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  • 執筆者の写真これぽーと

東京都現代美術館:MOTコレクション 1930~60年代と現代の共鳴(福井さら)


 エントランスを抜け、まっすぐとランウェイのように続く廊下を突き当たりまで進むと、ガラス張りの大窓の外、水面に浮かんだ白い野外彫刻が見えるだろう。その左手上方に視線をずらせば、オレンジとグリーンの色彩が目を引くヤンマの描かれた絵が見えてくる。


「MOTコレクション いま-かつて 複数のパースペクティブ」これが東京都現代美術館所蔵、MOTコレクション展のタイトルである。


 この記事では美術館の持つコレクションの重要性を、コレクション展示のレビューを通じて広く認識してもらうことを目的としている。とはいえ、2019年のリニューアル以降、3つの企画展と1つのコレクション展を合わせて、常時4つの展覧会を常に同時並行で開催している東京都現代美術館では、どうしても企画展の存在が目立つものだ。現在公開されているコレクションは多くが休館中に新規収蔵した作品だが、一般的な印象としては企画展のついでの域を出ないのが現状だろう。けれど、一つの美術館内で同時に複数の展示が行われている場合、それらが完全に独立しているということは少ない。コレクション展と企画展ではキュレーションも企画の意図も異なるが、それらは相互に関連づけられて企図されている。

 

 美術館に来た我々はコレクション展を見ることで、その館の性質をより深く知ると同時に、常に見ることができるというコレクション展示の特権性と重要性に気づくだろう。そして、作品とキュレーションを通じて提示される「物語」「歴史」あるいはそこに沈む「無意識」の領域に新しい視座を得るかもしれない。そうした可能性を、コレクション展は秘めている。


MOTコレクションと様々な近代

 東京都現代美術館は、3年間の工事休館を経て2019年3月29日にリニューアルオープンした。館は休館中も作品の収集を続け、約400点の作品を新規に収蔵している。既存の収蔵品と合わせると、合計約5400の多様な作品がコレクションを形成し、そのうち1930年代から2010年代までに制作されたものを常時160~200点前後公開している。これが都民の財産だというのだから羨ましいことこの上ない。


 展示室は1階と3階にわかれ、1階展示室の前半には戦争体験を経て人や風景を抽象化させていったオノサトトシノブ、ドイツ表現主義に端を発する舞踏「ノイエタンツ」に影響を受けて踊る人体のスケッチを描いた末松正樹らの1930年代から1960年頃までの作品が展示されている。「自由美術家協会」に属した両名の活動には日本における前衛の変遷をも垣間見ることができる。


 次に、展示はあるコレクターの視点へと移り変わり、戦争画の持つ複数のパースペクティブを明らかにしていく。美術館のコレクション展示に、別のコレクションが展示されているというのはいささか奇妙かもしれないが、寄贈により館の一部となった作品群は、我々の知らない時代、知っている時代を別の角度から見せてくれるものだ。前室では二人の作家による表現の変遷を見たが、この部屋には太平洋戦争を含む十五年戦争の戦争画が多く展示されている。展示室を見回すと、藤田嗣治《海洋爆撃》、福沢一郎《魚雷攻撃》、向井潤吉《影 蘇州上空》(1938)、阿部合成《顔》(1937)、織田一磨《警戒管制の街》(1944)、佐藤照雄《地下道の眠り》(1947-56)など19点が並んでいる。


 1937年に志願従軍し、38年に「大日本陸軍従軍画家協会」が設立されると同時に戦争画を描き始めた向井潤吉も、戦争を経てその表現に転機を迎えた画家の一人だ。《影 蘇州上空》(1938)には日中戦争時の中国上空を飛行する戦闘機と、その巨影に覆われる密集した民家と川が、灰色がかった単調な色彩によって描かれている。延々とした川の流れを遮るように画面右下から伸びる影の歪みは速度を誇張し、影の下を行き交う人々の姿はきたる戦禍の恐怖を感じさせる。しかし、快晴の青空と戦闘機、朽ちかけの建造物が描かれた向井の《好日》(1938)に予見されたかのように、戦後の向井は戦場よりも戦火で失われゆく風景へとモチーフを転換していく。こうした向井の画業に反戦的な思想を汲み取ることも、無邪気にも戦争画を研鑽の場として利用した狡猾さをみることも可能であろう。


 このように戦闘機や兵士の肖像という直接的な戦争表現がある一方で、織田や佐藤の画面には市井に目を向けることにより浮き彫りになる銃後の悲哀が坦々と描かれている。版画家の織田一磨による《警戒管制の街》(1944)はその点が秀逸だ。雪が吹き付けにわかに白く染められた店が通りに並んでいる。雪に覆われぼんやり店を照らす灯りと、その反射で橙に色づいた雪の表現は、一見すれば温かみのある冬の生活風景に見えるだろう。しかし作品の主題はそこではない。戦中、空襲などの敵襲から身を守るため国民に通知されていた防空法には、警戒管制と空襲管制といういわゆる灯火の規制があり、画面左上の角に見える消えた街灯と店内の照明に付けられた黒い覆いはそのためである。だが地上の暗闇を作り出すことが推奨される時代に画面全体が冬の灯りに照らされ、物資の潤った露店が描かれる。その些か不自然な描写には、警戒管制という市井を縛る体制を穏やかに皮肉る所作が感じられる。


 織田の作品が発表された翌年、日本は敗戦国として終戦を迎えた。佐藤照雄による《地下道の眠り》(1947-56)のシリーズはそうした戦後直後を描いている。占領時代から52年以降を舞台とした新海覚雄や第4室の鈴木賢二らの作品と同様に、佐藤の視線は労働者や困窮者へ注がれ、ルポ的でリアリズムの性質を帯びている。戦後10年近く継続された《地下道の眠り》シリーズは、東京都上野周辺の浮浪者を写実的に描いたスケッチであり、戦争孤児や戦災者で溢れたという地下道の有り様を、余白を多く取り頭部を強調する印象的な手法で描き続けた。白に囲まれ明確に浮かび上がった姿は、戦後に孤立してしまった彼らの現状と悲哀を見るものに訴える。また第1室の末松のように画面上で舞踏のリズムを構成し、抽象的であり動的な画面を作り上げていく線描とは対照的に、蹲る浮浪者たちの静けさを画面上に写しとる佐藤の線描は、同時開催であった企画展「ドローイングの可能性」との関連も伺わせる。


 日中戦争と太平洋戦争という主に二つの出来事が多くの作家にとってターニングポイントとなったのは間違いない。向井、織田そして佐藤らによる戦争を描いた仕事からは、戦争を描く上での態度や手法の複数の思惑を窺い知ることができるだろう。ここまでに登場したのは日本近代美術の作品であるが、1階展示室後半の第6室からおわりまでは90年代から2017年までの現代の作品が登場する。ふいに制作年が2010年代に飛ぶわけだが、これまで記述してきた1930年から1960年ごろまでの様相を頭において、先に進もう。


90年から現代、3階へのインストラクション

 第6室へ入ると、床置きのディスプレイと、横に長く続く松江泰治による写真群が目に入る。細部まで緻密にピントが合わせられた集合住宅や橋、線路といった都市の風景は、現代社会の成長という名の変化を如実に示している。特に美術館の立地と関係が深いのが《JP-13》のシリーズであり、《JP-13 02》は木場の過去の姿である貯木場の現在の姿(新木場)を、海面の黒、木材の茶色というコントラストのはっきりとした画面で見せている。目を凝らせば海に浮かぶ木材の重なり、そしてその木材を束ねるロープのようなものまではっきりと見て取れる。我々の眼前に、一つ一つの濃い輪郭によって克明に写し取られた現在ー時間が留め置かれている。そして明らかに松江の写真には東京五輪の影が色濃く落ちていることに気づく。木場や新木場、湾岸エリアは特に2020年に予定されていた五輪の開催を受け、マンション、工場倉庫を余暇施設へ転換するといった再開発の要所である。五輪開催が延期されたいま、祝祭性を持って捉えられていた再開発は、松江の写真の中で五輪の不在として浮かび上がる。

 1階最後の展示室に現れるのはオノ・ヨーコによる「インストラクション・ペインティング」だ。インストラクションとは一般的に指示や命令と訳される英単語だが、オノの言葉で言えば「ひとつの動機」とされる。REMEMBER(思い出しなさい), FORGET(忘れなさい), IMAGINE(想像しなさい), YES(同意しなさい), FLY(飛びなさい), DREAM(夢を見なさい)……これらの動作を示す言葉が白い正方形のパネル上に大文字で示されている。これまでの作品とは違う白と黒、言葉のみというミニマルさによって、ホワイトキューブにいる我々の視線は暴力的なまでに強く言葉に惹きつけられるだろう。我々は何を「思い出し」「忘れ」「想像する」のか。とはいえこの指示に必ずしも従う必要はない。だがこのインストラクションは、3階の第1室に圧倒的なスケールのパノラマとして展開されている岡本信治郎《ころがるさくら・東京大空襲》を眼前にしたとき、たちどころに再現される。


 その明るい色彩から50年代の欧米由来のポップアートと結びつけられ、「日本ポップアートの先駆」と評されることも多い岡本信治郎だが、「金髪娘と岡本信治郎ができてるって思うのは、あなたの勝手だよ。だけど僕にはね、1950年代という黒髪の初恋の人がいるんです」という本人の言葉からわかるようにそれは誤りである。彼の画業はしばしばジョルジュ・スーラの影響や、1950年代に指摘された「密室の絵画」との逆説的な関係によって語られる。岡本の言う「明るい虚無」がこの混じり気のない明瞭な色彩なのだろう。東京大空襲をモチーフとして神話や天皇、数々の戦場と時局を示す言葉が、埋め尽くさんとばかりに《ころがるさくら・東京大空襲》を覆っている。大作も大作、パノラマの横幅が10mはあるだろうか。また、祭壇画のように開かれたパノラマ中央の床面には無数の航空機と炎、あるいは血の涙のようにも見える三角形のちりばめられた絵画が置かれている。さらにその面上には、軍の階級が記された小さな札と「沖縄全滅」「念仏まんだら」「進め一億火の玉だ!」等の戦禍を示す言葉によって隙間なく覆われた球体が乗り上げている。「ころがる」と言う不安定なイメージと結びついた球体が、実際の戦局とは裏腹に邁進していく状況を示すかのようだ。こうした画面を覆う数多くの言葉には岡本の「読む絵画」の側面が見て取れる。「念仏まんだら」は、焼け出され橋の上にいた人々の死を覚悟し唱え始めた念仏が、いつの間にか大合唱となったという空襲当時の主婦の証言を伝聞し描き加えられた。さらに暖色で描かれた壁のパノラマに対し、寒色で統一された絵画作品が5点床に置かれている。ここでは「南京大虐殺」や「イラク戦争」など世界の時局に目を向けつつ、大空襲のパノラマとの対応関係が提示されている。紙幣に覆われた球体のすぐそばに書かれた「NEO-YAMATA NO OROCHI」と「BAGHDAD ATTACK 2003」の文字は、前述のパノラマにおける東京大空襲と同様にアメリカ空軍機の翼に乗っている。アメリカ政治に大きく起因するイラク戦争(バグダッドへの空襲)と東京大空襲が、1945年と2003年と言う時間を超え日本神話の脅威になぞらえてあるのだ。他にも9.11のテロに着想を得た《BIRDMAN》のシリーズも展示室で見ることが可能だろう。岡本の作品に溢れる戦闘機や爆弾、戦争、街これらのモチーフは、自然と1階展示室の作品群を思い出させる。しかし、爆撃の恐怖や戦闘機の威力を誇張するでもなく、リアリズムの手つきで戦禍の悲惨さを描くのでもない。岡本は70代でこの作品を描きあげるまでの長い過去の中で戦争の検証を行い、かつ制作当時2006年周辺の社会状況を同一の作品内に収めることで未来への視点を残した。混色のない鮮やかな色彩で描かれたこのパノラマは、現代に描かれた戦争画の一つの到達点と言えるかもしれない。


 こうしてみると今期のMOTコレクションは、戦争や大きな社会変動を経験した表現の多様さと、そうした過去を想起する緩やかなインストラクションで構成されていたのかもしれない。戦後75年が過ぎ、日本でも戦争を原体験として有する人口は年々減少している。逆に多様な情報へアクセスすることが容易になって以来、日々様々な出来事が目に入るようになった我々は、その全てを覚えておくことはできない。オノ・ヨーコのインストラクション・ペインティングにあるように、忘れることと思い出すこと、その繰り返しの中で我々は出来事を検証していける。美術館に所蔵されている作品群は、それを可能にしてくれるのだ。


・おわりに

 ここまで、戦争をモチーフあるいは動機とした作例をいくつか紹介したが、戦争画は近代という横軸の同時代において多様な表情を見せた。だがそれだけでなく、現代に制作された現代美術作品として過去の戦争へ遡及し同時に未来をも照射するような、縦軸のパースペクティブを見せる戦争画の実践がある。その顕著な存在である岡本の作品によって、我々は永遠に終わることのない戦後を思い出し、忘れず、常に開かれた戦争画のパースペクティブにアクセスすることができるだろう。


 今回はMOTコレクション展の一部の作品を紹介し、いくつか鑑賞の可能性を示したが、この他にも魅力的な作品が多く存在する。豊嶋康子の木枠やパネルを使ったシリーズを、パレルゴンや額縁からの脱却という視点で見ることもできるだろうし、宮島達男の作品修復の是非について、あるいは今回全く触れなかった屋外作品からコレクションを見る視点があっても良い。常設展の門戸は、文字通り常に開かれているのだから。


 

東京都現代美術館「MOTコレクション いまーかつて 複数のパースペクティブ」

会期:2020年6月2日から9月27日まで

 

・執筆者

福井さら

94年札幌市生まれ。学部から修士まで沖縄と北海道で芸術学を専攻し、研究対象は彫刻やインスタレーションを含む現代美術、国内外の芸術祭、ミュンスター彫刻プロジェクトなど。そのほかドキュメンタリー映画やIKEAを好んでいる。時折芸術関連のレビューを執筆しており、1年間の都内美術館インターンを経て現在は札幌雪まつりの原稿を執筆中。



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