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  • 執筆者の写真これぽーと

夢二郷土美術館:竹久夢二の港(大森春歌)

大森春歌さんは筑波大学で芸術支援を学び、ご自身でも子供向けのワークショップを企画されたりして、芸術支援の観点からさまざまな活動をされている方です。大学一年からは全国の美術館めぐりを趣味としているそうで、「地元に縁のある作家を丁寧に紹介している展示を心ゆくまでじっくり鑑賞するのが私にとって最も幸せな時間」と人一倍の美術館愛もっています。今回はそんな大森さんに地元にほどちかい夢二郷土美術館についてレビューしていただきました。(南島)

 

 三角屋根の先に風見鶏がくるくると舞う煉瓦造りのレトロな洋館。1966年に建てられた夢二郷土美術館本館は、岡山県の名勝後楽園の外苑に建つ。館内に入ると、夢二の代表作《黒船屋》から抜け出してきたかのような看板猫の「黒の助」に出迎えられ、夢二作詩の「宵待草」が流れる穏やかで心地の良い空間が広がる。


 本美術館は、《立田姫》《秋のいこい》をはじめ、作品と資料を合わせて約3000点にのぼるコレクションを所蔵し、竹久夢二の作品の所蔵数で日本一を誇る。年4回の展示替えで常時約100点が展示され、6月の「YUMEJI 叙情の線」では、「桜下五美人図」が、約13年ぶりに公開される6点の下絵とともに展示されるなどした。


 竹久夢二は1884年、瀬戸内海を望む牛窓港からほど近い岡山県邑久郡(現・瀬戸内市)に生まれた。大正デカダンスの憂いを纏う「夢二式美人」は当時から現在に至るまで多くの人々を虜にしてきたのは言うまでもない。夢二は明治34年、18歳の時、家出をして上京。26歳で初の著作『夢二画集 春の巻』が大ヒットし「夢二式」という言葉を定着させた。


 その後、「婦人クラブ」や「セノオ楽譜」の表紙などを手がけ、ブランドショップの先駆となる店を開店させるなど、流行の最先端で多岐にわたる功績を残した。画家をはじめ、詩人、俳人、デザイナー、挿絵画家、版画家、作家、翻訳家など何足ものわらじを履き、当時の文化の中心でマルチに活躍した稀有な存在である。師を持たず、画壇にも属さず、当時は傍流とみなされていたにもかかわらず、民衆に絶大な人気を誇り名を馳せた夢二。同時代の人々から評価されて求められ、なお今日も老若男女のファンを持つ、彼のような画家は決して多くないだろう。


 生家に程近い牛窓港は、幼少期より夢二がよく足を運び、作品を残している。また、旅の帰途に立ち寄った兵庫県の室津港を題材にした《入船の図》や《室之津港》という作品もある。大正6年頃に描かれた《室之津懐古》は、船の停泊する港を背景に、頭を抱えるシルクハットをかぶった男性と、その横に座りこちらに憂いを帯びた瞳を向ける着物姿の女性が描かれている。妻たまきの影響もありキリスト教へ強い関心を抱いていた夢二は、度々画中に登場する神父に、自らを重ねていたと言われている。夢二は港に座り、頭を抱えて何を憂いているのだろうか。その様子は、絶望しているようにも、感慨に浸っているようにも見える。


 夢二にとって港は幼少期より慣れ親しんだ場所であり、様々な感情を想起させる非常になじみ深い存在だったのだろう。加えて、夢二がデザインした商品などを販売するため自ら開業した店の名は「港屋絵草店」であり、さらに彼の半生を描いた自伝的小説の題名は「出帆」であった。このことからも彼の港への特別な思いを見て取ることができるのである。

 

 牛窓港から邑久の田園地帯を車で15分ほど走ると夢二の生家に辿り着く。夢二が16歳までの日々を過ごした生家は築約250年の茅葺き屋根の家屋で、現在その横には少年山荘が再建され、ともに夢二郷土美術館分館として公開されている。少年山荘は東京の世田谷に自ら設計し建てたアトリエで、画家が晩年を過ごした終の住処である。三角屋根の上に見えるハート形の瓦が印象的な洋風建築であるが、和室や縁側もあり、《憩い》のモデルにもなったテラスも再現されている。2つの分館の館内には夢二の作品が展示されているほか、当時の写真や使用していた玩具などが企画ごとに公開されている。この分館は、生家のすぐ隣に終の住処を再建した、竹久夢二の人生を凝縮したような場所である。


 少年山荘の名前は、漢詩の『酔眠』から引用し夢二自身が名付けた。「少年の日のように春の長い1日を過ごしたい」という意味が込められているという。この由来を聞くと、夢二が時代の寵児として人生を駆け抜け最後に行き着いたのは、自分が少年の日々を過ごした郷土岡山での日々だったのかもしれないと思う。


 夢二郷土美術館の所蔵品で、夢二が30代前半の大正初期に描かれた《童子》には、生家の裏山にある椿の木を囲み手をつなぐ着物姿の子どもたちが描かれている。これは幼少期に遊んだ自分や妹を描いたとされている。


 こうして上京後も、郷土を思い続けた夢二は、おそらく港を通して故郷への帰港に思いを寄せていたのではないだろうか。この夢二の思いを作品を通して継承するため、夢二郷土美術館は今日も在り続ける。夢二郷土美術館は夢二が時代の渦中へと船を漕ぎ出していった港であり、生涯心を寄せた故郷で夢二を待つ、帰るべき港なのである。

 

・参考文献

「竹久夢二 愛と詩の旅人」(1983年、栗田勇著、山陽新聞社)

「生誕130年竹久夢二展」(2014年、朝日新聞社)

(最終アクセス日:2020年8月12日)

 

・執筆者

大森春歌

岡山県出身。筑波大学芸術専門学群芸術支援コースに在籍し、美術教育や鑑賞支援を学ぶ。つくば市で子ども向けワークショップを行う「つくばあーとどあ 」で代表を務め、似顔絵を使ったアートプロジェクト「えもてなし」、複数大学合同のグループ展「あそびば展」等で活動。全国の県立美術館巡りが趣味。




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