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横浜美術館:終戦と地続きの2025年(comeknockdoor)
終戦の日が近づくと、ジェーン・スーのエッセーを思い出す。そこでは戦後三十数年だった自身の子供時代を振り返り、今よりもっと「戦後」は身近だったと綴っている。一方で、戦後77年の2022年当時、戦争経験者である父と接して次のようにも感じていた。 「終戦の日」と言うと、戦中に子どもだった父は「敗戦の日」と必ず訂正を入れてきました。いまはのんびりとした暮らしをしている84歳の父は、日本が戦争に負けたことを知らせる玉音放送を聞いたことがある。疎開先の沼津で空襲にもあっている。そう思うと、今日という日は77年前の8月と地続きであると、改めて認識せざるを得ません。(ジェーン・スー「特別な8月、当たり前の日常を続けるために語り継ぐことの重要性を考える」、『AERA』2022年8月) 私はジェーン・スーと同世代だ。そして今ではひがな一日愛犬とのんびり暮らす私の父も戦争経験者。彼は幼いころ、疎開先の広島市郊外で原爆のきのこ雲を目撃したという。しかしみずからその記憶を話すことは、家族にすらほとんどなかった。約40年前、私の周りの大人には他にも戦争経験者が多くいたが、進
これぽーと
1月19日


横浜美術館:シベリアをドンゴロスに託してー宮崎進の作品から(桑田眞理)
「戦後80年、昭和100年」というフレーズを今年はよく耳にした。この夏訪れたいくつかの美術館、図書館でも特集が組まれていた。 時折、展覧会で作品が放つ力に引き寄せられるという経験をする。横浜美術館の特集展示「平和であることへの、控えめななにごとかを」のなかで「忘れないためにー戦地に行った画家」のセクションに展示された宮崎の作品に今回もそんな経験をした。これまで宮崎進の存在を知らなかったので簡単に彼の経歴を紹介する。 宮崎進は1922年(大正11)山口県徳山町御弓丁(現・周南市)に生まれる。1942年(昭和17)召集を受け、日本美術学校を繰り上げ卒業。東満州で終戦を迎え、その後4年に渡るシベリアでの収容所生活を経験。1967年(昭和42)《見世物芸人》で第10回安井賞受賞し具象画家としてその名を知られる。その後渡仏、帰国後は様々な技法、表現を駆使し、作品は徐々に抽象化していく。1990年代に入りドンゴロスと呼ばれる麻布袋を用いたコラージュ作品を多く制作する。 会場には《ヤブロノイ(俘虜の死)》1951年、《狂った捕虜》1951年、《哀歌》1951年
これぽーと
1月19日


横浜美術館:マグリットとダリ――「青」の幻想をめぐって(スダ ノリコ)
20代のころ、部屋の壁に大きな鳥のポスターを貼っていたことを、ふと懐かしく思い出す。ルネ・マグリットの《大家族》(1963年)である。二階の小さな壁いっぱいに広がるその鳥の姿は、私にとって特別な存在だった。1994年、新宿の三越美術館で開催されたルネ・マグリット展で衝動的に買い求めたのだろう。1メートルほどの原寸に近い大きさだったのかもしれない。羽ばたく青い鳥の姿が、窮屈な部屋を一瞬にして広大な空へと変えてくれるように感じられた。マグリットは私にとって、ただ好きな画家という以上の存在で、ベルギーまで旅をして、彼の作品に会いにいったほどだ。 一方で、忘れられないもうひとつの記憶がある。7歳のころ、日の当たらない書棚に並ぶ百科事典をめくっていて、偶然目にしたサルバドール・ダリの《茹でた隠元豆のある柔らかい構造(内乱の予感)》 (1936年)だ。わずか数センチの小さな図版だったのに、青い背景に鎮座する奇怪な茶色の造形が、幼い私には恐ろしくてたまらなかった。思わずぱたんとページを閉じてしまい、以来、その百科事典を開けなくなったほどだ。絵を見ることは好きだ
これぽーと
1月19日


横浜美術館:4つのまなざし(伊藤庸子)
この1枚の写真によって、ベトナム戦争の終結が2年早まったと言われている。 撮影された1965年9月6日、ビンディン省ロクチュアン村の上空には、F100戦闘爆撃機の轟音が響きわたっていた。地上では激しい銃声と兵士たちの怒鳴り声、逃げ惑う村人たちの悲鳴。そんな極限状態のなかで沢田教一(1936~1970)が撮影した《 安全への逃避 》(1965年)だ。 ベトナム戦争終結から50年、日本は終戦80年となる今年、横浜美術館では「戦争と美術」をテーマにしたコレクション展が開催されている。《安全への逃避》はその中の1枚である。 半切りサイズの白黒の写真には、村から追われ川を渡って逃げようとする2組の親子が映っている。乳飲み子を抱え、胸まで水に浸かりながら必死の形相で対岸を目指す若い母親。もう一組の親子、母親と兄妹の、当時14歳の兄は恐怖と不安が入り混じったまなざしをカメラに向けている。母親は沢田の構えたカメラが武器に見えたのか、鋭いまなざしだ。戦火から逃れるというより、子供の命を守り抜くといった母親たちの強い意思が表れている。まなざしは雄弁だ。ときに言
これぽーと
1月19日


横浜美術館:美術館は種を蒔く-横浜美術館「戦後80年特集展示『平和であることへの、控えめななにごとかを』」に寄せて(星 恵美子)
「平和」の対義語って、なんだろう。 ふと、そんなことが気になって調べたことがある。平和の対義語は「戦争」。ネットを通じて複数の辞書を見てみたが一般的にはそう説明される。もう少し掘り下げると平和とは「やすらかにやわらぐこと。穏やかで変わりのないこと」(広辞苑)という意味があるので、急激に変化することや大きな出来事に世間が揺り動かされることが「平和の反対」ということになりそうだが、それが「戦争」という一言に集約されるとはややそっけない。 2025年は全国の美術館で「戦後80年」を冠した展覧会が開催された。実際鑑賞した展覧会も複数ある。東京国立近代美術館で開催された「コレクションを中心とした特集 記録をひらく 記憶をつむぐ」、東京都写真美術館の「被爆80年企画展 ヒロシマ1945」、東京都現代美術館のコレクション展「9つのプロフィール1935→2025」。いずれも素晴らしい展示だった。私自身も戦時の日本人の姿に衝撃を受け、当時の暮らしに心を寄せた。 しかし、そのような感想で終わってよいのだろうか、と何かが腑に落ちない感覚をも同時に抱えることになった。腑
これぽーと
1月19日


これぽーと的よかった展覧会2025
2025年もこれぽーとを読んでいただきありがとうございました。今年もこれぽーと執筆陣が選ぶ2025年のよかった展覧会を公開します。 伊澤文彦 ●「 アンチ・アクション 彼女たち、それぞれの応答と挑戦 」(東京国立近代美術館) 50年代後半〜60年代の「女性作家」の抽象表現を展示する企画。昨今、今まで周縁化されてきた美術の歴史化がなされているが、単なる歴史の読み直し的な展覧会ではない。同時代の批評家の反応や女性作家のメディア消費にも言及しつつ作品をしっかりと見せていく展示で、時代の体温を感じることができるものだった。 ●「 非常の常 」(国立国際美術館) 常態化した非常事態を生きる、現在の私たちのための展覧会だと言える。現代美術は複雑な文脈を内包しながら輝くもの。様々なレベルで襲いくる不安や焦燥感を映す時代の鏡でもある。何気ない日常を生きる我々の側に存在する非常事態は、見知らぬ場所への想像力によってのみ認知可能であることを思い出させてくれる。 ●「 藤田嗣治 × 国吉康雄 二人のパラレル・キャリア ― 百年目の再会 」(兵庫県立美術館) .
これぽーと
2025年12月31日


静岡県立美術館 ロダン館:考える人が溶けていく—ロダンの「生命感」をめぐる観察と比較(らちまゆみ)
1:考える人が溶けていく——ロダンの「生命感」をめぐる観察と比較 はじめに消えたのは、輪郭だった。 地元美術館のロダン館でワークショップが開催された。私は《考える人》の前に座りデッサンに挑む。受験期に叩き込まれた手順で、目で撫でるように量塊を掴み、輪郭を追っていた。ところが鉛筆は途中で行き場を失う。石膏デッサンのように筋肉が捉えられず、さらに前腕と太ももの接地面は泥のように縫合されていた。かつてダンテの帽子であっただろうものは頭蓋へ沈み、固いはずのブロンズが、ドロドロに崩れてしまいそうだった。 オーギュスト・ロダン《考える人》 1880(拡大1902-04)年 幼い頃はロダン館が少し苦手だった。その頃はわからなかったが、この崩れそうな姿が理由だったのかもしれない。 昔遊んでいたポケモンに、そのようなヘドロのキャラクターがいた。形も性質も恐ろしく、対戦するのも嫌だった。いま目の前にしている《考える人》は、どことなくそのポケモンを思い出す。 大人になった今、かつて恐ろしかった像から目が離せない。この流動性こそ、ロダンが近代彫刻の父と称された所以ではな
これぽーと
2025年12月30日


世田谷美術館:チャレンジングなコレクション展「もうひとつの物語 女性美術家たちの100年」(NATSUKO)
壮大なテーマである。「女性美術家たちの100年」を扱うには企画展の方がふさわしく思えるが、「彼女たちの作品と生きざまが、現代を生きる人々へのエールとなること」を主旨とし、所蔵作品を用いて2階展示室のみで開催するという。世田谷区ゆかりの作家を含め、誰の作品をどのような構成で展覧し100年を編むのか関心をもった。 会場を一巡して感じられたのは、本展では「時代ごと」にどんな女性作家が日本に現れたかに主眼が置かれていることである。というのも、展示作品は一作家につきおおむね1〜3点だが、その作品がおかれている時代区分とは異なる制作年のものも多く選ばれているからである。すなわち、これらを通して語られるのは、彼女らを取り巻く時代環境、女性と美術家としての生きざまが交差する物語。その共通点と異なる点が時代によって変化していく様を示したのが本展の特徴といえる。 最初に取り上げられるのは、主に1900年代生まれの作家である。「美術教育のはじまり:洋画の場合」「『女流画家』たちの連帯」「美術教育のはじまり:日本画・染織」「世田谷ゆかりの作家たち」と続き、三岸節子、甲斐
これぽーと
2025年12月29日


東京オペラシティ アートギャラリー:間(あわい)による表現ー作品と鑑賞者の対峙(masaharu itoyama)
成人女性の背丈ほどだろうか。黒一色で画面全体が覆い尽くされている。そこにはグラデーションもなければ、筆を走らせた跡もない。真っ黒に塗りつぶされたキャンバスはここへと至る痕跡を語らない。しかし、無機質な瑞々しさは白日の下にその存在を晒している。キャンバス地のざらっとした樹皮のような質感とは異なる、滑らかなふくらみ。 その顕れは、横一文字に切り裂かれた樹皮の切り口からじわりとにじみ出し、ゆっくりと一塊になっていく樹液のように、平面だったキャンバスから画面を超えてこちら側の三次元へと滲み出るように漏れ出てきている。これは絵画なのか彫刻なのか。結果なのか過程なのか。波紋のような余韻を平面に残すその姿に、彼我の境界が浸食され、自分がいまどこにいるのかを問われている感覚を覚える。 松谷武判の《雫》である。 松谷武判《雫》1985年 東京オペラシティ アートギャラリーで開催 していた「寺田コレクション ハイライト前期 収蔵品展085 寺田コレクションより」にて、展示室の最後におかれている作品だ。 本ギャラリーは、新宿区初台駅直結の54階建て複合文化施設・東京オ
これぽーと
2025年12月28日
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