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世田谷美術館:チャレンジングなコレクション展「もうひとつの物語 女性美術家たちの100年」(NATSUKO)

  • 執筆者の写真: これぽーと
    これぽーと
  • 2025年12月29日
  • 読了時間: 9分

壮大なテーマである。「女性美術家たちの100年」を扱うには企画展の方がふさわしく思えるが、「彼女たちの作品と生きざまが、現代を生きる人々へのエールとなること」を主旨とし、所蔵作品を用いて2階展示室のみで開催するという。世田谷区ゆかりの作家を含め、誰の作品をどのような構成で展覧し100年を編むのか関心をもった。


会場を一巡して感じられたのは、本展では「時代ごと」にどんな女性作家が日本に現れたかに主眼が置かれていることである。というのも、展示作品は一作家につきおおむね1〜3点だが、その作品がおかれている時代区分とは異なる制作年のものも多く選ばれているからである。すなわち、これらを通して語られるのは、彼女らを取り巻く時代環境、女性と美術家としての生きざまが交差する物語。その共通点と異なる点が時代によって変化していく様を示したのが本展の特徴といえる。


最初に取り上げられるのは、主に1900年代生まれの作家である。「美術教育のはじまり:洋画の場合」「『女流画家』たちの連帯」「美術教育のはじまり:日本画・染織」「世田谷ゆかりの作家たち」と続き、三岸節子、甲斐仁代ら12名が登場する。そのうち日本画は片岡球子と郷倉和子の2名で、ほとんどが洋画家だった。


彼女らが学んだ明治・大正期の美術教育は、ジェンダーによる制度的格差があったとされる。1876年に設立された日本初の美術教育機関である工部美術学校は、女子部を設けたが6年で廃校、女子修了者は輩出されなかった。1887年に開校した国立の東京美術学校(現・東京藝術大学)は、戦後の1945年まで男子校だった。女性は、1900年に私立女子美術学校(現・女子美術大学)が創立するまで美術を専門とする高等教育を受けられず、現役の画家による私塾などで学んだ。ゆえにある程度富裕な中上流階級でないと、美術を学ぶことも画家になることも困難だったという。洋画の場合は特に厳しかったらしい。日本画が中上流階級女性のたしなみとされ、花嫁修業の一環として容認されたのに対し、洋画は「男の仕事」とみなされていた。そもそも男女問わず美術で生計を立てることは難しく、また当時の女子への美術教育が「良妻賢母」を目指したため、はなから職業画家を目指す気がなかったり、結婚などを機に筆を置く者が少なくなかったという。


このような背景をふまえると、洋画家のほうが日本画家よりも多く出品されていたのは意外であった。それが世田谷美術館の特徴なのかもしれない。


入口横の壁面に、甲斐仁代(1902-1963)の《静物(緑の水さしなど)》(1960)があった。奥行きの浅い画面の中央に、緑色の水さしと黄色い林檎らしき果実が寄り添うように描かれ、周囲には赤みのある実が3個配されている。赤色の背景にはレモンをかたどったとみえる模様が一面に広がり、先のモノたちと混ざり響き合っている。その装飾的で華やかな画風は、アンリ・マティスの《赤い部屋》を想起させる。


左から二つめ=甲斐仁代《静物(緑の水さしなど)》(撮影:上野則弘 写真提供:世田谷美術館)
左から二つめ=甲斐仁代《静物(緑の水さしなど)》(撮影:上野則弘 写真提供:世田谷美術館)

この4コーナーの作品はこうした果実や花などの静物に加え、女性、室内、風景を描いたものだった。近代美術教育では静物、上品な婦人や子どもが女性画家向けのモチーフとされたが、それを如実に反映している。彼女らに先駆けて活躍した印象派の女性画家とも通じるように思われる。例えばベルト・モリゾ、メアリー・カサットは上流階級出身で、家族や友人女性、子どもなどの日常生活を描いた。大局的に見れば、近代の女性画家の置かれた状況と描いた画題は、日本画・洋画、洋の東西を問わず重なり合うようである。


続く「前衛美術と女性たち」では、1950〜60年代に現れた草間彌生、福島秀子、間所(芥川)沙織などが取り上げられる[1]。彼女らは1920〜40年代生まれ。戦前の前衛美術の男性中心主義的な雰囲気は女性の参入を阻んだようだが、戦後、男女平等が法制化されると、女性解放を追い風に女性作家が注目を集めた。しかし長くは続かず、まるで存在しなかったかのようにされたり、集団内の「紅一点」として扱われるようになっていく。再評価は平成の時代を待たねばならず、今なお埋もれた作家も多いという。


展示風景(撮影:上野則弘 写真提供:世田谷美術館)
展示風景(撮影:上野則弘 写真提供:世田谷美術館)

草間彌生(1929-)は1957年に渡米、ニューヨークで活躍した後体調を崩し、73年に帰国した。《ねぐらにかえる魂》(1975)は、帰国後パートナーと父親を相次いで亡くし、精神的危機のさなかに作られたコラージュ作品である。闇夜を思わせる黒い空間に鳥のイメージの断片を網目状に配した「ネット・ペインティング」を展開、中ほどには鳥の群れが夕空を舞う風景がのぞく。グロテスクで不気味な雰囲気はヒッチコック「鳥」を連想させるが、先の風景は「ねぐらにかえる」を示唆するのだろう。そこには草間自身の、あるいは亡くなった近しい人たちの魂の安寧を祈る気持ちが映し出されているように思える。


右はじ=草間彌生《ねぐらにかえる魂》(撮影:上野則弘 写真提供:世田谷美術館)
右はじ=草間彌生《ねぐらにかえる魂》(撮影:上野則弘 写真提供:世田谷美術館)

筆者もそうだが、草間の70年代後半の作品を知る人は少ないのではないか。草間は60年代後半には活動の場を失った。それでも創作を続けたのは自己救済のためだったといわれる。代名詞のネット・ペインティングを新たな造形表現へ変容・拡張させた本作は、本展の主旨を最も体現した「現代を生きる人々へのエールとなる」作品といえるかもしれない。


「前衛の時代」に新たな芸術を模索した者もいた。とりわけ「男は仕事、女は家庭」が当然視された高度経済成長期、性別役割分業意識は女性美術家の活動や生き方にさまざまな影響を与えた。その一端を示すのが「彼女たちの人生と、生活と」「自分ひとりの部屋」だ。また交通網や情報通信技術の発達を背景に、海外留学したり、活動拠点を移す者も現れた。「新たな地にて」では新天地を求めた作家を取り上げる。


50代から油彩を始めた塔本シスコ(1913-2005)は、美術教育を受けていない。「自分ひとりの部屋」に展示された《絵を描く私》(1993)は、ピンクの花々が咲き誇る中に作家本人と南国風の鳥や蝶を描いた作品で、生命賛歌のような明るいエネルギーを放つ。素朴さ、おおらかさはアンリ・ルソーを想起させるが、輝くような色使いは彼女特有だろう。本作は、画家志望の長男が描いた作品の絵具をそぎ落とした上に描かれたという。そんなエピソードも魅力を形作っているようだ。


「新たな地にて」に登場する宮脇愛子(1929-2014)は1959年に渡欧。以後ミラノ、パリ、ニューヨーク、東京を中心に活動した。79年から制作した金属ワイヤーを用いた野外彫刻は代表作である。そのドローイングの一部を版画化したのが出品作《UTSUROHI》シリーズ(1986)だ。ブルーの地に乱舞する白い曲線のしなやかで軽やかな動きは風を感じさせる。


「女流画家」という言葉が示すように、戦前は美術といえば主に絵画を指し、上述のモチーフが選ばれた。だが1980年代以降、さまざまな表現手法が用いられるようになっていく。その多様なあり方の一端を伝える「現代の風景」では、福田美蘭、荒敦子(共に世田谷区在住)など1930〜60年代生まれの作家が紹介されている。


荒敦子(1960-)は出品作《ドレス図》(1986)のように、ミッキーマウスなどのキャラクターをモチーフにして荒い筆触が集積する絵画を描き、1980〜90年代に注目された。既存のイメージの引用と再構成は、当時多岐にわたり使われるようになった手法である。


先鋭的な絵画に対して、伝統的なタペストリーもあった。ウールの植物染織の第一人者・寺村祐子(1937-)の《春駒幻想》(2018)は、赤から茶のグラデーションが美的な横縞の織物に金色に染めた馬の毛束を縫い付け、鱗文様のように仕立てた作品だ。周囲3方と表面を覆う毛束は自然なカールがついて、まるで人間のそれのよう。観た瞬間、度肝を抜かれた。前衛の匂いがして、今回最も忘れがたい印象を残したのが本作だった。


右はじ=寺村祐子《春駒幻想》(撮影:上野則弘 写真提供:世田谷美術館)
右はじ=寺村祐子《春駒幻想》(撮影:上野則弘 写真提供:世田谷美術館)

本展では数少ないが染織も扱われていた。「美術教育のはじまり:日本画・染織」では、人間国宝の志村ふくみ(1924-)の《磐余》(2016)が展示されている。染織は、歴史的に女性が多く携わってきた伝統工芸である。志村は母親から手ほどきを受けたが、多くは職人に弟子入りし、そのあり方は今日も続く。片や1970年代にファイバーアートが全世界的に生まれ、日本でも大学で専門教育を受けた藤岡蕙子、佐久間美智子などを輩出している。染織、ファイバーアートに関する言及は作家紹介に付随してなされたが、その歴史が伝わる解説があったらより深く作品を理解できたと思う。


最後を締めるのは「抽象と現代」で、堂本右美、辰野登恵子など1990年代後半以降の抽象絵画と彫刻が展示されている。


辰野登恵子(1950-2014)は1980年代後半から、豊かな色彩と丸や四角などを組み合わせて、有機的フォルムを追求した。平面性の強い画面に連続する幾何学的形態で実体感をもたらした作品には、独自のバランス感覚がうかがえる。辰野の手法は、印象派の絵画に幾何学的形態を取り込んだポール・セザンヌの探究を想起させた。


展示風景(撮影:上野則弘 写真提供:世田谷美術館)
展示風景(撮影:上野則弘 写真提供:世田谷美術館)

1970年代から美術史をフェミニズム、ジェンダーの視点から見直す動きが起こり、90年代後半以降、日本でも女性作家を特集する展覧会が開かれるようになった[2]。とはいえ、女性作家の作品すべてが女性性と結びつくわけではないことも明らかである。解説に「抽象表現は女性美術家たちにとって社会的に『女性らしさ』と結びつけられがちな題材から解放された表現である、といいかえてもいいかもしれない」とあった。もちろん抽象表現が盛んになっても、具象の伝統は連綿と続いているが、福田美蘭のような具象と抽象を横断する作家も現れ、両者の境界は曖昧になりつつあるかにみえる。表現手法の多様化が加速する中、作品を「女性らしさ」とどれほど結びつけて論じるべきかは、いまや具象か抽象かを超えて、個別に読み解く必要があるかもしれない。

 


[1]草間彌生、福島秀子、間所(芥川)沙織は、現在巡回中の企画展「アンチ・アクション 彼女たち、それぞれの応答と挑戦」(豊田市美術館ほか)でも取り上げられている(「新たな地にて」で紹介された宮脇愛子も登場)。この巡回展は1950~60年代の日本の女性美術家による創作を再評価するもので、本コーナーの内容との共通性がうかがえる。


[2]1997年に開催された「デ・ジェンダリズム 回帰する身体」展(世田谷美術館)は、ジェンダー視点から我々を縛る性差の見直しと、ありのままの身体への回帰などを呼びかけるというもの。フェミニズムを扱った当時の代表的な展覧会である。

 

・参考文献

●『特集 女性たちの美術史』、美術手帖2021年8月号

●「ファイバーアートの15人」、JAPAN TEXTILE NEWS HP

会場・会期

世田谷美術館

2025年7月26日から11月3日まで

・執筆者プロフィール

NATSUKO

アートライター。noteにて展覧会レポートを発信中。津田塾大学学芸学部国際関係学科卒業。のちに美術を学び直し、京都芸術大学通信教育部芸術学科アートライティングコース卒業。この間、ギャラリー勤務などを経て、企画会社で展覧会の企画制作に従事。学芸員資格も取得。展示を作る視点を持っている点が持ち味で、興味の幅は広く、さまざまなジャンルの展覧会に足を運び続けている。


 
 
 

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