top of page
  • 執筆者の写真これぽーと

第9回:レビューの使い方会議(南島興)

これぽーとを主宰している南島です。今週は、レビューの使い方会議の第8回目です。以下、説明に続いて、本文になります。

 突然ですが、前から少し疑問だったことがあります。毎月のように展覧会が開かれて、それに対するレビューがさまざまなメディアで公開されている。けれど、展覧会が終わったあとのレビューや、一度読まれた後のレビューはどこへと行ってしまうのか。書籍であれば、何度も読み直されることや本棚にしまっておいて、その時々で読み返されるということがありますが、展覧会のレビューで、それもネット公開のものは、なかなかそうはなりにくいと思います。どうしても一回の使い切り感が否めません。


 これはもったいないことだなと前から思っていました。本来、レビューは展覧会が終わったあとやその展覧会の存在すらも忘れられたあとにこそ、それがどんな展覧会であったのかを記録した資料として重要な意味を帯びてくるはずだからです。


 こういった問題意識からこれぽーとでは断続的に、南島がこれまで公開されたレビューを僕なりに紹介していくことにしました。題して「レビューの使い方会議」。試しにではありますが、この場でレビューの「使い方」をいろいろ見つけ出していきます。レビューを書いていただいたみなさんのためにも、読んでいただける方々のためにも、主宰者である自分には、それを発見していく責務があると思っています。


 第9回目となる今回は、2020年10-11月に公開された千葉市美術館とサントリー美術館のレビュー記事をご紹介いたします。

 

レビューとはなによりも個人的なものです。私にはこう見えた、なぜならば、という形で、私的な感想を、公的な形で開いていく書き物です。その私的なものと、公的なものを繋ぐための道具として、美術史の中で使われてきたのが、「風景」というものでした。風景といっても、それは自然に目の前に広がる場所や景観を指しているわけではありません。わざわざ、そこで見えているものを風景として枠取るためには、何かの制限が必要になります。当たり前ですが、日本の風景といって思い浮かぶイメージは、はじめから日本らしい風景だったのではありません。それを日本らしい風景であると理解する側、つまり、私たちの見方の変化がはじめになければならないのです。こうした変化に基づいて、私たちはある時「風景」を発見します。そして、風景を媒介として、私は国や文化などの共同体の一員であることを、確認することができるのです。なぜなら、風景は、同じイメージを風景だと捉えることができるのは、誰か?という形で、私がどの私たちのなかにあるのかを教えてくれるからです。これは風景がいかに政治であるということでもあります。風景を共有しないもの同士は、異なる共同体に属していることを、風景を持たない者は、故郷を失っていることを意味するからです。風景とは、自らが何者であるかを明らかにする重要な導き手であり、だからこそ政治的な問題、可視化してしまうのです。私たちとあなたたちの線引きをはっきりと見せてしまうことがあるのです。さて、市井の人々が描く風景にフォーカスしたレビューが橋場佑太郎さんの「千葉市美術館:「表面的なアート」とは異なる表現に触れる」です。そこではどんな政治が働いているのでしょうか。また私的な感想が公的なものに思える時、そこにはどんな文章の政治が働いているのでしょう。レビューもまた政治とは無縁ではありません。そんなことを考えながら、ぜひ読んでみてください。

 

企画展へのレビューではなくて、常設展へのレビュー。これがこれぽーとのコンセプトですが、常設といえば、展覧会だけではなくて、美術館そのものが、最大の常設という言い方ができます。いわれてみれば当たり前ですが、どんな企画展も、どんな常設展も、それが開催されているハコである美術館の施設や人員などによって、内容と作られ方は多少なりとも変わったりするわけです。だとすると、美術館で行われる展覧会に対するレビューは、最終的には美術館レビューにたどり着くべきなのでしょう。新しく開館したり、リニューアルオープンしたばかりの美術館であれば、なおさらです。また美術館レビューの視点は、美術館が単に展覧会活動を行うだけの施設ではないことを提示するためにも有用だと思われます。美術館が展示だけではない複数の専門的な機関からなる文化施設であること自体が、現代の多様な表現に対応し、多様な観客に開かれるための、ほとんど必須条件のひとつになっています。または、ひとつの空間に対して、あらかじめ複数の用途が設けられており、かつそれを観客の側が自由に変更して、活用していくことができる空間作りが求められています。展覧会はそうした複数の空間の、複数の用途のうちの一つにしか過ぎないのです。もちろん、実際に経済的、広報的な意味で、美術館の存在感を支えているのは、大規模な企画展であることは確かなのですが、それは美術館が公共的な場所であるための、ひとつの要素でしかありません。あまりに知られていないけれど、美術館のなかで重要な役割を担っている、あるいは、本来担うことのできる機関は、どの美術館にも隠れているはずです。こうした隠れた?場所への目配せを持ち合わせることで、総合的な美術館レビューができるようになります。naomiさんの「サントリー美術館:日本美術をあじわう、都心の居間へ」はその第一歩と言えるかもしれません。ぜひ、お読みください。

 

・執筆者プロフィール

南島興

bottom of page