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  • 執筆者の写真これぽーと

凧の博物館:凧はいつも破局を眺めている(南島興)

 2022年1月某日。ぼくはある砂丘を描き続けた画家が、そのきっかけとなる体験をした場所を訪れていた。画家の名は國領經郎、場所の名は広くは遠州浜に属する中田島砂丘。もとより國領が教師として赴任していた柏崎の砂浜は、彼の孤独感の投影先となっていた。けれど、自身の絵画の重要なモティーフとして描かせたのは、この太平洋に面して照り付ける太陽が眩しい中田島砂丘の風景なのであった。

 ぼくが凧を目にしたのは、その砂丘の帰り道だった。海へとのびていたまっすぐの道を浜松駅の方へと戻りながら、青空を眺めると、小さな朱や白の面が止まったり、動いたりしていた。


 あれは、凧だ。


 地元のおじさんたちが大きな凧を数十メートルも高く、糸を伸ばして、揚げていた。なかには青年の姿もある。久しぶりに凧を見るとなぜか嬉しい気持ちになるのは不思議だけれど、まだ凧揚げという文化が生き残っていたことにも驚いた。しかも、こんなにも盛んな形で。


 凧の美術館はないかとすぐに検索する。東京の日本橋に見つかった。文字通り、「凧の博物館」という名前。洋食の老舗「たいめんけん」の創業者、茂出木心護が趣味が興じて蒐集した世界各地の凧コレクションが元になっているようだ。多趣味な「旦那」として知られていた、茂出木がとくに入れ込んでいたのが神輿と落語、そして凧揚げなのであった。


 茂出木の凧揚げ熱についてにはこんなエピソードが残されている。ある時、茂出木はパリの凱旋門の上から凧揚げをしようと思い立つ。そして、そのまま日本を飛び立ってしまうのだ。当地の記者や見物人が集まる中、いや凱旋門は日本の靖国神社に当たるから、そこで凧揚げに興じるというのは無礼だろう、と急遽、場所を変える。あのエッフェル塔の下に一同は移動する。


 その時に撮られた一枚の写真が残っている。右手にはエッフェル塔が見える。左手には広場にポツポツと空を眺める人の後ろ姿がある。彼らが眺めているのは真っ白な空に浮かぶ3つの凧である。中にはエッフェル塔よりも高く揚がっているものもある。小さな黒い点にも見えるほど、凧は高くパリの空に揚がったようだ。茂出木がのち語るところによれば、パリの男も女も子供も凧揚げを楽しんだ。  この写真が印象深いのは、白黒写真であるためもあってか、真っ白な海を泳ぐ凧の自由な動きを、地上の見物人がただ眺めている、あるいは、凧の方にただ勝手に地上の人間たちが眺められているからだ。その凧の方の自由さと地上のどうしようもなさが、一種の機知としてユーモラスに感じられる。


 1858年10月23日。パリ上空からの眺めでまっさきに思い出されるのは、この日の出来事だろう。ナダールが初めてパリの上空撮影をした日である。ゴダール兄弟の開発した気球に乗り込んだ写真家は、パリ市民に自分たちの住まう都市、パリを真上から俯瞰したイメージを届けた。それは幻視にも近い驚きとショックを与えたに違いない。少なくとも、ナダール自身は影のない美しい都市の姿を余すところなく客観的に捉えることに成功したと自負していた。それゆえに彼自身が目論んでいたように土地計画や軍事への応用も進められたのである。その数十年後、同じパリの上空に凧が揚がる。


 凧からはどのようにパリが見えただろうか。ナダールと凧は、けっして遠くない存在である。今日のドローン機による撮影以前、上空からの撮影を凧が担っていたことも事実としてあるからだ。凧の博物館では、1906年のサンフランシスコ大地震の惨状を映し出した写真が展示されている。これは巨大なパノラマ式写真機を凧にくくりつけて、サンフランシスコ湾の上から撮影された写真である。シャッターは地上から切られた。ナダールは有人気球の飛べる範囲から撮影した。とすれば、凧は無人であるがゆえに、人間にとっては、危機的な状況を撮影することができる。ナダールはパリという都市の現在と計画的に向かうべき未来を、無人の凧はそうした都市の破壊を映し出している。無人であることは、破局を映し出す自由の獲得を意味するのだ。凧は地上とは別の生を生きるかのように空を泳いでいる。

 ぼくは、中田島砂丘で揚がる凧を見てはいない。あの広大で勾配のある砂丘に揚がる凧を。凧から砂丘はどのように見えるだろうか。太陽の熱波はとても強く、糸が焼き焦げてしまうかもしれない。あとから調べて分かったことだけれど、中田島砂丘はJAXAのかぐやに続く月面探査機の試験場でもあったようだ。砂丘や砂漠は地球にありながら、宇宙に浮かぶ別の惑星を私たちに想像させるのだ。そのとき凧は暗い宇宙に浮かぶ、孤独な衛星となる。その目から見える、景色は破壊のビジョンだろう。砂に覆われた惑星、それは繰り返し人類滅亡後の地球の姿として想像されてきたイメージではなかったか。凧はいつも破局を眺めている。


 

会場・会期

 

・執筆者プロフィール

南島興


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