国立西洋美術館:向かい合う絵画(宮岡あや野)
- これぽーと
- 31 分前
- 読了時間: 8分
展示室の絵画群を、壁面に沿うように見進める。多くの展示では、制作地域や時代、作家や表現様式の類似性のある作品同士が横に並び、国立西洋美術館の常設展示室の一角でも、同一画家による2点の小ぶりな作品が隣り合っている。ふと、《ゲッセマネの祈り》と題された作品を前にして後ろを振り返ると、真向かいの壁に同じタイトルの絵画が掛けられていることに気がつく。隣り合わず連続した導線上にはない、真向かいの絵画同士が鑑賞に与える効果について、2対の作品をもとに考えを巡らせる。
1:向かい合う同一主題
隣り合う2点は、どちらも16世紀ドイツ・ルネサンスの画家ルカス・クラーナハ(父)(Lucas Cranach the Elder, 1472-1553)の作品である。1点目の《ゲッセマネの祈り》(1518年頃)では、縦54㎝ほどの画面の中で新約聖書の一場面が示されている。
イエスがそこを出て、いつものようにオリーブ山に行かれると、弟子たちも従った。いつもの場所に来ると、イエスは弟子たちに、「誘惑に陥らないように祈りなさい」と言われた。そして自分は、石を投げて届くほどのところに離れ、ひざまずいてこう祈られた。「父よ、御心なら、この杯をわたしから取りのけてください。しかし、わたしの願いではなく、御心のままに行ってください。」すると、天使が天から現れて、イエスを力づけた。イエスは苦しみもだえ、いよいよ切に祈られた。汗が血の滴るように地面に落ちた。イエスが祈り終わって立ち上がり、弟子たちのところに戻ってご覧になると、彼らは悲しみの果てに眠り込んでいた。イエスは言われた。「なぜ眠っているのか。誘惑に陥らぬよう、起きて祈っていなさい。」
イエスがまだ話しておられると、群衆が現れ、十二人の一人でユダという者が先頭に立って、イエスに接吻をしようと近づいた。[1]
「最後の晩餐」に続く「オリーブ山の祈り」あるいは「ゲッセマネの園[2]」と呼ばれるこのエピソードは、イエスが迫りくる受難の運命を知るイエスがオリーブ山で神に祈りを捧げるもので、祈りの言葉にある「この杯」とは受難の運命を指している。受難を避けたいと願いながらも、神の子としてその運命を受け入れんとする、悲痛な祈りである。その頃、「誘惑に陥らないように祈りなさい」とのイエスの助言も虚しく、3人の弟子は眠っている。しかしイエスの予感どおり、彼の逮捕を狙う群衆を率いた裏切り者ユダが、こちらへいざ向かわんとしているのである。クラーナハの作品には、中央で額に血のような汗を滲ませながら跪き祈るイエス、受難を暗示する十字架と杯を携え彼を眼差す天使、左奥の遠景で群衆を従えるユダ、そしてこの緊迫した状況を露知らず、前景で寝息を立てる弟子たちが均一な光に照らされており、典拠となる聖書の記述を過不足なく示している。

クラーナハが主な拠点としたヴィッテンベルクは、1517年にマルティン・ルターによって開始された本格的な宗教改革の震源地となった。ルターときわめて親しい友人だったこの芸術家は、自身の絵画や版画を以って宗教改革に貢献した[3]。宗教改革の翌年に制作された本作品も聖書の教義を伝達する宗教画としての役割を担い、満遍なく照らされた画面は、今起こっていること、これから起こることを丁寧に我々に説明しているのである。
その真正面にあるのは、ジョルジョ・ヴァザーリ(Giorgio Vasari, 1511-1574)による同主題の作品《ゲッセマネの祈り》である。ドイツを拠点としたクラーナハに対して、イタリアで活動し『芸術家列伝』を書き上げた批評家として知られる彼の作品は、その構図において正面の絵画と呼応するように類似している。一方で、クラーナハの全体的に明るく照らされた画面に比べて明暗表現は激しい。また、クラーナハ作品に対して、縦143.5cm、幅127㎝の大画面である効果も作用して、これらの出来事がまさに目の前で起こっているように錯覚させる。杯を前に掲げる天使と向かい合うイエスは、手を大きく広げ、その表情には受難への恐れよりも「御心のままに行ってください」と祈り、自らの運命を受容する意志が表れる。劇的な場面をよそに眠り込んでしまった3人の弟子は、重なりあった足元からそれぞれの頭部にかけて扇形を描くように広がる脱力ぶりで、寝息どころかいびきまでもが聞こえてくる。
真向かいにあるクラーナハとヴァザーリの絵画は同一主題でありながら、それを前にする私たちは異なる体験をすることになる。クラーナハ作品を通じて、聖書を読むように各登場人物や出来事をなぞっていた鑑賞者が後ろを振り返ると、突然場面が聖書を飛び出し、イエスと天使の共鳴する祈りの声と弟子たちの寝言に満ちたその現場の目撃者となる。向かい合う配置が、鑑賞者が後ろを振り返る動作を生み、鑑賞の体験を切り替える効果をもたらすのである。

2:向かい合う物語の類型
主にイタリアのローマやフィレンツェで活動したヴァザーリ作品の隣には、同じくイタリアだが北部のヴェネツィアを拠点としたティントレット(本名ヤコポ・ロブスティ)(Tintoretto, 1518-1594)による《ダヴィデを装った若い男の肖像》(1555-60年頃)が掛かっている。典拠は旧約聖書「サムエル記」で、イスラエル軍とペリシテ軍の対峙の場面である。ペリシテ陣営からゴリアテという巨漢の戦士が現れ、その恐ろしさにイスラエル陣営は誰も立ち向かうことができなかったが、羊飼いの少年ダヴィデは投石器と杖だけで敵に挑んだ。放たれた石はゴリアテの額に命中し、昏倒したゴリアテの剣を奪い、首をはねて止めを刺したという逸話である。
右手に握る剣と投石器と思われる左手の紐は、描かれた男性がこの勇気ある青年自身であることを示しているが、ビロード生地に白テンの毛皮が付された上着の装いからは羊飼いとは言い難く、本作品はダヴィデに重ねた肖像画と考えられる。中景に配置されることで巨人にしては控えめな大きさで描かれたゴリアテの遺骸と、ゴリアテを失ったペリシテ軍に対してイスラエル軍が優勢になっていることを示す後景との時間の経過を含む構図は、首をはねるという行為の惨忍な印象を減速させ、信仰と忠誠心が報われる運命と、勇気の象徴としての肖像を押し出している。
反対側の壁に掛かるのは《ゲッセマネの祈り》のおよそ12年後、同一画家クラーナハによって描かれた《ホロフェルネスの首を持つユディト》(1530年頃)である。左手に討ち取った敵将の生首を掴む肖像が描かれ、右手には正面のティントレット絵画のダヴィデ同様に剣を持っているが、その切先は天を指し、いつ振り下ろされるかもわからない緊迫感を醸している。大きな帽子の赤と衣服の褐色は血液を連想させる。本作品の主題は、『旧約聖書』外典の「ユディト記」から採用されている。アッシリア王によってベトリア派遣されたホロフェルネスは、降伏させるために町の水源を絶つ。そこでユディトが一計を案じ、酔い潰れたホロフェルネスの寝首を搔いて故郷ベトリアを救うという逸話である。
信仰を守り屈強な敵に逆転する逸話の内容や首を取るという行為はティントレット《ダヴィデを装った若い男の肖像》と共通している。一方で、ティントレット作品が時系列による場面展開を示し、斬首された巨人が遠景に配置されているのに対して、クラーナハ作品では前後の物語を語らず、勝者と敗者だけに焦点が当たっている。鑑賞者に最も近い位置にホロフェルネスの首があり、その目は虚ろながらにこちら側を見つめ、力なく半開きになった口からは最期の言葉が吐き出されるようで、ユディトの取った行為の残虐さや血なまぐささが鑑賞者に迫ってくる。

もう一度ティントレット《ダヴィデを装った若い男の肖像》の方を振り返る。変わらず信仰を守り正義のために戦った人物がこちらに視線を向けているが、我々はそれから目を背けて中景に転がった巨体を見つめる。そこで、ユディトに鷲掴まれたホロフェルネスの首が脳裏をよぎり、誰も近寄って見ることのできないゴリアテの表情を想像することになる。ティントレットとクラーナハの作品の中に、篤い信仰による讃えられるべき勇敢さと、それを守るために取られた惨忍な手段で流れる血を見た鑑賞者は、反対側の壁に掛けられた2作品の狭間でその行為の是非を問われ続けるのである。
絵画は向かい合うことによって、鑑賞者の視界を切り替えさせたり、空間ごと鑑賞者を挟んだりして、隣り合う絵画を連続して眺めるだけでは得られない鑑賞体験をもたらす。あなたが1つの絵の前で立ち止まり、そして振り返ったとき、あなたが先程まで見ていた表面的には変わるはずのない絵画が、全く異なる形で語りかけてくるかもしれない。
[1] 『聖書 新共同訳』「ルカによる福音書22章39~47」、共同聖書実行委員会、1987年
[2] オリーブ山は神殿の裏手にある山で、ユダヤの救世主が降り立つと予言された場所であった。ゲッセマネとは「オリーブ絞り器」のことで、山の麓のオリーブ園は「ゲッセマネの園」と呼ばれていた。西岡文彦『名画でみる聖書の世界〈新約編〉』講談社、2000年、P.157~158を参考
[3] 田辺幹之助、新藤淳、岩谷秋美『ドイツ・ルネサンスの挑戦 デューラーとクラーナハ』東京美術、2016年、P.16を参考
会場
館名:国立西洋美術館
所在地:〒110-0007 東京都台東区上野公園7番7号
開館時間:9:30~17:30
金曜・土曜日 9:30~20:00※入館は閉館の30分前まで
休館日:毎週月曜日(祝休日の場合は開館し、翌平日休館)、年末年始(12月28日〜1月1日)
・執筆者プロフィール
宮岡あや野
2000年生まれ。学部時代に哲学科に在籍し西洋美術史を専攻、学芸員資格を取得。卒業論文を出身大学の哲学会誌に寄稿。現在は会社員の傍ら、都内美術館のボランティアや美術批評執筆に取り組み、美術との接点を模索中。
