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  • 執筆者の写真これぽーと

長野県立美術館:桜、イン、マイマイン(橋場佑太郎)

 日本一県内に美術館がある県として知られる長野県。

 昨年、4月にリニューアルオープンした長野県立美術館は善光寺を抜けた先、城山公園内にある。1966年、財団法人信濃美術館として発足し、3年後、県に移管されてから長野県信濃美術館と銘打つ。(*1)元々は信濃美術館であり、「長野県」という地名は後からやってきたのである。地元の人によれば、「信濃」と言わなければ、東の方角をさせてしまうという。

 隣には小学校も隣接し、コミュニティ形成を考えさせられるロケーションに位置する美術館の常設展示は、リニューアルするまで、存在していなかった。それまでは、日本画家、東山魁夷の常設展示が中心となっていたため、人々がコレクションに触れるきっかけを作ってくれた場でもある。善光寺の近くという事もあり、ご開帳、でもある。


 第一期、「MAMコレクション展」は主に、2つの特集展示と7つのセクションによって構成されている。展示を担当した学芸員、池田淳史は「特集展示:異国の風景」において、できる限り外国の風景を描いた作品を展示する様に勤めたと話している。つまり、信州の風景を描いた作品は多くのコレクションがあるという。そして、展示作品には桜や春を意識した作品も展示されている。コロナで喧騒の中のお花見を見逃した人にとって、絵画を通して桜を意識する体験も貴重な機会となるのではないのか。


 2つの部屋に別れた常設展示室において、初めの展示室では風景画と2点の彫刻、荻原禄山《女》(1910年)、北村四海《凡てを委ねる》(1919年)を展示している。北村の彫刻作品は自重により、台座の下に床のフローリングを模した台座が更に備え付けられている。台座の下の台座が気になった。


 それでは、彫刻の周りに陳列された絵画作品に目を向けてみる。藤島武二の《春(杏花咲く村)》(1935年)では、1930年代に藤島が全国各地を巡り、同じ風景を同一の構図、時間帯で描いた1点となっている。これはもう、全国各地を行脚する視点で描いたのだろうか。この行脚はまだ続く。足立源一郎の《春の穂高(徳本峠にて)》(1973年)も足立が50年代から60年代にかけて日本各地で山岳取材を行う中で描いた1点だ。足立は山の素顔を研究したいという意識にかられたという。私たちはこの素顔を求めて歩き回る当時の風景画家の絵画が、今まで美術館に眠っていたと気付かされる。

コレクション展示室1 展示風景


 一方、向かい側の壁には人物画がいくつかと「特集展示:異国の風景」コーナーがある。ここで、中村不折《西洋夫人像》(1904年)の絵画が林倭衛《或る詩人の肖像(辻潤氏像)》にも描かれているのではないのかという思惑が働いてしまう。林が描いた人物、辻潤は大正期のダダイストであり、背景が鮮烈な赤色に染められている。描かれた辻は、本のページを広げ、大人しげな表情でまったり椅子に座っており、壁紙の色合いは真っ赤に染められている。これはダダイストであった辻の存在、内面の表出が込められたであろう壁紙の色ではないのかと思わせる。そして、落ち着いた表情との乖離がある。背景に飾られていた夫人像は誰なのだろうか。キャプションによれば、中村の西洋夫人像は元々、裸婦像として描かれ、それに服を後から着せたという。確かに、身体の輪郭がはっきりと描かれており、その上に色を重ねた筆致が残っている。

 「特集展示:異国の風景」では、ダダイストを描いた林がフランス、プロヴァンスの風景を描いている。ここはフランスのポスト印象派の画家、ポール・セザンヌの故郷であり、林が描いたこの風景の筆致はセザンヌの構成を思わせる。みてすぐに「サント・ヴィクトワール山」という言葉が脳裏をよぎり、林の作品であることを忘れさせられてしまった。上田出身の林は、辻潤や大杉栄といった人々を描き、二科展に出展するも思想上の問題によって警視庁から撤去命令を受ける。それから、渡仏後、再び大杉栄と出会い、栄が警察に摘発されるまでの3ヶ月間一緒に過ごすことをしたという。(*2)その間に描かれた作品と考えると少し見方が変わってきてしまう。何故、セザンヌのアトリエを借りて山を描いたのだろうかとふと、考えてしまった。

 そこで、浅井忠の作品が同列に並んでいるのは、渡仏後に作風が変化しているのを示唆している。《グレー風景》(1901年)は浅井が2年の留学の間に4度も滞在したフランスの田舎町グレーの風景が描かれている。洗濯物が干され、木と木の間に緑の多層性を感じ取ることができる。反射する光の加減により、白い洗濯物がピンクやグレーに変色している所が印象派の色彩感覚との近さを思わせぶりに見せている。キャプションによれば、実際、グレーに林は何人もの日本の画家を引き連れて滞在させたという。茶褐色の色合いを用いた自然主義的な作品から、フランス滞在を経て一変したという。

コレクション展示室2 展示風景


 さて、次の部屋に向かおう。壁の色が暗くなり、床もカーペット、工芸品や日本画が陳列されたガラスケースは隣の部屋に展示された彫刻の重さを引き連れて来たみたいな錯覚と、奥に展示された写真家、高木こずえによる炎を捉えた大判の写真、《split》(2009年)の手前に長野県無形文化財、宮入法廣による《太刀》(2012)が展示されており、インスタレーションなのだろうか、大河ドラマのオープニングなのだろうか、クリスチャン・ボルタンスキーを研究していた担当学芸員の粋な計らいなのだろうかと考えてしまう。

 そんなドラマチックな仕立てのある空間構成の中で、比較的前の展示室に近い所で展示されていたのは、小布施出身の日本画家、中島千波による《欲望》(1970年)。一見すると大友克洋の映画「AKIRA」で鉄雄が座っていた椅子が石で作られた重厚な椅子であった様に、この椅子からも権力者が座っていた佇まいを感じさせる。中島が描く椅子は王室の椅子の様な佇まいであり、静かな空気を感じ取れる。けれども、安保闘争の時代に描かれたこの作品は、権力者が誰なのかといった主題を持っている。捧げられた菊のイメージは戦死者を隠喩として用いており、この時代の熱気よりも誰も存在しない光景を描いたこの絵画からは、誰かがここに座っていたであろうと思いを巡らせる。空の景色などはそういったモチーフと重ねて描かれ、シュールな構成となっていた。


 シュールといえば、ここには信濃デッサン館から委託された美術批評家、窪島誠一郎によるコレクション、村山槐多の《尿する裸僧》(1915年)も展示されている。大正期に信州滞在を試み、結核で亡くなってしまう夭折の画家のこの作品には、放尿する男性像が描かれている。既成の道徳や倫理から離脱し、本能的に生きるというアニマリズムを尊重した村山の試みがここ信州で実践されているようだ。うねる様な山々がガランスによって描かれ、内面が外に表出している。ただ、この詩人、高村光太郎が描いた、なんでも風景が緑色に見えてしまうという錯覚、「緑色の太陽」ともいっても過言ではない還元主義的な描き方に見る人は戸惑いを感じざるおえない。


 《欲望》から向かいの展示ケースには中島よりも更に前に活躍した日本画家、菱田春草と横山大観による2人で2枚の掛け軸を描き、ひとセットとなった《春曙・秋夜》(1902年)が掛けられている。大観や春草は朦朧体と呼ばれる画風を実験的に行った絵描きとしても知られており、空間に広がる空気や匂いといった触れられない知覚について描く手法を行っている。これは前述の印象派による知覚の仕方と似たものを感じさせる。朦朧体も印象派と同じく、「朦朧な描き方」という悪評から来ており、この評価を主流にするために徹底した表現として確立する動きについても考えさせられる。そして、暗濁した風景描写からは霧、靄がかけられ、外に展示された中谷芙二子の《霧の彫刻》を思わせた。

コレクション展示室2 信濃デッサン館コレクション 展示風景


 この展示室は、隣の部屋が企画展示室となっており、外に出れば霧の彫刻などが展示されているので、各展示作品のハブとなる地点に位置している。そのため企画展示室、屋外彫刻とのつながりが自然と意識される。例えば、私がみた「生誕100年 松澤宥」と同じ時代に活動していた池田満寿夫の《マリリンの半分》(1968年)である。このマリリンはアメリカの雑誌「ライフ」から切り取られた一枚であり、松澤がいたとされるψ(プサイ)の部屋にも転がっていた。みんなで読んで世界を共有していた雑誌、媒体について考えたとき、いま、そういったものはあるのか意識しながら展示室を後にした。


*1 長野県立美術館HP:館長挨拶 (最終アクセス:2022年5月19日)

「長野県立美術館は、昭和41(1966)年に開館して以来、「長野県信濃美術館」の名前で半世紀余にわたって皆様に親しまれてきました。 その本館は、平成29(2017)年秋より建替工事のため休館しておりましたが、新しい建物が完成し4月10日に再開館するのを機に、「長野県立美術館」として再出発いたします。」

*2 作家詳細:林倭衛 | サントミューゼ  (最終アクセス:2022年5月19日)

「倭衛は絵画を学ぶ一方で、社会主義者などとの交流を深めていきます。そして《サンジカリスト(労働組合主義者バクーニンの肖像)》、《ある詩人の肖像》等を発表。《ある詩人の肖像》のモデルはダダイスト・辻潤であり、1919(大正8)年には、交流のあった無政府主義者・大杉栄をモデルにした《出獄の日のO氏》を二科展に出品しています。しかしこの作品は思想上問題視され、警視庁から撤去命令を受けたことで物議を醸しました。この一件は、国家が思想統制で美術展に介入した最初の事件とされています。」

 

会場・会期

長野県立美術館「NAMコレクション展 第Ⅰ期

3月17日から5月17日まで

 

・執筆者プロフィール

橋場佑太郎 

1995年川崎生まれ。千葉大学大学院修了。大学院では民芸を研究。映画美学校ことばの学校第1期生。


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