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  • 執筆者の写真これぽーと

京都府立陶板名画の庭:光と水と陶板複製画(吉田理紗)

 打ちっ放しのコンクリートの隙間から降りそそぐ光、流れ落ちる水音、風景に溶け込む名画。京都府立陶板名画の庭は、花や緑のある空間ではない。ここにあるのは、コンクリートの建造物、水、8作品の名画を複製した陶板複製画のみだ。作家自身の手で制作した作品ではなく、陶板複製画の鑑賞価値に疑問を持つ方もいるだろう。本レビューでは筆者の鑑賞体験から陶板名画の庭の魅力、そして陶板複製画を鑑賞する意義をお伝えしたい。


 陶板名画の庭は、京都市左京区の閑静な場所にある。1994年、世界で初めて屋外で鑑賞できる絵画庭園としてオープンした京都府の施設だ。特徴的なコンクリートの建築は安藤忠雄の設計で、間口が狭く奥行きがある。来館者は建物の最上部から入り、スロープや階段で下っていきながら全8作品の陶板複製画を鑑賞する。


 陶板複製画とは原画の写真を製版し、陶板に転写したものだ。多くの美術作品は保管時の湿度や温度等を厳格に管理する必要がある一方で、陶板複製画は水や光に強く、変色や腐食することがない。そのため、長期にわたって保存することができる点が最大の特長だ。展示されている8作品のうち《最後の審判》、《最後の晩餐》、《鳥獣人物戯画》、《清明上河図》は、1990年の「国際花と緑の博覧会」出品後に京都府へ寄贈されたもので、《睡蓮・朝》、《ラ・グランド・ジャット島の日曜日の午後》、《糸杉と星の道》、《テラスにて》は、陶板名画の庭のために制作された。展示作品は原画のほぼ原寸大、もしくは2倍の大きさで複製されている。

 チケット売り場を抜けてすぐの場所に、1つ目の作品がある。太陽光の注ぐ水底に沈む、モネの《睡蓮・朝》。本作はモネが晩年を過ごしたフランス・ジヴェルニーの風景を呼び覚ます。現物と異なるのは、その陶板に柔らかな光と水面のゆらぎが加えられていることだ。私たちはおのずとモネが「光の画家」であったことを再認識する。この感覚は本作が陶板複製画であるからこそ、生じるのではないだろうか。私たちが通常、美術館でモネの作品を鑑賞する際、壁面に展示された絵画と正面から対峙することが多い。しかし、陶板名画の庭では作品が水底に沈んでいるため、鑑賞者は自然と上から作品をのぞき込む体勢を取ることになる。以前、筆者は実際のジヴェルニーの庭を訪れたことがあるのだが、そのときに池に浮かぶ睡蓮を眺めた体勢と同じである。水と光が融合した作品を見下ろすことで、ジヴェルニーでの体験が鮮明に蘇ったのだ。


 もちろん、現物は作品保護の観点から温度や湿度が厳格に管理されるため、作品を常時水と光にさらすなど到底考えられない。だが、本作が陶板複製画であること、また屋外の展示だからこそ、作品を水底に沈める展示方法が実現できる。美術館とは異なる鑑賞体験をすることで、陶板複製画は私たちに作品の新たな魅力に気づかせてくれるのだ。次の作品への順路は、建物の下へと降りていく。この建物は構造上、光が当たらない場所もある。光が最も降り注ぐ建物の最上部にこそ、モネの《睡蓮・朝》がふさわしい。

 スロープを下っていくと、壁面に《鳥獣人物戯画》が見える。この陶板複製画は原画の約2倍の大きさで、全4巻のうち甲巻と乙巻を複製したものだ。《鳥獣人物戯画》の現物を鑑賞した経験がない人は、ウサギやカエルのイメージが強いのではないだろうか。ここで展示されている甲巻はウサギやカエル等の動物が人間のような営みをする様子を描いた巻だが、乙巻は甲巻のように動物たちが相撲をとったり飛び跳ねたりするような人間的な描写はない。静かに馬が描かれているだけだ。実際に、《鳥獣人物戯画》全4巻の全場面を見ても、甲巻のようなウサギやカエルが登場しない部分の方が多い。《鳥獣人物戯画》に限らず、絵巻物の作品は書籍等にごく一部分を切り取られて掲載されることがほとんどだ。また、美術館では展示スペースや作品保護の都合上、多くの場合、絵巻物の限られた場面しか展示されない。そのため絵巻物の場面を連続して捉えることは難しく、切り取った一部分のみが印象に残ってしまうことが多い。陶板名画の庭の《鳥獣人物戯画》はどうだろうか。順路に沿って壁面に展示することで、展示スペースの問題が解消される。さらには、作品が描かれた当時の人々が絵巻物を開いて、閉じて、を繰り返して鑑賞したように、連続的に場面を捉える体験ができるのだ。


 この後の順路を進むと《最後の晩餐》、スロープに沿いの壁面に《清明上河図》、展示作品のうち最も大きなミケランジェロ《最後の審判》の壁画がある。さらに、出口近くに《ラ・グランド・ジャット島の日曜日の午後》、《糸杉と星の道》、《テラスにて》が展示されている。

 改めて、陶板複製画を鑑賞する意義は何だろうか。陶板名画の庭では、《睡蓮・朝》を太陽光の注ぐ水底に設置することで、現物が作り出されるときにモネが捉えていた世界の見方を追体験できる。《鳥獣人物戯画》は絵巻物を開いて読むという疑似的な鑑賞体験を可能にすると同時に、原寸大の2倍であることで、現物のもつダイナミズムや世界観を拡張して感じることができる。つまり陶板複製画の価値は、時に現物よりも拡張された作品体験を可能にする点にあるのだ。


 国内外の移動が制限されるコロナ禍において現物の鑑賞は難しく、陶板複製画の鑑賞体験は特に意義深い。光と水に融合した陶板複製画は、私たちに作家の息吹と作品の新たな魅力を伝えてくれる。

 

会場・会期

 

・執筆者

吉田理紗

1997年生まれ。神奈川県出身。現在は京都芸術大学大学院 芸術研究科 修士課程在籍。専門は現代美術(ネオポップ、マイクロポップ)。

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