筆者プロフィール

南島興

1994年生まれ。東京藝術大学大学院美術研究科修士課程修了(西洋美術史)。これぽーと主宰。美術手帖、アートコレクターズ、文春オンラインなどに寄稿。旅する批評誌「LOCUST」編集部。https://twitter.com/muik99









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