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  • 執筆者の写真これぽーと

青森県立美術館:電話からテレビ、インターネットへひとっとび(南島興)

今回は、架空対談形式のレビューを公開します。

 

男:去年、はじめて金沢21世紀美術館に行ったんだけど、まわりの土地と展示空間を建築がうまく繋げていて、感銘を受けたんだよね。


女:私もまだコロナの前で、人がたくさんいる時期に訪れたけど、美術館と内と外が透き通って見えるから、とても心地の良い空間になっていると思った。


男:今回、訪れた青森県美術館も金沢とはまったく異なる形ではあるけれど、とってもユニークな建物と展示が行われていたね。ちょっと、そのことについて話してみよう。


女:うん。私たちが、ふたりとも良い!と思わず目を合わせたのは、奈良美智さんと棟方志功の作品と、あと、あのウルトラマン怪獣の原画だった。


男:奈良さんと棟方志功は、青森から見た北、つまりアイヌ、またそれとは逆に北から見た南、つまり、本州へとふたりの眼差しは正反対に向けられていて、面白かった。


女:展示を見たあとに、奈良さんの不敵な笑みを浮かべる少女の無垢さが、「北」に対するピュアな想像力に支えられているんだ、と言っていたけど、それはどういう意味だっけ?


男:その話をしてもいいんだけど、あのウルトラマン怪獣の話をさきにしない?


女:いいよ。あの展示を見て、はじめて私はウルトラマンに興味をもった。


男:って言ってたね。帰りがけに寄ったミュージアムショップで、ウルトラマン観てみようかなとぼそっと呟いていたけど、見たの?


女:いや、まだ。でも、興味は湧いた。それも、ウルトラマンにではなくて、怪獣の方に。


男:そうだね。ウルトラマンよりも、怪獣にふたりの心は鷲掴みにされたね。怪獣を製作した、高山良策の仕事の流れが見える展示だったことがその印象を強めていた。


女:具体的にいうと、ウルトラマン怪獣の原画が見れるのは、アレコホールというシャガールの舞台背景画が展示されている巨大な空間を取り囲むように並んでいる展示室の一番最期の部屋なのだけど、それからふたつの前の、展示室兼通路のようなところから、伏線が始まっていた。


男:そう。あの通路(展示室J)には、日本のルポルタージュ絵画が並べられていた。もっというと、社会批判的な主題をシュルレアリスムの手法を用いて描く作品群で、竹橋にある東京国立近代美術舘所蔵の山下菊二《あけぼの村物語》あたりが代表的に語られる、ルポルタージュ絵画に重きが置かれていて、そこに高山の奇妙な絵画が姿を現すんだよね。


女:お母さんと一緒に来ていた小学校低学年ぐらいの男の子が、指で高山の絵を指して、「気持ち悪い」と言いながら、目を丸くしていたのが、面白かった。


男:その絵というのは、《UFO飛来者》のことだよね。ぼくが、この作品を見たときに気になったのは、画面向かって右側中心付近にある吹き出しのようなもので、なかには寂びれたアパートとその前に止まる自動車が描き込まれている。


女:その周りには夜の野外スケート場の風景が広がっていて、そこで異星人のようなモンスターがスケートに興じている。顔が手になっていたりして、寄生獣を思わせる造形をしていた。幻想的で、シュルレアリスムとよく言われるタイプのイメージが描かれていたね。


男:そう。その現実の風景と非現実の世界の接する場所、つまり、吹き出しと周囲の風景のちょうど間に何が描かれているのかといえば、電話なんだよね。多くの大衆が最初に手にしただろう、テレコミュニケーションの手段が、二つの異なる世界を強引にも接続するために使われている。


女:すごく記号的なものとして、電話が登場するのが面白かった。現実と虚構の風景をなだらかにシームレスにつなげるのでも、分裂した状態のまま見せるのでもなくて、律儀で枠どったうえで、間に離れたもの同士を繋げるための記号として、「電話」が置かれている。それに隣に?《非常電話》という作品もあったから、やっぱり高山にとっては電話や電話線が重要なモティーフなんだろうね。


男:うんうん。電話というモティーフにだけフォーカスして連想を広げてみると、いま、私たちが手にしているスマホは、電話というよりインターネット代行機なのだけど、そこで行られるコミュニケーションは、あらゆる他者との距離を省略してしまっている気がする。どこもかしこも、隔たった場所がなくなって、すべての場所がここになりえてしまう。けれど、かつての電話機能しかない、しかも固定電話は、


女:たしかにコミュニケーションは取れるけれど、互いの距離は歴然と存在していることも同時に意識させる。


男:先に言われてしまった・・・まさにそのようなことを高山の描いた電話を見て、強烈に感じた。いまここからすべての場所へと行こうとしても、時間と空間ともに距離の存在を無視することができない。


女:普段、電話なんてする?


男:いや、ほとんどしないね。したとしても、ほとんどインターネット通話だよね。昔は、というと、年配の方に怒られそうだけど、固定電話が一般的だった時代はしばしば混線というのがあったわけだよね。混線で繋がった人同士が結婚したなんて噂も、ぼくが小学校低学年ぐらいまでは聞かれたような気がする。いつも、ぼくはその異界へとお互いに望まない形で繋がってしまう混線には、今日のSNS化したインターネットでの出会いには無い、どきどきとおぞましさを感じるんだよね。異次元とはどこにあるのか、シュルレアルな場所はどこにあるのか。それは電話の向こうのもうひとつの現実にあるのだ、そう言ってみたい。いまは、もう失われてしまったけれど、と。


女:混線か。いま、電話からインターネットに話がひと飛びしたけど、テレコミュニケーションという意味では、その間には、両方に重なる形でテレビの時代があるよね。ちょうど、ルポルタージュ絵画の次の部屋(展示室I)、電話の一対一の閉じられたコミュニケーションから、大衆へ向けられたマスコミュニケーションの装置としてのテレビ時代を描いた絵画が展示されていた。


男:豊島弘尚、松本英一郎、針生鎮郎の3人の作品群だよね。全員、グループ新表現のメンバーなのだけど、その呼びかけをした豊島の作品《複眼を持つ東部 64-C》は、解説文にあったように、テレビ時代に洪水のように人間の脳内を襲う情報の様相を描いていて、いま言ったことに合致するね。


女:解説文にCTスキャンされた頭部画像のように描かれているという趣旨のことが書かれていた気がするけれど、それって人間の心といってもいい、本来とても私的な場所自体が、ひとつの客観的に見ることのできる「もの」に感覚されていることの現れとも言えると思った。さっき高山の二作には、記号的な要素があるといったけど、でも、どれだけ記号的であっても、そこには記号によって結ばれる二つの世界には、混線によって感じられる、禍々しさにも近いものがあるんだよね。なんだろうね。地底から響く声のようなものが。


男:地底から響く声。唐突に詩的な表現が出てきたけど、なんか分かる気がする。高山と豊島の間には、単に電話からテレビへの変化だけではない、自分と世界を繋ぐメディアの変化によって、世界への認識そのものの変化を読み取れるのかもしれない。地底というのは、自分の知らない自分の内なる領域でもあるし、あるいは、世界の余白なのかもしれない。見えない場所からの声が、異様なイメージとともに、私たちのもとに舞い戻ってくる。


女:その高山が、製作を担当した「ウルトラマンシリーズ」のウルトラマンと怪獣たちの原画が続くから、とてもよい流れが作られているよね。


男:そうだね。ウルトラマン怪獣の話は、また今度にしよう。ひとまず、今日はこの辺で。(第2回につづく)

 

会場・会期

2021年5月15日から8月31日まで

 

・執筆者プロフィール

南島興(みなみしまこう)

横浜美術館(とても新人)学芸員。1994年生まれ。東京芸術大学大学院美術研究科修士課程修了(西洋美術史)。これぽーと主宰者。旅する批評誌「LOCUST」編集部。文春オンライン美術手帖、アートコレクターズほかに寄稿。毎週金曜日のオンライン雑談会の主。


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