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これぽーと1周年記念:主宰者が気づいた4つのこと(南島興)

 全国の美術館の常設展とコレクション展をレビューする活動「これぽーと」を始めてから、8月末で丸一年が経ちます。コロナ禍をきっかけとして、美術館のコレクションに光を当てたいという思いのもと、SNSで参加者を募り、毎週一本ずつレビューを公開してきました。たった一年ではありますが、これぽーとが美術を社会にひらく活動のひとつとになっていたら、幸いです。改めまして、一年間レビューを執筆していただいた方、ウェブサイト制作を手伝っていただいた方、そして、いつもレビューを読んでいただている方に、感謝申し上げます。いつも、ありがとうございます。そして、今後ともよろしくお願いいたします。 

 

 さて、一年経つということで、このあたりで自分の整理もかねて、これぽーとの歩みを振り返ってみたいと思います。すこし長くなりますが、これぽーとをいつも読んでいただけている方にはその復習を、これからこれぽーとを読まれる方には、その予習を、また、これぽーとのように何かを始めたいと思っている方には、先行事例として、読んでいただけたら、嬉しいです。


 冒頭にも記した通り、これぽーとは2020年8月末に最初のレビューをウェブサイト上に公開しました。ですが、そのはじまりは遡ること約3か月、東京に一回目の緊急事態宣言が発令された5月になります。常々、美術館へのコレクションに着目した企画をしたいなと思っていたのと、そこにコロナ禍が到来したことで、海外からの物理的な作品の輸出入に制限がかかり、大量に人を集めるようなブロックバスター展が難しくなったという状況を読んで、いまなら注目を集めることができるかもしれないと思い、書き手及び協力者をツイッターで募りました。2週間ほどで、約30名の方が書き手希望で集まってくださいました。最初はZOOMを使って、オンライン説明会を開いたりして、これぽーとの方向性を参加者とともに共有していきました。そして、それから実際の執筆がはじまり、それらが公開されることになるのが、8月末でした。これもいま思えば驚きですが、一挙に10本のレビューを公開しました。この、これぽーと開始とレビュー公開を伝えるツイートには、いままでに20万を超えるインプレッションがあり、その反響はぼくの想像を超えるものでした。必ずしも、数は重要ではありませんが、華々しい特別展・企画展に隠れて、ひっそりと地味な印象のあった常設・コレクション展に関する記事でこれだけの反応があったことは、ひとつの自信になる出来事だと思っています。


 では実際に、どんな風に執筆が進められているのか、簡単に説明します。これぽーとに参加している方のほとんどは展示レビューを書くことが初めての方々です。というより、学校の課題以外で文章を書くのが初めてという方も多いです。メディアサイトで公開できるレビューをゼロから書くのはとても大変なことです。そもそも、なにからどう書けばいいのか、という出発点の決定からして難しいです。レポートとレビューの違いは何で、レビューと批評の違いはあるのか。そういう原理的な問いから出発して、いくつかのタイプ別のレビューを比較したり、参考文献を共有して、まずはレビューのイメージを掴んでいきました。次に、えいや!っと実際に2000字ほどの文章を書いてもらいました。これも多くの人にとっては大変なことです。大学の講義なら、その内容をもとにある程度は書けますが、展示の場合には、自分で一から情報を能動的に調達して、自分のなりの視点でもって、読者を説得させるだけのロジックを用いて、文字数を満たさなければなりません。これは、想像以上に大変な作業であり、思考を要することになります。そうして作られた初稿は、すべてぼくのもとに届けられます。そこからは、ぼくが編集担当として、コメントとともに修正案を加えていき、長いときには一か月程度やりとりをして、完成に至ります。


 ここでレビュー公開に関する余談をしばし。

はじめた当初、某美術館より、ぼくの元にメールが届きました。

「レビュー内で使用されている画像は、著作権法に触れる可能性があります。」

怖い文言ですよね。いろいろな引っ掛かる理由があるのですが、ぼくがそのときに知らなかったのは、「公衆送信」というものです。展示物の写真を撮ってもいいけれど、それを公衆=不特定多数の人々がアクセスできる状態で公開するのはいけませんよ、というルールです。これぽーとも含めて、SNSやブログで画像を何気なく載せているものは、いちいち、著作権者なり美術館が指摘していないだけで、すべてこれに引っ掛かっている可能性があります。逆に言うと、そのなかであえて指摘していただけるということは、これぽーとが当初から、曲がりなりにも「メディア」だと認識されていた証拠だとも言えます。にしても、指摘されたときにはかなり焦りましたね。でも、そのメールはこんな風に締めくくられていました。「今度、ぜひ当館に覆面レビュアーを派遣してください」。(その後、複数人を派遣しました)。


 話を戻しましょう。ぼくは、レビュアーの方々の初稿を読み、一緒に直していくなかで、ある気づきを得ました。それは、批評的な見方は「編集」を通して伝達されるということです。といいますのは、これぽーとでのレビュー執筆での初歩的な躓きは、文章がレビューではなく、展示紹介になってしまうことにありました。展示の概要と作品についての情報を整理するだけではない文章にするためには、なにか自分なりの独自の視点が必要になります。それを仮に「批評的な見方」と呼んでみると、では、その見方はどんなものなのか?と執筆者の方に質問されます。しかし、批評的な見方とは、○○である、と言うこともできるのでしょうが、それを言ったところで、実際にはほとんど意味をなしません。これは、個人的な経験としても、分かることです。以前、批評のスクールに通っていた時も、批評とはこういうものだ、といくらクリアに整理されたところで、自分が書くとなると、それを実行することができない。そういうもどかしさがありました。なので、スローガンではない仕方で、批評的な見方は伝達されていく必要性があるのです。


 それが、編集でした。 ひとくちに編集といっても、色々な考え方やスタイルがあると思いますが、これぽーとの場合には、編集は「時間差で一緒に書いてみる」という感覚に近いです。いまとなっては、初めのころは、ぼくが介入しすぎたと若干反省していなくもないですが、しかし、疑似的にでも、一緒に展示について考えて書いてみるという時間の積み重ねが、結局のところ、批評ってこういうことかな、という直感力みたいなものを養っていくことになると思います。実際に、複数回レビューを執筆していただいた方は、そのたびにぼくが修正を加えるところがどんどん減っていき、最終的には、もうそのままだしても問題のない状態にまでなりました。


 もちろん、それは単にぼくの基準に合ってきたというだけの話で、悪く言えば、それぞれの書き手の個性を狭めてしまっているのでは?という言葉が何度も頭をよぎりました。けれど、これはぼくの実感を根拠にすると、むしろ逆のベクトルで考えるべきことでした。どういうことか。


 これが2つ目の気づきにつながります。つまり、ぼくの編集によって、レビューがぼくに寄せられていくのではなく、レビューによって、ぼくのなかでのレビューとはなにか、という基準の方が相対化されていくのです。これぽーとで起きているのは、書き手の単一化ではなく、南島=読み手の複数化なのでした。少なくとも、ぼくにはそういう実感があります。みなさんから届けられた文章をぼくが修正しようとするとき、これを修正しようとしている根拠は何だろうかと考えてみます。すると、それは単に自分が普段読んでいる批評やレビューでは目にしない表現だからという理由だけだったりするわけです。人は自分に不慣れなものを、それだけを理由にして、否定したり排除してしまいます。だからこそ、重要なのは書き手の多様さによって、ぼくを一番目とする読み手が迷いながらも、自分の中の多様さこそが肥やされていくことにあります。編集作業とは、批評的な見方の伝達の場であると同時に、批評の基準の複数化をもたらす場でもあるのでした。


 その多様さを作り出すのは、はじめにある書き手の多様さなのです。ぼくはあいちトリエンナーレ2019のひとつのメッセージは、観客を多様にしたければ、まずは参加者を多様にせよ。だと思ってきました。(「多様さ」という言葉の都合よさとともに)観客を多様にしたければ、という表現はぼく個人の解釈がたぶんに含まれていますが、いずれにしても、活動内部の人間が多様でないのに、観客だけが多様になるというは、なかなか想像しにくいものです。これぽーとは、ぼく個人のパーソナリティや告知の仕方などによって、さまざまなゾーニングが解除された結果、偶然ではありますが、それなりの多様性のある方々にレビュー執筆をしていただけています。そこで残されている、ぼくの仕事はこの多様性を失わせずに、レビューとしても成立した文章を公開しつづけることにあります。とてもシンプルだけど、これはとても大切なことだと思っています。


 ここまでは、基本的にぼくと執筆者の二者関係を軸に書いてきましたが、それを飛び越えた動きも出てきています。それは、二回に分けて公開された「座談会『常設展をひらくとき』」です。これは画期的な企画で、ぼくの手を離れて、これぽーとの感想や鑑賞者として常設展に期待することなどをざっくばらんに語り合った記事になりました。ある参加者が自発的に呼びかけて実現したものですが、なぜ、彼がそうした企画を立てたくなったかといえば、それは参加者がレビューを書いている人たち、という共通認識があったからでしょう。


 ここで、このコミュニティ感について余談をしばし。

ある日、突然、ぼくにこれぽーと参加者からDMが届きました。

「これぽーとの人に会いましたよ。京都で。」

「え、どういう状況ですか」

「偶然、展示を見に行ったら、それらしき人がいて、話しかけました。あのレビュー読みましたって」

「それらしき人に話しかける○○さんの勇気もすごいけど、でも、ぼくの知らないところで、そんな出会いがあるんですね。素晴らしい!」

別の日、これぽーと参加者で、まったくの初対面の方からぼくにDMが届く。

「みなみしまさん、いま同じ新幹線に乗ってるかもです。」

「本当ですか。○○時新大阪発ですけど。」

「一緒です!いまどちらにいます?」

「○○のBです。ちょうど隣の席空いていますよ。」

「じゃあ、そっち向かいます。」


 ということが、しばしば起きるのが、これぽーとです。おそらく、ぼくの知らないところで、そういう出会いが起きているのでしょう。特に京都でこれぽーとの執筆者同士が出会って話した、という話を聞いたときに、これは何か新しいことが起きていると実感しました。これが3つ目の気づきになります。これぽーとは、単にメディアとして執筆者と編集者の関係に閉じたものではなく、執筆者同士がこれぽーとに参加しているという理由で、話しかけて、知り合えるメディアでもあったのです。強固ではまったくないけれど、たしかにひとつの共同体として認識され始めている、この流れはとてもよいことだと思っています。しかも、それが「ともに書いている」という共通経験に裏打ちされた、書き手のコミュニティというところが重要です。この部分について、ちょっと補足します。


 前々から、ぼくは美術界?は、入門者を増やすには成功しているけれど、それを「教育」と呼んでいいのだろうか、という逡巡がありました。そこではなくて、入門者を中間層に引き上げるところに教育があると思っていたのです。しかし、ぼくの見立てでは、いまの美術界には、中間層が圧倒的に不足しています。書店にいけば、毎月のように入門書が出版され、ときおり博士論文をまとめた専門書が出版されます。どちらも別の仕方で話題にはなりますが、根本的に抜け落ちている部分が、その間にあります。中間層にターゲッティングした書籍です。ぼくはそうしたひたらす入門させ続ける状態を、「アフターケアなき入門地獄」と呼んでいます。これぽーとでは、そのアフターケアに当てはまる活動として、レビューを書いてみる、ということと編集を通して一緒に考えてみる、という作業を実践しているのです。つまり、一度、やってみるという回路を使って、入門者を中間層へと育てるための(というとおこがましいのですが)書き手=作り手同士のコミュニティなのです。ぼくにとってここが最大に重要かもしれません。


 これは、これぽーとが先生と生徒という関係性ではなく、編集者と執筆者という関係性を借りた、教育普及活動の一つなのだ、と言っているに等しいと思います。


 と、書いていて、4つ目の気づきがありました。そう、「つくるはひらく」なのですね。つくることが、書き手のみならず、読み手を豊かに広げていくことに繋がる。この10年、美術を社会にひらくことがずっと課題にされてきたわけですけれど、そのときに必要なのは、一緒につくるということだった、そう言ってみたい気持ちです。ある哲学者がデモ=デモンストレーションのもともとの意味とは、何かに反対や抗議をすることではなく、「やってみること」だと書いていましたが、まさにそうだと思います。現状を変えようとするときに大切なのは、一度、やってみてしまうこと。あるいは、やってみたくなるようにやってみせること。つくることをある一握りの人たちのものだと考えずに、みんなのもとへひらくことが、これぽーとのやっていくべきことかもしれません。だから、これぽーとは読み手を増やそう運動ではなく、書き手を増やそう運動なのです。それに一度、書き手になった人こそが、きっととってもよい読み手にもなってくれるはずなんです。これぽーとは、そういう書き手-読み手の循環を、ほんの小さなレベルからであっても、引き起こしていきていると思いますし、起こしていけると思っています。 


 それぞれの書き手の方には、いろいろな考えがあるとは思いますが、ひとまずは、主宰者のぼくがこの一年これぽーとを運営し、ときに執筆するなかで、気付いたことはこんなところです。まったくの他人の方が読んで、何かしらの実りのある文章になっていたら、嬉しいです。個人的なことを最後に記せば、これぽーとに限らず、ぼくは、基本的にたくさんの人をやってみようかなって気にさせたいのですね。そそのかし、誘惑。やってみたら、面白いんじゃない?できそうじゃない?それに、全国にはまだまだ私たちの知らない作品が展示されているみたいだし。掘り出さない手はない。やってみようよ。一緒に。それは、楽しいことです。これぽーとはまじめな、いや、本当にまじめなコンセプトをもっていますが、それは楽しくないといけないと思っています。まじめに正しいと思うことを発信することと、楽しく面白いと思うことを発信することは両立します。いや、両立しないと、人には伝わらないのだと思います。これぽーとも、そんなまじめに楽しいメディアになっていけるように、がんばります。これまでも、これからも。ひきつづき、よろしくお願いします。


 そして、あなたのレビューをお待ちしています。書けます。

【緊急告知!】

U-18のレビュー執筆者を募集します!

18歳以下のレビュアーを募集します。中学生、高校生からのレビューもお待ちしています。また、周りに書きたそうな中高生がいる大人の方は、ぜひ紹介してみてください。編集はぼくが丁寧にお付き合いするので、どんな方でも歓迎です。

ご興味ある方は、お気軽に以下まで連絡ください。ご相談レベルでも構いません。

kouminamishima@gmail.com(南島興宛)


※これぽーとでは随時、レビュアーを募集しています。こちらは経験、年齢は不問です。常設展・コレクション展について何か書いて考えてみたいと思う方はどなたでも対象です。こちらは随時、募集しておりますので、ご相談も含めて、上記の南島までご連絡ください。メールでもツイッターDMでも構いません。

・執筆者プロフィール

南島興(みなみしまこう)

横浜美術館(とても新人)学芸員。1994年生まれ。東京芸術大学大学院美術研究科修士課程修了(西洋美術史)。これぽーと主宰者。旅する批評誌「LOCUST」編集部。文春オンライン美術手帖、アートコレクターズほかに寄稿。毎週金曜日のオンライン雑談会の主。