top of page
  • 執筆者の写真これぽーと

山﨑記念中野区立歴史民俗資料館:東京と江戸がつながっていく(おおもりひろこ)

 山﨑記念中野区立歴史民俗資料館で現在開催中の「館蔵品展 中野でめぐる郷土玩具の旅」という郷土玩具に心惹かれて今回はじめて中野区にお邪魔しました。


 私は生まれも育ちも東京ですが、恥ずかしながら東京に詳しいとはいえず、育った文京区の町の中でも本郷周辺で過ごしてばかり。ましてや東京全体で考えますと訪れたことのない場所も多く、中野区もそんな区の一つだったため、今回車やバスを使っての移動中に、初めてみる景色を眺めるのも、楽しい時間となりました。


 さて、当館の常設展示は令和2年4月1日にリニューアルオープンしたとのことで、展示の一つ一つが見やすくきれいに整備されていました。


 約3万年にわたる区内の人々の歴史がまとめられています。

 なかでも今回は、江戸時代の展示内容に着目してみたいと思います。 

 

 最近、とても興味があるものの一つに富士塚があります。江戸時代の人々にとって富士山は、登ることでご利益が得られるという、神霊であり憧れの対象でした。しかし、富士山登拝は当時、だれもができることではなかったため、日本各地(主に関東地方や富士山周辺)にその代わりとなる富士塚というものが人工的に造られたのです。そこをお参りすることで富士山登拝と同じご利益があるとしたため、「初富士」や「山開き」のような行事的要素だったものが、江戸後期には祭となり、皆こぞって近所の「お富士さん(富士塚)」へ行くようになりました。富士詣は瞬く間に人気を得、一大流行となったようです。

 

 富士登山が修行の一つであった頃は、登山をする時には白装束で身を固め、浄土に行く覚悟であり、かつ女人禁制でしたが、富士塚の出現はそうした富士山のイメージを変え、誰もが登れる山として、娯楽要素の強いものになっていきました。

 

 こうした観光の一環としての印象のある富士塚参拝ですが、もともとは富士講というものから始まったものが多いようです。

 講とは各地で行われた人々の集団であり、その会合のことをいいました。平安時代に始まった頃は日本仏教の始まりとする仏典の講読を主旨としていたため、信仰に関係のある講釈を聴いたり、信仰を深めるための苦行を伴うものなどがありました。

 しかしその後、信仰だけが目的ではない、親睦や互助のための講なども出現。講の目的は様々で多面的になっていきます。

 

 私が知り得た情報では中野区に富士塚は現存していないのですが、富士講があったという事実があるのならば、富士塚も昔はきっとあったのではないかと推測します。

 さらに富士講だけでなく大山講、榛名講、三峯講、御嶽講、観音講、成田講、秋葉講、大師講、庚申講、出羽三山講、伊勢講など講名は十指以上にものぼり、それぞれに農業の豊饒、火難よけ、家内安全、中には呪術で病気平癒を願うなど医師としての意味も兼ねていた講人もいたようです。

 

 また、先日東京秋葉原の柳森神田神社というところにある富士塚を調べた時に、5代将軍徳川綱吉が、この神社の由来と深く関係があった事を知り得たのですが、この民俗資料館の展示から、綱吉と中野区との意外な関係が浮上しました。

 綱吉といえば「生類憐みの令」ですが、この条例にちなんだ大規模な犬小屋が中野区にあったというのです。江戸市中の野犬を収容養育するその土地は30万坪。役人居宅を備え、約4万2000頭の犬を収容していたというのには驚きました。法令や罰則の厳しさに加え、当時の犬の飼育料としてかかった年間3万6000両は、江戸市中と関東農村の負担とされたため人々の不満は高まっていきました。


 中野区と徳川家との関係では、8代将軍吉宗とのエピソードにも面白いものがあります。享保13年(1728)に中国の商人鄭大威(ていたいい)が、吉宗へ献上するためベトナムからオスとメスの象を長崎に連れてきました。メスは長崎で死んでしまったようなのですが、オスはその後大阪、京都、東海道という道のりを2ヶ月ほどかけ、とうとう江戸にたどり着くという、ちょっと気の遠くなるような象との旅があったようです。江戸ではしばらく現在の浜離宮恩賜庭園の場所で飼育されておりましたが、象はその後寛保元年(1741)4月に中野に連れてこられ、1年間ほど飼育されていたのだといいます。

 まさか、象だなんて!

 想像もしなかった事実に驚きました。

まだまだ象が珍しかった時代でしたから、行く先々で象関係の書物や玩具、調度品などが盛んにつくられたそうです。象を見た人々はさぞかし驚いたことでしょう。

 

 中野区域は将軍家や幕府政策と深くかかわっていることも多い地域だったのだとしみじみ思いつつ、今いるこの地でこんなことがあったのだという想像をめぐらせながら、現代の東京と江戸という時代がつながっていくような不思議な感覚を覚えるのでした。


 郷土玩具の企画展も大満足な内容でした。かわいらしいだけでなくその土地の風土や暮らしを反映した日本各地の郷土玩具が所狭しと並びます。例えばこけしだけでも東北には11系統あるのだということを知りました。南部系(岩手))、鳴子系(宮城)、遠刈田系(宮城)、作並系(宮城)、弥次郎系(宮城)、土湯系(福島)、津軽系(青森)、木地山系(秋田)、肘折系(山形)、山形系(山形)、蔵王高湯系(山形)。よく見ると微妙に違う特徴があり、手仕事の文化を感じます。



 高知県の捕鯨文化を思わせる鯨船や鯨車、九州の各地でみられる雉車という縁起物、またそれらを描き、玩具画集「うなゐの友」として編集された書籍など魅力的で興味深いものばかりでした。富士塚の縁起物としていただける「麦藁蛇」もあり、話には聞いていましたが、実物を見るのは初めてだったため、見つけた時にはとても嬉しくなりました。




 縁起物といえば、このような玩具には様々な人々の願いがこめられたものも多く、病気への不安や子供の成長をお祝いするためなど、様々な形で表現されています。

思わずクスッと笑ってしまうユーモアあふれるものもたくさんありました。



 柳宗悦らによって名付けられた「民藝」の世界を思い出しながら、張り子やこけし等の表現の多様さにその土地の人々の笑顔がみえるようで、あたたかなぬくもりを感じます。


 中野区という馴染みのない区の歴史にふれられるこの施設を訪れたことで、東京の新たな一面や日本の古くからの文化に触れることが出来、他の区や街の歴史館にも訪れてみたいと感じました。

 

 土や木や藁などの素材から出来ている郷土玩具や、富士山のパワーを常に感じるために身近に富士塚を造った日本人の自然に対する信仰心を想い、「祈り」ということを改めて考えてみたくなるのでした。


*写真はすべて著者撮影

 

会場・会期

山﨑記念中野区立歴史民俗資料館「中野でめぐる郷土玩具の旅

2022年9月1日から10月30日まで

 

・執筆者プロフィール

おおもりひろこ

1969年生まれ。美術専門学校卒業。広告業の経験有。現在は派遣にて都内就業。自然の美しさやクリエイティブの面白さに感動しながらアートの世界をもっともっとたくさん感じて発信していきたいです。本人ツイッター連絡先:kuukai5959@gmail.com












bottom of page