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  • 執筆者の写真これぽーと

鹿児島市立美術館:育てる美術館で西洋と日本の近現代美術を反復横跳びする(蔵満明翔)

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 「鹿児島県は洋画の県だ」と私が高校在学時は、執拗に言われたことをよく覚えている。当時の私はその懐古的な考え方に嫌気がさして、アトリエの本棚にあった「美術手帖」を開いては、その斬新で革新的な表現に心躍らせていた。しかし、高校卒業後美大に進学し近現代美術史に関する諸講義を受講する中で鹿児島県出身の黒田清輝や藤島武二といった作家がいかに日本美術史の中で重要な役割を担ってきたか認識することとなった。確かに鹿児島県がこれらの作家を誇り保管し伝承することを重要視する理由がわかった。その中心の機関が県内唯一の公立美術館である鹿児島市立美術館(以下市立美術館)だ。昭和29年に歴史資料館としての性質を持ち合わせた美術館として開館、その後解体され昭和60年に新しく美術館として開館した本館は地元関係作家を中心として19世紀末以降の西洋美術の作品を主とし、文化の中心地であり芸術教育の拠点として存在している。また、ここ数年、当館は遠藤彰子展や1980年代の鹿児島出身作家を紹介する展覧会を開催するなど現代作家を積極的に紹介しようとする動きが見られ、県内外から改めて注目が高まっている美術館でもある。今回は、当館のコレクション展のレビューをしつつ、この美術館の持つ性質や役割についても考え記していきたい。


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 鹿児島市の中心部、城山の山麓に市立美術館はある。薩摩藩主島津氏の居城であった鶴丸城二の丸跡に位置するこの地は、現在もその痕跡を残しており、県内最大の繁華街「天文館」の近くとは思えないほど、閑静で歴史的で文化的な雰囲気を感じられる。私は、2月天文館での用事を済ませ、小川を横目に高校在学時に何度も通い詰めた市立美術館への順路を懐かしく思いながらノロノロと歩いていた。周辺に県立図書館や近代文学館があるせいか、道ゆく人もどこか知的な様相をしている。西郷隆盛像を過ぎたところで美術館の建物と数点の彫刻が出迎えてくれる。手前には彫刻家オシップ・ザッキンの《オルフェ》、奥にはオーギュスト・ロダンの《ユスタッシュ・ド・サン=ピエール》が見える。パリでのピカソやブラックとの交流によってキュビズムの影響を受けたザッキンの表現とロダンの生気溢れ写実的な表現が対照的である。また、ザッキンはロダンの影響も受けており、キュビズムと写実主義の融合を試みていて、その意味ではここで間接的にではあるが師弟共演がなされている。正面入り口に入ると、本館の建築を担当した佐藤武夫の特徴であるオーディトリウム設計、巨大な空間が広がっている。上を見ると薩摩切子をモチーフとした美しい文様が施された天井が広がっており、自分の身体が天に導かれるように上へ上へと吸い込まれていく。


著者撮影

著者撮影

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 さて、現在鹿児島市立美術館で開催されているコレクション展「冬の所蔵作品展 特集:没後100年 橋口五葉④ たどり着いた境地-木版画の世界」は、当館コレクションである郷土作家や印象派以降の西洋美術に加えて、明治から大正にかけて活躍した鹿児島市出身の木版画家橋口五葉を特集する展示である。当館では年間を通して橋口五葉を特集しており、今回は4度目にあたる。コレクション展の会場は美術館の2階にある。1階の企画展示室を過ぎ、階段を登り私はコレクション会場へと入った。コレクションは大きく分けると3つのセクションに分かれている。西洋美術のセクション、鹿児島県の郷土作家のセクション、そして特集のセクションだ。西洋の近現代美術を鑑賞し、その後鹿児島の郷土作家の作品を観賞し、西洋の近現代美術からどう影響を受け応用したか、引用したのか、どのように日本文化の中で独自の発展を遂げたのか対比できるように構成されている。西洋美術のセクションはカミーユ・ピサロから始まり、モネ、セザンヌ、ピカソ、キスリング、フォンターナ、ジャン・デュビュッフェのように基本的には制作年代順に壁に展示され、会場中心にはロダンやブールデルなどの彫刻が展示されているという明快で簡潔に美術史を追えるよう構成されている。また、鹿児島の郷土作家のセクションは、黒田清輝や藤島武二、和田英作、山口長男、安達真太郎といった作品が作家ごとやモチーフの種類によって分けられ構成されている。当館のキュレーターには教育を専門に学ばれた方が数人配属されており、当館のキュレーターならではの生涯学習的な配慮が指摘できるかもしれない。

 私が特に興味深く観賞した作品はマリー・ローランサンの女性を描いた《マンドリンのレッスン》、フォンターナのバーミリオンに染められたキャンバスを切り裂いた作品《空間概念(期待)》である。マリー・ローランサンの作品とは、オランジュリー美術館(パリ)に訪れた際に初めて出会った。美術館の主であるモネの睡蓮以上に強く印象に残っているのは、恐らく幼少期から馴染みのあった黒田清輝にどこか類似する部分があり、親近感が沸いたからであろう。1914年の第一次世界大戦中、スペインへの亡命からパリへの帰還後に描かれた本作は、灰色や紫を基調として、淀んだ色彩を主としているものの、暗さは感じず華やかな印象を受ける。また素朴で単調な柔らかい筆跡は、優しく軽やかで私の心にすっと寄り添ってくれるような不思議な力があった。鹿児島の郷土作家のセクションに展示されている黒田清輝の《入江の黄昏》と比較してみるのも面白い。紫派の特徴的な外光表現がマリー・ローランサンの筆跡と重なるが、黒田の作品からは華やかさよりも桜島の灰のように景色を濁らせる暗さの方が印象に残る。それは、筆のストロークや画面に載せている絵具の量などの類似点以上に、潜在的に内在している色彩感覚の違いが原因なのだろうか。幼少期から華やかなパリで育ったパリジェンヌと混沌とした鹿児島と東京で育った黒田で見える景色は異なるのだろう。セクションを隔てる美術館の壁は想像以上に厚いようだ。


マリー・ローランサン《マンドリンのレッスン》1923年、鹿児島市立美術館所蔵

黒田清輝《入江の黄昏》1915年、鹿児島市立美術館所蔵

 では、フォンターナのバーミリオンに染められたキャンバスを切り裂いた作品《空間概念(期待)》はどうだろうか。本作は、人気が根強く私の周りの知人の多くはこの作品が忘れられないと語る。まず題名が面白い。基本的には二次元の平面作品に切り込みを入れることでキャンバスの物質性、三次元性を浮き彫りにさせることから空間概念と題するのはなんとなく理解できるが、「期待」とは一体なんだろうか。フォンターナの作品の中には類似した作品が1000点ほどあるが、多くに《空間概念(期待)》という題名が付けられている。しかし、元の言語であるイタリア語での題名では「期待」の部分が「Attesa」という単数形と「Attese」という複数形の単語の二種類に分けられている。それらは切り込みが一つのものには前者、切り込みが複数あるものには後者の題名が付けられている。どちらにしても、題名の「期待」とは切り込みそのものを示していることになる。そのことから切り込みがなんらかのメタファーになっていると感じられる。我々の持っている既定の概念やシステムに対して反抗している態度表明なのだろうか。美術の様式へのアンチテーゼなのだろうか。名前の通り、概念を覆すことを我々に「期待」しているのだろうか。抽象的な表現であるのに直接的で具体的なメッセージ性を持っている。比較対象としては山口長男が適任だろう。キュビズムや佐伯祐三の影響を受け、彫刻家ザッキンのアトリエに出入りしていた山口長男も抽象的な作品を多く残している。しかし、題名は《庭》その他の代表作も《脈》《熊》など具体的な対象の名称が付けられている。美術の文脈や哲学的な概念の中から作品を成り立たせたフォンターナと実在する事物を抽象化することによって作品を生み出した山口長男の意思が題名から読み取れる。いわゆる「わからない」と言われる単調な画面も題名を透かせてみると思考のベクトルは別々の方向へと向かっていく。


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 今回特集されている橋口五葉は西洋と日本美術のハイブリットと言える。1881年、鹿児島市に生まれた橋口五葉は、様々な表現媒体を用い活動、夏目漱石の装幀を手掛けたことで有名である。橋口五葉は明治末期に、西洋の文化の流入と江戸回帰への思想の双方から成り立った「新版画運動」の影響下の中、1914年以降本格的に木版画の制作に取り掛かるようになった。本展は橋口五葉の代名詞である「美人画」を中心に木版画の作品を紹介している。それらの作品は時代を反映しており、西洋と日本の様式の双方が混在している。展覧会内でも、「橋口五葉は1914(大正3)年後期頃から、五葉はかねてより関心を持っていた浮世絵の様式美に西洋美術の感覚を取り入れ、新たな境地を拓きました。」と記載がある。さらに、東京美術学校の西洋画学科で黒田清輝や青木繁と交流があったことも作風に影響しているといえるだろう。


橋口五葉《髪梳ける女》1920年、鹿児島市立美術館所蔵

 市立美術館の常設展は橋口五葉を楽しむためには最適な展示構成をしている。西洋美術のセクションと橋口五葉の作品を行ったり来たりすると良い。西洋の絵画の特徴と橋口五葉の作品からはお互いの影響を感じさせる。具体的には、青木繁の影響からロセッティらのラファエル前派、西洋画学科での経験から新ロマン派の傾向も多く見られる。さらに19世紀末から20世紀初頭にかけて植物や小動物をモチーフにした曲線が特徴のアール・ヌーヴォーの影響も感じさせるはずだ。私は、セクション間を反復横跳びのように行ったり来たりしながら鑑賞し、比較して楽しんだ。

 展覧会タイトルの中に「たどりついた境地」とある。私は妙に納得した。橋口五葉は確かに西洋美術と日本美術のハイブリットでどこかそれぞれの良いところを寄せ集めた都合の良い作家と捉えることができるかもしれない。ただ、現代美術のキュレーターやネット上に散見されるまとめサイトのように、選択し並べ再構築する「編集」の作業は、新しいクリエイティブの形であり制作には創造性が必須な行為である。ここで示される境地は編集の境地と私は解釈する。当館の常設展の構成が目指す西洋美術と鹿児島県の郷土作家の比較において最も適した作家である橋口五葉の作品(境地)を通して、鑑賞者は西洋への日本人の憧れとある種のリスペクトやコンプレックスを感じ取り、我々郷土の文化のアンデンティティを再認識する機会となるだろう。


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 市立美術館のコレクション展会場を出て一階に向かうと企画展示室が目に入った。そこでは、鹿児島市芸術文化協会が主催する若手作家を紹介する鹿児島市春の新人賞の記念展と鹿児島県の小中学生が出品する県図画作品展、児童生徒ゆめ立体・彫刻展が開催されていた。私は、やはりこの美術館の主軸には芸術教育があると感じた。専門的には教育普及と言えるだろうか。地方の本物の美術作品に触れる機会の少ない中で芸術教育の中心としての役割を担っている。そのため、地元の生涯学習的公募展や企画展が多く開催され、常設展も実に教科書的な示し方をしている。私自身も、この美術館で様々な経験や学びを得て育ってきた1人でもある。対して、当館のこれまでの展示とは違う全国規模の企画展や新進気鋭の現代美術を扱った展示、デザインや建築分野の展覧会の開催を熱望する人がソーシャルメディアを見る限り少なくない数いることも確かである。県内唯一の公立美術館に求められる期待は大きく、これからもこの場所の是非が問われ続けるのだろう。

 

会場・会期

2021年12月21日から2022年3月6日まで

 

・執筆者プロフィール

蔵満明翔

1997年鹿児島県生まれ。2021年武蔵野美術大学造形学部油絵学科油絵専攻(小林ゼミ)卒業。公立学校教諭。美術教育に携わりながら、主に現代美術の領域で映像作品の制作・キュレーション活動を行っている。学芸員資格取得時の実習先は横山大観記念館。


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