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第3回 : レビューの使い方会議 (南島興)

これぽーとを主宰している南島です。


突然ですが、前から少し疑問だったことがあります。毎月のように展覧会が開かれて、それに対するレビューがさまざまなメディアで公開されている。けれど、展覧会が終わったあとのレビューや、一度読まれた後のレビューはどこへと行ってしまうのか。書籍であれば、何度も読み直されることや本棚にしまっておいて、その時々で読み返されるということがありますが、展覧会のレビューで、それもネット公開のものは、なかなかそうはなりにくいと思います。どうしても一回の使い切り感が否めません。


これはもったいないことだなと前から思っていました。本来、レビューは展覧会が終わったあとやその展覧会の存在すらも忘れられたあとにこそ、それがどんな展覧会であったのかを記録した資料として重要な意味を帯びてくるはずだからです。


こういった問題意識からこれぽーとでは断続的に、南島がこれまで公開されたレビューを僕なりに紹介していくことにしました。題して「レビューの使い方会議(仮)」。試しにではありますが、この場でレビューの「使い方」をいろいろ見つけ出していきます。レビューを書いていただいたみなさんのためにも、読んでいただける方々のためにも、主宰者である自分には、それを発見していく責務があると思っています。


第3回目となる今回は、2020年8月末に公開された府中市美術館と東京都現代美術館のレビュー記事をご紹介いたします。


 

私たちが普段、過ごしている生活のリズムや言葉の使い方とは、異なるリズムと言葉が使われている場所。そうイメージされがちですし、実際そのように多くの展覧会は作られていると思います。コレクションを半永久的に守りぬくためのシェルターとして、この社会のなかにあり続けてきた美術館は、どうしても外側の生活とは切り離された特殊な空間として機能してしまいます。けれども、コロナ禍という人類にとっての共通危機は、美術館のうちとそとの風通しをよくした側面があるのかもしれません。というより、正確には美術館の外に広がる生活の悩みがそのまま美術館の内側に広がる展覧会とそれが成り立つ条件が、否が応でも、引きつけられて考えられるようになったのです。岡田蘭子さんの府中市美術館のレビューは、まさにその一例に挙げられます。2020年6月当時いまだ不確定であった新型ウィルスによる症状や社会的パニックに不安を感じながらも、ある作品を見て、コロナ前の密な人との交わりに懐かしさを覚えるなど、この数ヶ月の間に様変わりしてしまった、自分の日常と作品の見方が記録されています。特に本レビューでは、かつての記憶とそれを思い出すことをめぐって、「風景画」の重要性が語られています。私たちが忘れがちなのは、象徴的な出来事ではありません。そうした出来事に隠れた、日常的な些細な営みの方なのです。映画「この世界の片隅に」が描いたのは、まさにそのような情景でした。岡田さんが、コロナ禍の風景画に見出した可能性も「なにげない日常」を思い出させる力でした。大雑把に言ってしまえば、国家や社会が要請する、歴史画ではなく、風景画こそ、いま(2020年)に考え直されるべき表現形式だったのかもしれません。


とはいえ、「この世界の片隅に」への絶賛の影に、小さな個人の物語の賛美による国家的事業への批判的眼差しが弱々しく後退していく姿勢に対しても、私たちは批判的でなければいけないとも思います。そもそも、風景画自体も国家的、民族的イメージ喚起の格好のメディアになりうることは容易に想像がつきますし、そして、個人の細やかな日常の風景の賛美によって捨象されてしまう、本来考えられるべき大きな出来事があることも、私たちはよく知っているはずです。戦争はその最たる例でしょう。


福井さらさんが、東京都現代美術館コレクション展のレビューにて着目されたのは、ある風景画でした。というと、表現としては、誤りとなるかもしれません。岡本信治郎の描いたパノラマの大作《ころがるさくら・東京大空襲》や9.11後のテロ社会を描いた《BIRDMAN》シリーズなどは、さまざまな形で戦争を扱った「戦争画」と呼ぶべきものだからです。しかし、私自身も岡本の一連の作品群は実見しましたが、彼が採用しているパノラマという形式、文字とイメージの並列、抽象模様と具象表現の絡み合いは、風景画のもつ豊かさによって支えられているのではないでしょうか。岡本の戦争画は、それを受け入れる器として、風景画のボキャブラリーを必要としている。そう思うと、岡田さんの着目されたコロナ禍における日常の風景とはまったく異なりますが、戦争という非日常をあとの時代から描く岡本の戦争画もまた、今日みるべき形式としての風景画と考えることができます。


コロナ禍で、作品の見え方は大きく変わりました。それも長く続くのかは分かりません。少なくとも、2020年の8月のある時点で、2人の鑑賞者が、2つの風景画の形を発見したことは、忘れずにいたいと思います。ぜひ、お読みください。

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